この1年ばかり交流をいただいてる方から『米寿の万華鏡』をいただくことになった。ご本人は、誕生日を迎えられ今年90歳におなりだ。
歴史が好きでさまざまな会の仲間と各地を歩き、山登りも長く楽しんでこられた。ただ、昨年に奈良の高取城跡に登ったところ、もう少しで山道を下りきる手前でしゃがみ込むことになったとか。初めての経験をされたことを伺ったばかりだが、自らが立ち上げた会を退会されたという。背筋が伸び、素敵な紳士である。
煮野菜が良い、青魚が、海藻が、キノコが、ブロッコリーが、更には納豆が、アボガドがよい、とテレビで情報を仕入れた奥様によって、せっせとこれらの食品が食卓に上がるのだそう。人はどのように心に力をもって老いと向き合って生きていくか、とお話だった。
喜寿を迎えた12年前にも上梓されている。書きためたエッセイがずっしり詰まっている。俳句と俳画を巻末に。装丁も素敵。「一代」が詰まった、重く、立派な一冊をいただいてしまった。
こうした個人史的な出版物は、先方さんへの関心度が全てかなあ。小説を読む時のようなわくわく感もないし、いつの間にか誘い込まれているという快感もないんだけどね…。一人の大事な人との会話を楽しむ。こういうべきか。ご縁をいただいたお方の来し方、足跡を、ぼちぼち拝読させてはいただいているのです。
「もったいないことをおいいでないよ!」、なんでしょうね…。
ところで、どんなお礼をしたらいいのでしょう。
生ある限り力を尽くすもまた立派とも。
迷惑をかけるようになったら
それは引くしかないと思います。
私にも90歳の友人(女性)がいます。
運転もし、矍鑠としています。
その友人に「矍鑠」は男性のみ
に使える言葉と注意されました。
それはいまもって疑問に思っていますが。
最近若い友人から句集もらい、この90歳友人からも著書もらいましたが(昨年)
どちらもすぐお礼の言葉と、
読み終えたとき感想を述べただけです。
90歳の友人の本「戦中戦後を生きた90歳の手記」はアマゾンで一冊購入して
知り合いに贈りました。
それで頂いたお礼に代えました。
すみません!長くなりました。
ここ数年で「けじめ」をつけておられるようです。
「潮時」と見極められて、身を処すのも立派なことですね。年月が堆積された重さにたじろぎました。
ですがここにこうして記してみて、言葉を通していただいた縁、
氏の思い出の器のページを繰っていこうと思い直しました。積極的に。
感想がお伝えできるくらいには読ませていただきます。
ありがとうございました。
そんな素敵な先輩との出会いは、やはり一つの重みを感じられることでしょう。
そんなお方の生きざまをのぞかせていただく個人作品集。
まさに小説や単なる物語に寄せる期待とは異なる感情で対峙されるのでしょうか。
私の少ない経験の中では、字面を素直に読み取っていかれると、筆者に喜んでいただけるのではないか…などと。
さてどうなんでしょう。
より現実的な物語、でしょうか。
「字面を素直に読み取って…」、感想はお伝えしようと思います。
ありがとうございます。
歴史にまつわる話はゴールを知らず、でちょっと困るときも。
でも、歴史を知っていると家の前の道でもただの道ではなくなる、
という楽しさを分けていただけますから楽しいことです。