京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

痛くない死に方

2021年12月20日 | 映画・観劇

「映画でもみない?」 なんの映画を? 「痛くない死に方」でした。
在宅医療のスペシャリスト・長尾和弘著『痛くない死に方』『痛い在宅医』をモチーフに映画化された作品で、アンコール上映となっていたのに出会ったわけです。
   救急車
   在宅医療の
   夢こわす
「知らなかったことたくさんあった。救急車、呼ばんとこ」は、友人の感想でした。

病院であろうと在宅であろうと、自分らしくその人らしく最期を迎えるために、家族や医師、在宅医との関わりをどう上手に作っていくか。「救急車を呼ばない」という選択肢には、自分の“死に方”を近しいものと共有しておく生き方が問われてきそう。
ただ同時に、人生誰にでも唐突は訪れるものです。自宅の畑で栽培した日野菜の漬け物を刻んでいて、頭が痛いといって倒れた弟。脳幹出血で手の施しようがなく、一週間後の12月8日に帰らぬ人となってしまいました。血圧が高いとわかっていたことからすれば、唐突ではなかったのかもしれないですが。

胃癌で手術し、余命を宣告されて入退院を繰り返した母。31年前の11月25日、この世の最後に長いひと息を吐いたまま、二度と息をすることなく逝った母の姿も眼裏に浮かぶのでした。痛みを抱え一人寂しく過ごしたであろう病院での夜々に、亡き後いっそう何度も思い馳せたものです。母が家に帰りたいと言ったとは聞いていない。

多くの場で自己決定が求められる世の中になっています。「断捨離」という言葉をあまり好まない私は、なるようにしかならない、そんな思いを捨てきれずにいるし、「終活」という言葉も遠ざけ気味です。けれど、成り行き任せではいられない。自己決定、これは案外きついことですが、自分が大切にする価値観の反映です。自分の死に方まで…、か。

京都西陣の地で在宅医療の先駆者だった早川一光先生。80歳過ぎて自宅で開設した「よろづ診療所」は患者さんや家族の話を「聞く医療」だったという。10年後、自らの病に仕事を奪われた。地元紙で連載されていた記事の中で心に残るのは、「生きるって受容の連続ですな」という言葉です。。
受容する。時には自分の心と折り合いをつけ、自分の価値観を認めてもらったうえで、最後はおまかせじょうずが大切な姿勢なのかと思ったりするわけです。
もちろん、人任せ、と勘違いしてはならない。うーん、「死に方」、ほとんど真剣に考えたことはないままです。
なんてタイトル!?って思いましたものの、いろいろ考えるヒントをいただきました。


ちょっと書き過ぎたかもしれない。書き過ぎると大切なもの、ことが消えてしまうから…。
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