京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

海も白い 道も白い 家も白い

2023年04月25日 | 日々の暮らしの中で
房総半島の御宿は東京の知識人や芸術家に愛され、重い悩みを抱えてふらりとやってくる人が続いた。迎える土地の人々は自然体でおおらかだった。素朴な漁村の魅力が口伝てに広まり、人が人を呼び、作家が作家を呼んだ。

大正7年、立教大学の学生だった加藤まさをが転地療養でやってきた。
前後して尾崎士郎が東京の生活に窮して逃げてきている。作家志望の逃亡仲間が二人いた。
御宿の砂漠を思い浮かべ、童謡「月の砂漠」を生み出した加藤から20年後、昭和13年には16歳だった谷内六郎が母方の遠縁にあたる船大工を頼ってやってきた。
喘息の発作の苦しみと治療薬の副作用を抱えていたのだ。


ある土地を介して生まれる人と人との縁。生きる希望を見いだそうとした人々は病と闘う療養の身ではあったが、御宿での日々には人生の時間の豊かさを感じ得ていたのではないだろうか。

自分も作家として新生に挑もうと覚悟が生まれる。
とこれは乙川優三郎『地先』に収められた1篇の小説…。

谷内六郎の『遠い日の歌 谷内六郎文庫②』があったのを思いだし目次を追うと、もう忘れていたが「上総の海」と題した小文があった。


自分が描く絵に千葉の外房の風景が多いのは16、7歳から外房の借家で過ごした思い出が出てくるせいだとし、心のナイーブなときに吸収したものからは容易に一生抜け出せないものかもしれないと書いている。
どんなに背伸びしても、自分の持っているものしか出ないに決まっていると。

中村八大氏の名曲つきになっている房州のうただとして、
  海も白い 
  道も白い 
  家も白い 
  夜明の上総は 
  磯蟹だけ真赤

  空も青い
  海も青い
  上総の町は貨車の列
  火の見の高さに 
  海がある

「これをボクの上総風景詩の決定版として、よく色紙にスラスラ書くけど、あまり人はよろこばないようです」

父が通勤電車で読む「週刊新潮」の表紙絵が谷内六郎を知った始まりだったと思う。
乙川作品にはしばしば房総の地が小説の舞台に登場する。
内房ではあったが夏には家族で海水浴の思いでもあり、まあちょっとした親しみの一つかもしれない。

雨がしずかに降ったりやんだりの一日で、お使いの用もなく家に籠って過ごしたせいか長い一日だった。

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