高野山、東の奥の院に対する西の聖域「壇上」の根本大塔は、コンクリート製でどっしりとした安定感がある。
一階の屋根の上に白塗りの亀腹をのせ、その上に円い欄干を巡らせて、二階の屋根をのせ、更に九輪の宝珠が天上に聳えている。朱色に白い亀腹が目立つせいか、けばけばしさで何度見ても馴染めず違和感を覚える。それでも内陣は好きで、2泊3日の滞在中に毎日一回は拝観した。
第94回目となる高野山夏季大学の日程のすべてが終了後、新大阪行きの直行バスが出るまでの時間を利用してやってきた。日中は30度にもなったが、この日は心地よい風が感じられた。
木立が影をつくるベンチに腰を下ろし、大塔を前に仰いでいたとき。思わず耳を澄ませた。そう、あの風鐸が鳴ったのだ。鳴った気がした。そうに違いない。明らかに金属音で、金蔵音にして軽やかな重みのある音色をひとつ、耳にした。空耳か。思いこみ、幻聴か。
聴きたい聴きたいと、ここに来る目的の一つにもなっていたものだから、空耳かもしれない。ところが、一つどころか、二たび、三たび、その響きを耳にした。風鐸が鳴ったのだ(と思いたい)。歩いていては聞き逃していたことだろう。
風鐸は屋根の四隅に、そして、宝珠から屋根の四隅にかけて張られた鉄線にも幾つかの風鐸が下がっている。地上で感じるよりは幾分か強めの風が、風鐸を揺らしてくれたのだろう。
雪が30㎝を超えて積もった高野山の壇上を訪れた寂聴さんは、「信じられないような清らな音を振りこぼしている」鐘の音を耳にし、著書で「天来の妙音」と表現されていた。いくつもの音が重なり合って爽やかな節をつくって、虚空にこだましながら広がり散ってゆく、と。聴きたい。私の一念、通じたか…。聞こえた! 聞こえた! 確かに聞こえた!と耳をそばだてていた私とは大違いだが、「天来の妙音」を耳に残して帰途についたのだった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます