京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 「美しき小石」

2013年01月17日 | 日々の暮らしの中で

昨日は、青い空に両手を大きく広げて、思いっきりの深呼吸がぴったりと言えるほどの気持ちよさに恵まれました。なのに、今日1月17日は、雪でも降り出しそうな空模様でした。

2年前。2011年1月17日、娘から第2子が9月に誕生予定だと知らされました。
6年前。2007年1月17日、この時は12日から1ヶ月間をブリスベンで過ごしていました。このあと3月30日には、1歳6カ月になるのを前にしてJessieが日本にやってきました。
10年前。2003年1月17日、息子の就職は決まり、月が明けてからの3泊4日のゼミ合宿費用に2万5千円かかるのだけれどと、嘆願メールが入りました。アルバイトをする時間の余裕もなくて、息子からはしばしば嘆願書が届きましたが、その学生生活も終りました。

10年ひと昔。今やすっかり社会人。三日もしないと返信もない子にしては珍しく、昨夜は「絵本で英会話」講座の様子を息子とメールでやりとりする中で、「それは英会話教室として正解っぽいねー!」とあったのが嬉しい言葉でした。

116年前の今月今夜、熱海の浜辺で寛一は「金剛石の強き光に焼かれたる心」のお宮に恨み事を繰り出していました。 
 来年今月今夜は、再来年の今月今夜… 十年後の今月今夜… 一生を通して僕は今月今夜を忘れん、忘れるものか、死んでも僕は忘れんよ!一月の十七日だ。来年の今月今夜、月が…月が…月が…曇つたらば、宮さん、貫一は何処かでお前を恨んで、今夜のやうに泣いてゐると思つてくれ。― 

第148回直木賞を受賞された安部龍太郎氏が、「1200年の歴史を持つ京の街に暮らして、目先のことに惑わされずに、本物になれと導かれた」と語られていた言葉が印象に残りました。

   ゆく水の流れの底の美しき小石に似たる思い出もあり    湯川秀樹
過ぎゆく日々の早さに、大切なものを見失ってはいけないと改めて思うのでありました。淡々と、しかし埋もれず流されず…。

コメント (6)
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