flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

左京ヶ橋

2012-01-10 00:00:10 | 民俗・伝承

(熊本県阿蘇市黒川)
 かつて、中岳噴火口(神霊池)へ向かう者は心身を清めてから登山する慣わしがあったという。阿蘇山上神社裏手より噴火口に至る道は、昔は唯一の火口への道であったとされ、必ずこの橋を渡らなければならなかったという。
 昔、左京某と云う武士がこの橋を渡ろうとしたところ、子蛇が橋の袂におり、左京某の行く手を阻んだ。左京某は不届きな奴とばかりに刀を抜いて斬り捨てようとしたが、忽ち雲が涌き風が起こり、一匹の龍となって天に昇っていった。さすがの左京某もこのことに恐れをなし、それが原因で早死にしたという。以来この橋を左京ケ橋と呼ばれるようになったという。また、心悪しき人が渡ろうとすると目の前の岩が大蛇に見え、渡ることができないという。 


(関連記事:阿蘇山西 阿蘇の信仰 阿蘇赤水

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大海の放下 平成二十三年

2011-08-26 00:00:23 | 民俗・伝承

(愛知県新城市大海 県指定無形民俗文化財)
 鍋づる万灯から豊川牛淵橋を渡り大海に向かう。途中、暗闇であったが、第二東名による開発が始まっていた。乗本中山砦が削られ、豊川に新しい橋脚が立ち、新昌寺と鳥居強右衛門墓所の間に築堤が現れていた。そんな著しい変化の中、大海の集落に入った。
 
 放下は、鉦と太鼓で「門がかり」、「出」、「ねり」、「そそり」という歌に合わせて演奏し踊る。この際、団扇を背負った太鼓持ちが、三つ巴になるように配置し踊るのである。

 放下は平安時代末期、中央の政治が乱れ、寺院で養われていた僧侶たちが地方に流浪した。その際、各自が所属していた寺院の信仰と行事の作法を基にして、流浪をしながら芸能を披露したのが放下僧と呼ばれる者である。その後、一遍などの遊行僧によって念仏踊りが次第に浸透し、各地の集落に溶け込んでいった。然し、南北朝時代の争乱で放下は一時廃れ、室町時代に再興したとされている。江戸時代入ると、放下に限って辻放下と呼ばれる流しの芸能者が行なっていたが、その後は村民が行なうようになったという。この大海周辺地域でも遊行僧が隣郷鳳来寺を訪れ、伝えていったものとされる。

(関連記事:大海の放下平成十九年 鍋づる万灯平成二十年 乗本万灯平成十九年 乗本万灯平成二十年 火おんどり採火式 火おんどり(信玄原火踊)

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鍋づる万灯 平成二十三年

2011-08-16 00:00:15 | 民俗・伝承

(愛知県新城市市川 万灯山 市指定無形民俗文化財)
 平成二十年の「鍋づる万灯」は、対岸の有海原からの眺望であったが、今回はどのような地区で行われているのかも知りたいと思い、市川集落に出向いた。夕刻の雷雨が止むのを待ち、自転車で往復40kmの道程を進んだ。旧新城市域の内、唯一訪れていないのがこの市川集落であった。辺りの光景は、三遠南信の国境いの天空集落を思わす如き景が広がっていた。
         

 「鍋づる万灯」は、平安末期から鎌倉初期頃に、山伏によって伝えられた送り火の風習であるという。集落の各戸が三本ずつの松明を持って万灯山に登り、鍋づる状に並んで松明を地面に突き刺し、午後七時になると一斉に火を点けるものである。近年は、集落の人口減少によって松明の数が減り、他方からの応援で「鍋づる」の形を維持しているという。

(関連記事:鍋づる万灯平成二十年 乗本万灯平成十九年 乗本万灯平成二十年 大海の放下平成十九年 火おんどり採火式 火おんどり(信玄原火踊)

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第56回 安城七夕まつり

2011-08-11 00:00:56 | 民俗・伝承

(愛知県安城市)
    

(関連記事:愛知の七夕

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第56回 一宮七夕まつり

2011-08-01 00:00:17 | 民俗・伝承

(愛知県一宮市)
 私はこのまちに訪れて29年になるが、目にする人々の数は一番であった。

       

(関連記事:愛知の七夕 尾張一宮平成十八年 グランドタマコシ

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牛久保の春

2011-07-27 00:00:45 | 民俗・伝承

(八幡社若葉祭 愛知県豊川市牛久保町)

  

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かんざし灯篭

2011-07-18 00:00:25 | 民俗・伝承

(広島県尾道市久保)
 尾道本通りの東、八坂神社の境内には伝説を秘めた簪形の石灯篭がある。昔、富豪の息子に見初められた娘がいた。娘は貧しく、かんざしも持っていなかった。息子の父親は「かんざしない者嫁にはできぬ」といい破談になった。悲しんだ娘は、明神さんの井戸に身を投げ命を落とした。その後、町の人々は娘のために、井戸の傍に簪形の石灯篭を建てて弔ったという。

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第56回名古屋まつり

2010-11-23 00:00:29 | 民俗・伝承


     

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みたままつり

2010-09-14 00:00:11 | 民俗・伝承
(愛知県豊川市)
 昭和二十年八月七日、豊川空襲により、主に海軍工廠において多くの犠牲者を出した。そのみたまを慰めるために始まったのが、みたままつりである。私も四年間程関わったため、豊川音頭の音色を聴くと当時のことを思い出す。
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豊橋祇園祭

2010-09-04 00:00:10 | 民俗・伝承

(愛知県豊橋市)
 吉田神社の祭礼で打ち上げられる花火である。
             

(関連記事:豊橋祇園祭平成二十五年

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流鏑馬 平成二十二年

2010-05-07 00:00:19 | 民俗・伝承
(三河国一宮砥鹿神社祭礼行事 愛知県豊川市一宮町)
                 

(関連記事:流鏑馬平成十八年
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流鏑馬準備

2010-04-28 00:00:49 | 民俗・伝承
 今年もまた、この時節がやってきた。
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ささやき橋

2009-10-15 00:00:07 | 民俗・伝承
(密語橋 広島県福山市鞆町)
 の町の一角、山中鹿介首塚の傍に、この橋はある。
 応神天皇時代(210-270)、百済の使節を接待する役目である武内臣和多利が、官妓「江の浦」と毎夜この橋で恋の逢瀬を楽しんでいたが、それが知れてしまい、見せしめのために海に二人は沈められてしまったという。その後、この橋を「ささやき橋」と呼ぶようになったといわれている。
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大木盆踊り

2009-08-15 00:00:47 | 民俗・伝承
(愛知県豊川市大木町新町通)
 我が家から数百メートルの場所で行われている盆踊り。
私が還俗してからも、暫く盆の手伝いをしていた寺院の敷地で毎年行われている。
私は幼い頃から「踊り」というものを、遠い記憶のどこかで見た光景のように懐かしく感じるのである。
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菅生河畔

2009-08-03 00:00:19 | 民俗・伝承
 昨年は48万人の人出であったが、今年はどうだろうか。私は人混みは嫌いなので、仕事帰りに素通りで駅に向かった。
  (天王丸)
(菅生丸)

(関連記事:菅生鉾舟
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