京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

私の粘りどころ

2022年12月13日 | 日々の暮らしの中で

これっきゃないクリスマスグッズ。
母の手術、入院を見舞いに実家に戻ったとき、病院帰りにまだ小学生だった子供たちへの土産にと新御茶ノ水駅付近の店で買い求めた。
毎年思い出すタイミングはバラバラでも、これしかないだけに一年に一度、そっと身近に飾り置いている。

今年はクリスマスプレゼントを贈るのはちょっとごめんしてもらうことにして、その代わり、自分のために何冊か欲しい本をまとめて買い求めることにした。

まずは、これまで小説ばかりを追ったが、好きでありながらなぜか難解さが立ちはだかる古井由吉作品。
小説のほかには『文学の淵を渡る』で二人の対談を読んで以来になるが、
津野海太郎さんが『最後の読書』の中で引用していた一節に親しみを覚えてエッセー集『楽天の日々』と、講演録、エッセイ、芥川賞選評が収められた『書く、読む、生きる』とを。


大江氏は言われていた。「古井さんの作品は明快で難解だという風に思っています。文学は言葉で書かれる。僕たちは,言葉の塊に向かっていく。その道筋が難解でも、ついに明快に、確実に、ある言葉にたどり着くことができれば、愉快な気がする。明快な言葉がどうして難解になるかというと、言葉がその人自身の形を持っているからだと思います。(後略)」

講演録の中に見つけた興味を引く言葉。
「私の小説は多くの場合、少し随想のような部分から始まります。そこからなんとか小説を浮かび上がらせようとする。……この随想風な部分は『渡り』や『渡し』というようなもので、そこで小説の中にいささかの展開の出るのをじっと待つのです。ここが作家としての私の粘りどころでもある…」(『書く、読む、…』)

『塞王の楯』も含め、これらへの投資は新たな年の楽しみのための準備です。

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