京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

瀬田唐橋上の激闘

2022年10月03日 | こんなところ訪ねて
政権を二分した大内乱!
とは古代史最大の戦乱と言われる壬申の乱のこと。天智天皇が死去し大友皇子が新天皇になると、672年7月、吉野に隠棲していた大海人皇子は挙兵した。

吉野から伊賀、伊勢、美濃と移動し、岐阜県関ケ原の不破に拠点を置いたそうで、湖北経由で橋の東岸から大津京へと迫った。勢多(せた)橋が最終決戦の地となった。




橋の西側に立って写した写真。当時の勢多橋は現在の瀬田の唐橋より少し下流にあったという。ここを(川の右手から左手へ)渡って北上、大津京は近い。

読んだのがずいぶん以前の事で詳しく覚えていないが、勝者となった大海人皇子を主人公に描いた作品に黒岩重吾の『天の川の太陽』があった。
澤田瞳子さんの『日輪の賦』を開いてみたが、持統天皇の御代で、「大海人さまが亡くなられたのは、十年前の晩秋」という設定だった。
かつての大乱で大友皇子を自害に追い込んだことなど回想されてはいるが。


「壬申の乱1350年記念企画展 万葉の光と闇 -鈴木靖将絵画展」が開催されている。

この月末には三橋節子美術館での企画展があるからと誘われて、大津へ出たついでもあって瀬田の唐橋を見に足を運んでみたというわけだ。
『湖の伝説』で知った三橋節子。鈴木氏との縁も深いわけだが、大友皇子ゆかりの大友暢氏の講演があるというのが私には魅力だ。
それは橋を見に出かけさせるに足る力となった。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする