京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

見ておくべきものは、やはり見たい

2022年10月01日 | 催しごと
若い日の夢はあきらめずにじっと抱いていないといけない。自分の身内に力の潮がみちてきたとき、必ずその卵は孵(かえ)る。どうしても形を成さない、しかし夢の一つにはちがいないというものは筐底(きょうてい)深く秘めておく。
――田辺聖子さんが書いている。

学生時代から文学散歩や社寺仏閣への関心が高まり、御朱印をいただくなどしてその足跡を残してもきた。法要や御開帳の縁にあずかり、聞法を重ね、時には心を整えるための参拝だったりもしたし、今も続く。ただ今はもう朱印帳を持ち歩くことはなくなった。数珠があればいい。

葉室麟さんが『古都再見』に書き残された「人生の幕が下りる。近頃、そんなことをよく思う。…幕が下りるその前に見ておくべきものは、やはり見たいのだ」の言葉が妙に私の心に住み着いてしまっている。だからではないが――。

5月初旬に滋賀県愛知郡にある湖東三山の一つ百済寺に参拝した折、10月に秘仏十一面観音菩薩立像の特別公開があることを知って、ずっとこの日を待っていた。10月初めの行動はここへ、と決めていた。





5月には、格子戸越しに美しい聖観音と如意輪観音像と出会え、聖観音像の足元に「拈華微笑」の文字がしたためられてあった。
聖徳太子による建立だと伝わる百済寺。奈良の飛鳥寺に次ぐ古さだとされる。

この簡素な本堂(江戸時代の再建)に、戦火を逃れ、守り伝えられたてきた十一面観音がおいでだ。人々の篤い思いあればこそ。同じように信長の焼き討ちから守り伝えてきた湖北の多くの観音像が思い起こされる。内陣に入れていただけて、お姿を拝す。






長く続くゆるやかな石段。苔むしたみごとな石垣。杉木立。突き当りの石垣の上に、ようやくのこと本堂が見えてくる。右に回り込んで、息を整える時間が要った。
「百済寺城」。広大な山域に立ち並ぶ僧坊の数は“一千坊”とも数え、惜しまれたとか。甲子園の20倍、京都御所の7倍の広さを誇ったものの、信長の焼き討ちに合い、壊滅状態とされた。



コメント (2)
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