つつましい日常生活の中にも充実感はある。
パラッと開いた『漢語日暦』(興膳宏)の、12月の章に言葉はあった。
『論語』述而篇の一章にある孔子の言葉を引いて。
月に一度、子や孫にもあたる年代の人たちと出会い、世代を超えて文章仲間が集う。
楽しみに待つには、合評を得るために自分の作品を仕上げておくという前提をクリアーしておきたいのだけれど、それができなくて(書けなくて)、ひと月スルーということも、まあ、たまには生じてしまう。
今年最後の例会後、この1年の互いの努力をたたえ合おうと、ささやかな懇親会を開く。
互いにどう結び付けばよいのか、考えさせてもらうことは多いが、きっと何かを生み出していると信じている。
時節柄プレゼント交換をとなっていて、北風が冷たい日になったが、3人で待ち合わせて四条へ出た。
金額の上限を決め、お金はかけずに気持ちを包むことを約束してある。思いの品を三様に手に入れて、あとは目的のないお喋りが待っていた。
〈才不才は生まれつきのことであるから、人の力ではどうしようもない。しかし大抵は、不才の人といっても怠らずに努力し続けさえすれば、それなりの功はある。学び方には、そう深くこだわる必要のないものだ。結局のところ、学問においては長い年月、いやになることなく励み努めることが肝要だ〉
本居宣長さんが言っていたのを思い出す。不才でも努力次第ということであれば、私でも…。
努力の日々にも充実感はあるものよ。
パラッと開いた『漢語日暦』(興膳宏)の、12月の章に言葉はあった。
『論語』述而篇の一章にある孔子の言葉を引いて。
月に一度、子や孫にもあたる年代の人たちと出会い、世代を超えて文章仲間が集う。
楽しみに待つには、合評を得るために自分の作品を仕上げておくという前提をクリアーしておきたいのだけれど、それができなくて(書けなくて)、ひと月スルーということも、まあ、たまには生じてしまう。
今年最後の例会後、この1年の互いの努力をたたえ合おうと、ささやかな懇親会を開く。
互いにどう結び付けばよいのか、考えさせてもらうことは多いが、きっと何かを生み出していると信じている。
時節柄プレゼント交換をとなっていて、北風が冷たい日になったが、3人で待ち合わせて四条へ出た。
金額の上限を決め、お金はかけずに気持ちを包むことを約束してある。思いの品を三様に手に入れて、あとは目的のないお喋りが待っていた。
〈才不才は生まれつきのことであるから、人の力ではどうしようもない。しかし大抵は、不才の人といっても怠らずに努力し続けさえすれば、それなりの功はある。学び方には、そう深くこだわる必要のないものだ。結局のところ、学問においては長い年月、いやになることなく励み努めることが肝要だ〉
本居宣長さんが言っていたのを思い出す。不才でも努力次第ということであれば、私でも…。
努力の日々にも充実感はあるものよ。
天才は1%のひらめきと、99%のの努力。
エジソンさんがおっしゃったとか。
努力できるのも能力の一つでしょうか?
文章仲間>句会のように自作持ち寄って
夫々が意見述べ合うようですね。
Lukas君、来年1年生おめでとうございます。
確か誕生は日本でしたよね。記憶違いでなければ。
一気にブログ読ませていただきました。
枯蓮、初めて見ました。怖い感じですね。
揃って枯れているのがより怖さを増しています。
最近はすべてのことがのろまになって1日が早く
暮れていきます。
老人が時間を持て余さないようにと、親切なことです。
ご紹介、ありがとうございました。
お互いの自由投稿を認め合う、ブログ交流、いいものですね。
応援ポチ(全)。
一日が早く暮れる。時間を持て余さないように…。
なるほど、と思ってしまいました。
老人の日常には、努力の引き金となるような野心や欲望、
責任感・達成感などによって刻まれる、強いリズムは存在しない。
「努力」という処方は通用しない。
などと津野海太郎さんが『最後の読書』で書いておられました。
これにもまた共感しながら、そうした日常にも
つつましやかな充実感を得て生きたいものと思うのでした。
老人、老人と言葉は多出なのですが悲壮感などなく、
読書にこだわることなく話題にはわが身を重ねました。
蓮の葉のこうした姿も自然な成り行きですね(笑)
この時期に出会うのもちょっとしたタイミングです。
ブログの数だけ様々なスタンスがあるのでしょうね。
私も初めて見ました。
少しですけど、動いているので目を見張りました。
高島屋のツリーはこちらでも同じでした。
クリスマス、よいことあるといいですね。