全国皇后杯女子駅伝のコースにも入っている白川通。ランナーは国際会館の折り返し地点までに白川通で高架橋を渡るが、その少し手前から東へ修学院離宮道を音羽川沿いに進んでいくと、
やがて門が閉められたままの林丘寺の門前に立つことができる。
もうずっと堰堤の砂防工事中なので、川を隔ててで近づくこともできない。
「洛中から北東に一里。比叡の山裾に立つ林丘寺」は「歴代皇女を住持にいただく比丘尼御所(門跡)」で、「創建は36年前、後水尾上皇が営んだ修学院山荘の一部を寺に改め、上皇の第八皇女・緋宮光子内親王こと元瑤尼を開山として迎えた」のに始まる。
『駆け入りの寺』(澤田瞳子)の舞台である。現在元瑤は83歳、姪の元秀21歳に住持を譲っている。
仏事としての役目を担う「奥」と、その運営を司る「表」に大別され、表には朝廷から御内(家来)が派遣されていて、奥の尼たちを守って日々過ごしている。四季折々の行事もすべて宮中に倣うのが慣例だという。駆け込む女がいたり、様々な問題が比丘尼御所内でも持ち上がる。
「なんとまあ、大にぎにぎや(にぎやかな)と思えば、そもじたちであらしゃったか。これ、円照。かようなところで、何をむつこうて(泣いて)おわしゃる。」「いや。おにつこうて(怒って)いるのではない」
よく聴いて、語るだけ語らせて言葉を引き出して、何とも不思議な柔らかさ、あたたかさで受け止める元瑤が魅力だ。彼女の御所言葉の柔らかさが心地よくもあり、『熱源』とは全くの別世界を楽しませてくれる。
青蓮院の里坊から出た火事にまきこまれ下男として働いていた両親を失い、乳飲み子だった静馬は林丘寺に引き取られた。7歳で上賀茂村の鍛冶屋夫婦を養父母としたが、元瑤を慕う静馬は馴染めずに長雨の中、寺まで一里の道を歩いて帰った。その半日後、川は氾濫し養父母の家を含めた数十軒が濁流にのみ込まれてしまった。雨の中、7歳の子が上賀茂の地からここまで歩いて帰って来たのか…と、来た道を振り返った。
25歳になった静馬。〈目の前にある現実を捨てたところで、過去は必ずその身に付きまとってくる〉。自責の念を抱える静馬の思いが物語に大きく投影されている。
修学院離宮を北隣にしたここは歴史的風土特別保存地区となっていて立ち入りが禁じられている。おそらくこの道から右手奥方向に?寺の総門へと向かえるのではないだろうか。と想像。このあたり、赤山禅院へ、あるいは曼殊院から詩仙堂、さらには金福寺へとも足を延ばせるお気に入りの散策路だ。
7編の連作短編集のうち2編を読み残しているが、堅く閉ざされたままの門の向こうに、そうあったかもしれない描かれた日常を、人の動きを想像するのだった。
京の土地や風土の歴史に縁のある作家が描く。だからこそこの比丘尼御所の物語は私にとって魅力も増す。
金網越しにいつまでも眺めるヘンな人かもしれないが、とても楽しいことのひとつを得た昨日の日曜日だった。
やがて門が閉められたままの林丘寺の門前に立つことができる。
もうずっと堰堤の砂防工事中なので、川を隔ててで近づくこともできない。
「洛中から北東に一里。比叡の山裾に立つ林丘寺」は「歴代皇女を住持にいただく比丘尼御所(門跡)」で、「創建は36年前、後水尾上皇が営んだ修学院山荘の一部を寺に改め、上皇の第八皇女・緋宮光子内親王こと元瑤尼を開山として迎えた」のに始まる。
『駆け入りの寺』(澤田瞳子)の舞台である。現在元瑤は83歳、姪の元秀21歳に住持を譲っている。
仏事としての役目を担う「奥」と、その運営を司る「表」に大別され、表には朝廷から御内(家来)が派遣されていて、奥の尼たちを守って日々過ごしている。四季折々の行事もすべて宮中に倣うのが慣例だという。駆け込む女がいたり、様々な問題が比丘尼御所内でも持ち上がる。
「なんとまあ、大にぎにぎや(にぎやかな)と思えば、そもじたちであらしゃったか。これ、円照。かようなところで、何をむつこうて(泣いて)おわしゃる。」「いや。おにつこうて(怒って)いるのではない」
よく聴いて、語るだけ語らせて言葉を引き出して、何とも不思議な柔らかさ、あたたかさで受け止める元瑤が魅力だ。彼女の御所言葉の柔らかさが心地よくもあり、『熱源』とは全くの別世界を楽しませてくれる。
青蓮院の里坊から出た火事にまきこまれ下男として働いていた両親を失い、乳飲み子だった静馬は林丘寺に引き取られた。7歳で上賀茂村の鍛冶屋夫婦を養父母としたが、元瑤を慕う静馬は馴染めずに長雨の中、寺まで一里の道を歩いて帰った。その半日後、川は氾濫し養父母の家を含めた数十軒が濁流にのみ込まれてしまった。雨の中、7歳の子が上賀茂の地からここまで歩いて帰って来たのか…と、来た道を振り返った。
25歳になった静馬。〈目の前にある現実を捨てたところで、過去は必ずその身に付きまとってくる〉。自責の念を抱える静馬の思いが物語に大きく投影されている。
修学院離宮を北隣にしたここは歴史的風土特別保存地区となっていて立ち入りが禁じられている。おそらくこの道から右手奥方向に?寺の総門へと向かえるのではないだろうか。と想像。このあたり、赤山禅院へ、あるいは曼殊院から詩仙堂、さらには金福寺へとも足を延ばせるお気に入りの散策路だ。
7編の連作短編集のうち2編を読み残しているが、堅く閉ざされたままの門の向こうに、そうあったかもしれない描かれた日常を、人の動きを想像するのだった。
京の土地や風土の歴史に縁のある作家が描く。だからこそこの比丘尼御所の物語は私にとって魅力も増す。
金網越しにいつまでも眺めるヘンな人かもしれないが、とても楽しいことのひとつを得た昨日の日曜日だった。
頭のどこかに記憶が残っているような?
