気温20.9度。この頃は朝の目覚めが早くなり、そのまま起き出す日が増えてきた。
「一刻千金」、一分一秒を惜しんでなどとは思ってもいない。
映画「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」を見た。
なんとも大変な時代に、強い決断力を示して国の舵取りをしてきたものだ。
国のために生きた11年間。認知症を患い、幻覚や回想の中でドラマは展開している。滲む彼女の涙はせつないが、立派な人生だ。
最近、父の最期を思い出すきっかけになることがあったのだが、父は母を送って3年後、くも膜下出血で行きつけの医院で倒れた。長い時間をかけて目覚めた父に、私を娘だと認識する能力は残されていなかった。「かあさん」と、死んでもういない母を呼ぶ姿も悲しかったが、「今日姉さんの事をお寺の奥さんが来たって言ってたよ」と、弟から聞いた時の驚き。父にとって目の前にいる私と「お寺の奥さん」とは一緒ではない。こうした言葉が出る不思議…。
記憶が断片化されたり蘇ったり、潜在的な意識との関わり…、いったい脳の仕組みはどうなっているのだろう。
ふと我にかえれば、昨日何をしていたかもすっと思い出せないことがある。あれこれ友人とおしゃべりして、物忘れの度合いを笑い合った。必要以上に不安になって恐怖心で占領されるのも考えものだ。とにかく毎日の暮らしを丁寧に暮らすことか。
「物事は記憶せず記録する」と梅棹氏。心の内面より、毎日の出来事を客観的に記録しておくという教えだ。やはりそうか…、前夜は寺の世話方さんの寄り合いだったこと、書き残しておこう。
そんな思いのする我が脳の仕組み。
あの人と比べたらスカスカなんだろうかとか、ウーンあれの人よりは少しマシなのではなかろうか・・・などと(笑)
やがて間違いなく劣化してやがては使えなくなるのかもしれない。
そんな思いがあるだけに、“毎日の暮らしを丁寧に暮らすことか”という結論に落ち着くようですね。
ブログもその中に入りますか?
一時ブログやめていましたが、茂木健一郎さんの老人のボケ防止にP・C、ブログがよいとの話を聞き、再開致しました。
皆さんには私のボケ防止にお付き合いいただいているわけで申し訳ございません!
父はGHQ時代の事をよく口にしていたようです。
祖母も伯母も長生きしましたしそれなりに記憶力も働いて…。
だからどうと言うことでなく人それぞれ、毎日その日を丁寧に暮らしたいですね。
歩くこと、しゃべって食べて口を使う、いいようです。
今では、歩きに出る時間をもったいないと思わなくなりました(笑)
夫の幻覚が現れる深層心理、家庭人としての顔を覗いた思いです。
国の舵取りのために決断していくセリフの一つ一つ、重いですね。
「不退転…」という言葉が葦の小舟のようです。
ブログには相当なエネルギーを使いますでしょう。
脳、頭も指先も駆使して、おしゃべりして、心もあちこちに飛びますし、いいですよね。
様々な記録ができますね。
母が倒れて高熱から覚めたとき、一時的に惚けて呆然と
しました。こんなことがあるのか....と思いました。
私も最近、かなり忘れます。
メモすることを忘れてしまう私ですよ..
サッチャーさん、良かったようですね。
偉人でも認知症になるんですね....今を大切にしたいです。
娘として本当に悲しい思いはしましたが、受け入れるしかありません。
リハビリを重ね、自宅への話が出始めていたのですが亡くなりました。
あれ、今何を考えていたんだったっけ?なんてこともあるのです。
誰にでもあることだろうと、そう気に病んではいないのですが、困ったことですね。
日々どう楽しく張りのある日々にするかですね。大切に過ごしたいものですね。