京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

「休み石」

2018年05月10日 | 日々の暮らしの中で

杜鵑の声が聞こえるかも、というので連日のように意識してみてはいるが、聞こえてくるのは鶯の声。
  佛飯のゆげにかさなる法を聞け(ほう ほけきょ)     ・・なんて、無理があるかな。

雨に見舞われ若葉寒のような不順な数日が一変、きれいな青空が広がった。


ミカンの花が満開だった。お腹が大きそうな野生の鹿が、木の幹をこそげていた。この機関車みたいな亀の見事な隊列。
出歩けば次々と多様なものが目に入る。ウオーキングの効用も計り知れない、などと意外と軽かった足元に気をよくして明日のことなど思ったりしていた。

   道ばたの石ころはいい いつも青空のもとにかがみ
   夜は星の花を眺め 雨にぬれても風でかわく
   それにだいいち だれでもこしをかけてゆく         (浜田廣介)
                
石ころになりたいなあ。石ころのような存在に…。蹴飛ばされるか。重みに耐えられるかが気がかりな…。
浜田廣介(1893-1973)が子供だった頃には、道ばたに「休み石」というのがあったらしい。重い荷物を背中にしょっていく人が、ところどころで腰をおろして休めるように、と。

気分がよかったのだな、この青空のもと。思わぬことを考えた。

コメント (6)
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