歴代皇女云々が私の関心を引いたのかもしれません。
若しかして葉室麟さんの「洛中洛外をゆく」かと
思いましたが違っていました。
京都大好き人間の妹のおかげで
曼殊院、詩仙堂等々、観光地の相当部分を知りました。
1冊の本から思いが広がりますね。
京都にお住まいで羨ましいです。
人を羨むのは「教養人」のすることではないそうですが
私は教養人ではありませんから
その点大手を振って羨めます。
当地は、午後から雨という予報ですが、現在、穏やかな日差しで暖かです。
京都は、何処を見ても「歴史」があり、思索するには最高の場所ですよね・・・ところで、文中に「賀茂村」という名称を見て、そう言えば、伊豆にも「賀茂」が付く場所があると気が付きました。
(以下、ウィキペディアから)
遅くとも和銅3年(710年)までの間に伊豆半島西岸に那賀郡が成立している。(以下略)
祭祀遺跡や式内社が多く、また伊勢神宮領の蒲屋御厨があるなど律令国家の祭祀との結びつきが強かったことが示唆されている。(以上)
伊豆には、結構、奈良時代を思わせる(あくまでも個人的意見)地名が残されていたのですね、でも、最近の地名変更等でありきたりに改名され、歴史が忘れ去られるようで残念です。
「ウィキペディア」の中で、「那賀郡」という名称の場所が、現在の「賀茂郡」になった関連性は分からない・・・とも書いてありました。
この門からは想像もつきませんが、数々の蔵が立ち並ぶ豪華な寺域だったと描写されています。
縁切りの駆け込みなど比丘尼寺には無縁だったようですが、そこに一人の女が駆け込んできます。
縁切りといいますと、井上ひさしの「東慶寺花だより」が面白かったです。
映画にもなりました。
史実をもとにしての作品世界ですのに、つい誘い込まれては酔ってしまうようです。
昔は険しかったでしょうが、この先をもウ少し奥に進みますと雲母坂と言う比叡山への登山口になります。
叡山と洛中を法然や親鸞も往来した道です。
連載で、毎夜六角堂へ通ったシーンが思い出されます。
なるほど!「伊豆町上賀茂郡、下賀茂郡」とありますね。
以前「徒然草」の講義を受けておりましたが、その先生が賀茂氏の研究をされていまして、
ちらっとお話もあったのでしたが耳をスルーしてしまいました。
こちらには下鴨神社と上賀茂神社とがありますが、その賀茂氏の関連での地名かと思い浮かぶ程度で詳しくわかることはありません。
歴史を映すような地名は大事にしたいですよね。消えるのはもったいなく残念です。
宮城谷正光氏が、歴史を知っていると、どんなに殺風景に見える道でも退屈しない、
とか言われていましたが、まさにその通りですね。
読んでみたいな~です(*^^*)
今一杯本だらけで(;^_^A少し購入を自重しなくては(;^_^A
>、歴史を知っていると、どんなに殺風景に見える道でも退屈しない、
とか言われていましたが、まさにその通りですね。
コメント欄の、この言葉に胸を打たれました。
私は、どちらかというと奈良大好き人間なのですが、京都だって好きです。
↑で葉室さんの『洛中洛外を行く』の本があげられてますが、私持ってます(*^^*)
なかなか、アチコチ行けませんが、一昨年比叡山へ行ってきましたよ。
記事削除してしまいましたが、京都からでなく、琵琶湖方面から参りましたが。
『熱源』の酔いを抑えてから読み始めた作品ですが、その都度酔いを感じております。
澤田瞳子作品をしばらく読み続けるつもりでいます。
『洛中洛外を行く』は読んでいないのですが『古都再見』もいいですよ。
光秀ゆかりの坂本から登られたのでしょうね?
中学校の修学旅行で京都奈良を訪れましたが、比叡山にも寄りました。
まだ展望台が現役でした。
はい、読みました。持ってます(*^^*)
「忍ぶ恋」も入ってますね(*^^*)
私は忍ぶ恋というと、すぐ『葉隠』が浮かぶのですけど(;^_^A
小説が少ない私としては葉室さんのは多く読んでます(*^^*)
私は記事をどんどん削除してますが・・・
一昨年の石山寺から比叡山の記事は書いたのです(;^_^A
残念だったのは時間が無くて(友人が早く帰らねばいけなくなり)紀貫之の墓所を見られなかったこと。
奈良、京都とともに滋賀の都にも憧れてます。
今後も記事楽しみにしております♡
葉室氏の小説は5冊と読んでいなくて、「忍ぶ恋」は読んでないですね…。
好きだったのは「銀漢の賦」です。(こういうの好きなんです)
「古都再見」は68編の随筆集なんですよ。
「人生の幕が下りる前に見ておくべきものは、見ておきたい」とありました。
氏の歴史観、視点、知識教養の広さ深さに触れました。
早くに亡くなられてしまい残念ですよね。
関東にお住まいですよね?
京都、奈良、近江への憧れをわかるようです。若い頃そうでしたから。
またゆっくり旅ができる日が戻ってほしいですね。
行きたいところを書き出す工夫。言霊や思いがこもって実現に向かうといいですね。
ありがとうございます。