『秋たけなわ。人並みに芸術を楽しむ意気が頭をもたげた。』
実はちょっと触発されたのでした。過去1度だけ知人に同行したことのある「写真展」。花鳥風月の類だったと記憶していますが、縁は薄かったのです。
「京都写真家協会展」
「もののあわれ」「はかなさ」を、写真という表現手段で感じてみよう、源氏物語の世界に近づいてみようという試みのようです。「源氏物語千年紀」としていろいろな文化的行事が展開されています。ただ「千年紀」は、再び巡り来ない“宇宙的遭遇の瞬間”と評されたりしています。
心象風景を、まさにこの一瞬とでもいったチャンスでとらえるのだろうか。
感情、複雑な情念の世界をどのように写真で表すのだろう、そんなことに若干の興味を感じて出かけてみました。
「怨霊吹く」「宵闇」「執着」「怨情」「恋心」「源氏香」「いのちの燦光」「うたかたの……」「千年?」「千年の追憶」「桂川にて一刻、千年を想う」「情炎」「欲情」「見返り……」…等々のタイトルが。
草や花に風の動きを添えて怨霊吹く様を、ホタルの乱舞に怨念、怨情を。
御簾が巻き上げられ賢木が投げ込まれた瞬間・野々宮神社・雲隠れする月の3枚組で第十帖「賢木」を。
千年という悠久の流れを川の流れに投影したり…です。
写真家としての技量、どうやってとるんだろうと素人を誘い込む多くの世界。
「女性は美しい、朝の御菩薩池(深泥池)もすばらしいのう」は3枚組で、朝まだ暗い池と周囲の山々を。紫式部は、この池の近くを通り、さらに北の奥の大雲寺へと行っているようですから、ロマンです。
京都御苑を抜けながら…。
「この世をばわが世とぞおもふ望月の…」と道長が歌ったところとされる土御門第跡地。近くに式部邸跡とされる蘆山寺もあります。彼女の御所への“通勤路”がこの近くだった…。
思わぬ触発を受け、かなり得した気分でタイムスリップ。
ひとひらの雲、とはいきませんでしたが、松の緑と、御所の上に浮かぶ雲も絵になり、青い空をまぶしく見上げながら、この美しい光景、お届けしたい思いでした。
(写真右側がその跡地に)
源氏物語、優雅な恋愛遍歴の中に、オドロオドロした「執着」・「怨情」・「情炎」みたいなものが渦巻いていたのでしょうね。
千年を経た今、当時を忍ぶ情念の世界を写真で…興味をそそられますね。
それに、やはり京都は、頭の中で描く歴史と地名が重なって、夢ふくらむ心地がします。
気持ちもふっくらしてきます。
あちらこちらで想像がかきたてられる…という魅力はありますね。
ここ御苑の北は、道路をはさんで同志社大学ですが、小松帯刀やその仲間があの時代をこの当たりで生きていたのか、などとも。
専属のガイドさん、予約しましょうか?
これまでの千年間、誰もめぐり合えなかった「時」であり、これからの千年である二千年紀は今この世に居るものには絶対訪れない「瞬間」ですものね。
正に「宇宙的遭遇の瞬間」です。
遭遇できるひとは瞬間であっても「源氏物語」そのものは、これから宇宙的な年月を脈々と生き続けるに違いありません。紫式部万歳です。
keiさんはお膝元ですから、関わりのある行事などに出向かれることが多いことでしょう。宇宙的瞬間を大いに楽しみ、意義深いものにしてください。そして今回のブログのように、「瞬間」のおすそ分けをいただけたら嬉しいです。
私はといえば、「源氏物語」一千年紀の記念切手を虫めがねで辿りながら、悠久の彼方に思いを馳せているところです。
特に「伏見・寺田屋」 「三条小橋・池田屋」の跡など、身を震わせながら散策したい誘惑に駆られます。
もちろん、専属のガイドさんは、その時が来たら予約を申し込みますよ。
時々バントヒットも打っておかないと打率がねー…。
この「宇宙的瞬間との遭遇」であることを改めて思いまして、そうだな!っと。ですから遅ればせながら、興味があれば見ておこうと。音楽、演劇、もろもろの展示物をはじめ、種々ありますね~。
そうですか…、虫眼鏡使用で奮闘ですね(笑)
素晴らしい秋晴れでした。
わたしも行ってみたことがありません。池田屋も。
ご一緒に、ではなく、一足お先に行ってみようかな…と。
今朝NHKで広島を訪ねた番組がありましたが。広島球場を訪ねていましたね。パンチ佐藤のおしゃべりも実感があって楽しめました。ご覧になりましたか。
借用料をお払いせねば?
あの物知りなバスガイドさんなどは、実際にその場所を踏破するんでしょうか、それとも机上の教科書勉強なのでしょうか。いずれにしてもいつも感心します。
私の京都専属ガイドさんは、優秀な方を完全予約済みだと思っています。
お連れさんを案内される前に、現地を勝手に散策されるのもいいかも…。もし伏見の寺田屋に行かれたらお登勢さんの顔を見てきて下さいね。などと勝手なことを……。困った田舎者ですね。