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「はーい、ようお参り」。
帰り際、若いご住職からこう言葉をかけられた。奥から、言葉だけが届いた。
婦人会で寄った散会時のことで、十数人の中の一人に過ぎない私(たち)だが、何かとてもぞんざいに扱われた気分が残った。別に、なに様でもないのだからいいようなものだが、一日を共に学びに過ごした座を思えば、顔ぐらい出されても良さそうだと思ってしまった。
日常は会釈、時に少し深々とした形での挨拶が多いが、改まって出向いたり、客人を迎えるときの挨拶には心している。送るときも然りで、義母を真似ることから身につけたものだろうか。
伺った先の座敷で、相手が頭を上げるタイミングなど見計らいつつも、丁寧に頭を下げ挨拶を交わすことは、その日その場での自分を立ち上げるためのちょっとした「間」になる気がする。帰り際には、共にした時間に区切りをつける思いがある。出迎え、見送る。心の一区切り、けじめをつけるのに役に立っているのだろうか。まっ、心していこうっと。心は形になって表れるもの…。
怠らで咲いて上がりしあふひかな 才麿
タチアオイが咲くのを見ると、いつもこの句を思い浮かべる。まっすぐに伸びた茎に、花は下から順番に咲いていく。
改めて、ありがとうございます。
「ナムアミダブツナムアミダブツナム…」と唱和して座は散会です。
出席率の悪い私は、なん十年経とうというのに場慣れせず疲れを感じてしまいます。
義母は出がけに「はようおかえり」と。
ゆっくりしてきたいのに、嫌だなと思ったこと何度もありました(笑)
外側からの観察に過ぎない、ということなのでしょうね。
今では思いが詰まった句をたくさん詠まれてらっしゃって、
このあたりで再挑戦もありですね。
私のコメント入ってませんでしたか?
あれれ〜という感じです。
いろいろと書きましたが、消滅していますね。
で、みなで共有した時間の最後は笑顔で「おつかれさまでした」とか…。
今、マッサンの再放送みていますが、エリーの
「いってかえり!」が好きです。
立葵のことも書きましたが消えちゃいました..。
すてきな句ですよね!
私も立葵で詠んだことがあります。俳句に入ったころですが、師匠に「そのまんまです」と言われて
それ以来、立葵を詠んでません〜〜。
そうでしたか、会津若松市の花なのですね。
積み重ねの上に一つ、また一つと咲いていくようですね。
先日地域の銀行に行きました折、蝶の標本が展示されてまして、
その文様をまじまじと見入って、ひとつひとつの美しさに目を見張るという、
私にしては珍しい体験をしました。
マッチャンさんのことがふと思い浮かびました。
野山を巡るにも、くれぐれもお身体大事にお過ごしくださいませ。
〈まっすぐに伸びた茎に、花は下から順番に咲いていく。〉
何か教訓めいた・・・。
最上部に花が咲くと梅雨が終わると言われているそうです。
アオイは中国辺りから入ってきた花ではないでしょうか。
なかなか華やかに咲きますね。
寺生まれ寺育ちの義母は、坊守の集まりに出るのを嫌がっていました。
私もそれを受け継いで?しまって…。 苦手です。
揃って同じようなことを口にされますから、どうも耳に苦手です。
座って手をついて、簡素ではあっても丁寧にあいさつを交わす場は、日常そう多くはありません。
身についた作法が、全ての行動や人間関係に滲み出ることに、作法の値打ちがある、と(笑)
私はガサガサしてしまいますから、せめて心して~。と改めて思いました。
ぐらぐらっとした揺れを2回ほど。ドキーっとします。
この句は初めてで またメモさせてください(^-^)/
出迎えて時を共有、 心を切り換えて見送り…感謝をこめての挨拶は
日々の時間を大切にする事になるのだなぁと感じました
余震は時々ドーンとあるのではないですか?
蒸し暑いですねぇ お気をつけください。