京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

辻々で別れ別れて

2024年11月25日 | 日々の暮らしの中で

畑の土をつけたスグキナを山のように積み込んだトラックが走り、こうした重しですぐきの漬け込み作業にかかるお宅を時々目にするようになった。「天秤押し」というのだそうな。                  

今日は母の祥月命日。
お内仏の花を立て替えるのに松を真にして、この日ばかりは母を偲んで、母も好きだったダリアの花で色味を添えた。

「人は生涯がだんだんに詰まるにつれて、何かの折に、境遇によっては自分がたどることになったかもしれない別の生涯を想って、ほんのつかのま、それに惹かれることがあるらしい。」と古井由吉さん(『楽天の日々』)。
必ずしも後悔の念からではない。別に現に歩んできた人生より華々しいとは限らない。「生涯の郷愁のごとき情」、と言われる。

「人はどこかの辻で自分と左右に分かれた、もう一人の自分がいる。高年に至れば、あちこちの辻やら角やらで別れた自分の分身の、数もふえる」
身に覚えのある事がさまざまでてくる。

御茶ノ水駅に近い病院に入院していた。この界隈は好きな場所の一つだったし、母亡きあと何度か病院の近くを訪れては、母が最期を迎えた部屋はあのあたりと上階の窓を見あげたことがあった。
64歳で亡くなった。恩は返せるものではない。ただ謝するのみ…とはまさに!


先ごろなぜか書棚から取り出した『京都うた紀行』(永田和宏 河野裕子)は、地元紙に連載されたものがまとめられている。
2008年7月から2年間の連載を終えてほどなく、河野さんは64歳で亡くなられた。
初回の連載が紙上に載るのと前後して乳癌の転移・再発が告げられたというから、時を経ての読み返しは時に涙が誘われる。

放火とみられる出火で焼けた本堂も、黒く焼け焦げた本尊も復元された寂光院に出かけたとき。
人々の何百年の祈りを御身に吸いとってきた存在である古仏に、手を合わせ深く頭を垂れた。
そして添えられた歌が
   〈みほとけよ祈らせ給へあまりにも短かきこの世を過ぎゆくわれに〉 
だった。

あちこちに分かれた似たような顔を増やしながら、
「あまりにも短かきこの世を過ぎゆく」われら、でもあるのだろうな。

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