「中央区を、子育て日本一の区へ」こども元気クリニック・病児保育室  小児科医 小坂和輝のblog

感染を制御しつつ、子ども達の学び・育ちの環境づくりをして行きましょう!病児保育も鋭意実施中。子ども達に健康への気づきを。

祝 佃島小学校 開校120周年。 時代のかけはしとして、

2008-11-29 17:26:52 | 教育
 佃島小学校 120周年記念式典ならびに大阪佃交歓会、祝賀会が、本日11/29開催されました。

 明治21年(1888年)、佃島に敷地85坪、建坪65坪、木造平屋建て、五つの教場を備えた小さな小学校が始まりといいます。
 明治44年(1911年)から大正9年(1920年)まで、児童が全員月島第二小学校に移収され、休校の時期があり、大正9年1月再開。
 卒業生は、大正9年度が、卒業生番号一番で再発足しており、平成19年度末現在、卒業生は9322名。現在562名の生徒が通っています。

 佃島の由来は、天正年間、徳川家康の恩顧をうけた、大阪佃村・大和田村の漁民三十三人が、江戸の隅田川河口、日本橋小網町の安藤対馬守の屋敷内に移り住みました。その後、寛永7年(1630年)に、鉄砲洲の東にある干潟を拝領し、そこに百間(約180メートル)四方の島を築いて移り住みました。漁民たちは故郷を偲んで、佃島と命名したということです。

 漁民の故郷、大阪佃とは、天正の世から時を経ること400年、昭和39年、大阪佃の為川作造氏が、東京佃島小を訪問されました。昭和40年大阪佃小学校と姉妹校関係を結び、第一回交歓会を行いました。昭和43年第四回交歓会では、はじめて児童代表参加による交歓会を開催。その後、毎年交互に児童代表が訪問する形態を取っているといいます。
 そして、今年は、第44回の大阪佃交歓会となりました。

 祝賀会の席上、校長会代表の方が、おっしゃっていましたが、佃島小学校は、三つの意味で時代のかけはしであると。
 一つは、佃月島地区と日本橋地区を結ぶかけはし。
 二つ目は、東京佃と大阪佃を結ぶかけはし。
 三つ目は、佃島小学校の児童が、現代と未来を結ぶかけはしになってくれると。
 まさに、長い伝統と歴史を持つ佃島小学校、そしてその在校生・卒業生が、大きく飛躍され、時代のかけはしを担ってくれることを期待しています。

 祝賀会の席上、大阪の佃連合振興町会会長・佃地域社会福祉協議会委員長であられます平田房夫氏とお話をさせていただきました。
 西淀川区にある佃島は、歩いて一周2時間程度の島であり、その島に、7000世帯が住んでいます。人口は、1万5000程度。小学校は、交歓会を持つ佃小学校と、佃西小学校、佃南小学校の三校があります。
 地域と学校が、一つになって、子どもを見守り、また、災害時の助け合いも含め高齢者を見守っているということでした。
 是非、訪れてみたいと思っています。

 祝賀会では、PTAの皆様の美しい歌声が会場に彩を添えました。すばらしい水墨の絵やオブジェが会場を彩りました。とても華やかな祝賀会でした。
 写真左のバスケットゴールに水墨画、写真中央がオブジェです。
 
 佃島小学校の益々のご発展を祈念いたします。

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11/29朝は、築地市場から。

2008-11-29 08:36:48 | 築地を守る、築地市場現在地再整備
今日も、晴れて、気持ちいい幕開けです。
築地市場は、年末に向け、活気に満ちていました。

昨日の写真と同じ角度で、東京タワーを見ています。
船が留まっているところが、築地市場です。
勝鬨橋の東詰めから撮っています。
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