京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

「おばあさんのように生きよう」

2018年09月17日 | 日々の暮らしの中で

 〈 敬老の日の腰紐しかと結びけり 〉 96歳まで生きた鈴木真砂女の句を引いて、「力強く生きる術を探りたい」と新聞のコラムにあった。

    先日、映画「輝ける人生」を見てきたところだが、主人公・サンドラは傷心のまま姉の家に転がり込む。入浴中、サンドラはそっと胸元を覆うが、姉はその様を見ながら「気持ちを下げてはダメなのよ」と言葉をかけた。そして、「時には飛ぶことも必要」だとアドバイスも。映画のラストは、動きはじめた船に川岸からジャ~ンプ!のシーンだった。

好奇心を強く持って、気力を失わないようにと前向き志向できているが、そういつも頑張れやしない。「ガンバレ」は時に押しつけがましくて、人さまから言われるのはあまり好きではない。もちろん心の内では、ちょっとひとがんばりしようとガンバル。その思いが推進力になるわけで、マイペースのコツコツ派だから、どちらかと言えばそうやって生きてきた。だから、サンドラの姉が言った「気持ちを下げてはダメなのよ」の言葉を記憶に残した、その自分がよくわかる。こころにほんわかとした力を灯してもらった。このほんわかさが私には心地よいのだ。

ひと月に一度の集まりで尼講を楽しんでいる。80代、70代の方が大半の集まりだが、年齢順ではないが世の定め、会員が抜け数が減ってきた。何とか月一の継続を維持したくて声を掛け合い、若い70代の会員獲得に精を出されたことがあった。誘われた方も順送りだからという面もあろうが、高齢女性軍の結束力は見事だった。それぞれの役回りで準備したお汁をいただき、さんざんお喋りしては他愛もないことにいちいち大笑いし、そして家路につかれる。無理にでも笑うことはいいのだ。月に一度のパワーの結集基地になっている。

「男の老人はおおむねセッカチだ」と津野海太郎氏は書かれていたが、“女の老人”のほうが当面の変化にも長い目で見て対処するパワーを秘め、おおらかに生きていると私も見て感じることがる。何より女の集まりは朗らかだ。
過去にこだわらず、ゆったり生きるおばあさんに感心し、森毅さんが「もう自分が男であることにこだわる必要はないのだから、おばあさんのように生きよう」と言っておられたのは愉快だった。思い出してはクスリとしている。誰もが暮らしやすい社会になるだろうか。健康寿命は延びるかもしれない。
コメント (6)
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