布団着て寝たる姿や東山 服部嵐雪
前書きに「東山晩望」とあって、夕暮れ時の、京都の東に連なるなだらかな東山三十六峰の稜線が「まるで布団を着て寝ているかのようだ」と詠まれている。
東山三十六峰とは通説では比叡山を第一峰とし三十六峰目の稲荷山に続く山並みを言い、鴨川のほとりに「山紫水明処(どころ)」という書斎を建てた儒学者・頼山陽の命名だと伝わっている。
上・左端の比叡山から第11峰目の如意ケ岳まで
下・如意ケ岳(大文字山とも呼ばれる。火床が茶っぽくわかるでしょうか)から・・・なだらかに続いて・・・・・・稲荷山へ
鴨川に架かる北大路橋から河川敷に降りてみた。橋の上からでは、比叡山までは目に入らない。
不要不急ではあったがMARUZENまでぶらっと出かけた帰りに立ち寄ってみたのだった。ただちょっと寄り道してみたくなっただけだが、ここは何にもないが「公園」と呼ばれるところで、書店での立ち時間が多かった足の疲れを休めることにした。もう長いこと休憩目的で店に立ち入ることはしていない。
おいしいコーヒーをいただくことも確かに幸せな瞬間かもしれないが、私にはこうして心休まる景色を眺めて、物思うひとときがとっても豊かな時間に感じられる。それを安上がりな人だと、喜ぶ人がいる。
布団を「着る」と「かける」。金田一京助さんが触れていたことを思い出して帰宅後ページを繰ってみた(『ことばの歳時記』)。
「着る」はいかにも京都的だとある。西日本方面では一般に「着る」をよく使い、江戸なら布団は「かける」ものだと。
「布団をかける」という私。さて、あなたは?
前書きに「東山晩望」とあって、夕暮れ時の、京都の東に連なるなだらかな東山三十六峰の稜線が「まるで布団を着て寝ているかのようだ」と詠まれている。
東山三十六峰とは通説では比叡山を第一峰とし三十六峰目の稲荷山に続く山並みを言い、鴨川のほとりに「山紫水明処(どころ)」という書斎を建てた儒学者・頼山陽の命名だと伝わっている。
上・左端の比叡山から第11峰目の如意ケ岳まで
下・如意ケ岳(大文字山とも呼ばれる。火床が茶っぽくわかるでしょうか)から・・・なだらかに続いて・・・・・・稲荷山へ
鴨川に架かる北大路橋から河川敷に降りてみた。橋の上からでは、比叡山までは目に入らない。
不要不急ではあったがMARUZENまでぶらっと出かけた帰りに立ち寄ってみたのだった。ただちょっと寄り道してみたくなっただけだが、ここは何にもないが「公園」と呼ばれるところで、書店での立ち時間が多かった足の疲れを休めることにした。もう長いこと休憩目的で店に立ち入ることはしていない。
おいしいコーヒーをいただくことも確かに幸せな瞬間かもしれないが、私にはこうして心休まる景色を眺めて、物思うひとときがとっても豊かな時間に感じられる。それを安上がりな人だと、喜ぶ人がいる。
布団を「着る」と「かける」。金田一京助さんが触れていたことを思い出して帰宅後ページを繰ってみた(『ことばの歳時記』)。
「着る」はいかにも京都的だとある。西日本方面では一般に「着る」をよく使い、江戸なら布団は「かける」ものだと。
「布団をかける」という私。さて、あなたは?
安上がりどころか、これほど贅沢で豊かなひと時はないでしょう。
うらやましい限りです。
布団を着る、かける・・・さあどっちを使っているでしょうね。
掛け布団と言いますが、着布団とは言わないような。
(布団を)かけるてやる、寝る、と言う方が多いようですが・・・
山あり川あり、申し分ない風景です。
なんの予定にも追われず、これと言って用もなく…。
無駄そうに見えて?決して無駄な時間ではありませんよね。
リュウさんの「着布団」の文字で、ハッと思い出しました。
義母が「キぶとん」(キにアクセントです)と言ってました!
来客時に、「きぶとん」出してや、とか私に言うことがありました。掛け布団のことです。
ただ、布団を着ると言っていたかどうかは思い出せません。
「布団ちゃんとかけて寝なやぁ」などといいますね。
「布団着て寝なや」やはり言わない、ですね。
当地は、寒くなるとの予報でしたが、案外、暖かで穏やかな御日和ですよ。
玄関内に取り込んだ鉢植えの植物に陽にあたるよう、扉を開放したまゝにしています。
子供時代に「掻巻布団」と言って、袖が付いた布団がありましたよね。
何故、袖があるのは誰も説明してくれなかったので、私は、当然、「布団を着て」寝るものだと思っていました・・・昔々のお話です。
広々として大らかな気分にさせてくれる風景ですね。
「東山三十峯草木も眠る丑三つ時」
子供の時から知っています。
誰に教わったのやら?
怪談噺の枕詞と思っていましたが?
確かに! 掻巻布団は「着る」のイメージですね。
弟の家に泊まりました時、義妹が掛け布団の下に入れてくれたことがありました。
私自身はその時が初めてでしたが、寒い土地柄の夜も温かく休みましたこと思い出しました。
袖があることは「布団は着て寝るもの」と生活の中から身につく感覚ですよね。いいものです。
雪が降るほどの冷え込みは日中感じませんでしたが、今朝はわずかですが薄化粧の庭木でした。
あたたかそうですね。
布団を着る。確かに京ことばの「はんなり」を連想してしまいます。
孫に布団をかけてあげる。と言いますが「着せてあげる」はあまり使わないような。
着る、かける、はともかく、心満たされる豊かさに値段などつけられませんね(笑)
気持ちの赴くまま、ふとしたことで「やすらぎ」を覚える。そこには大した価値はないのかもしれませんが、かけがえのない至福なひと時を感じられるkeiさん。
感性の豊かさこそが、平凡な景色も心を満たしてくれる柔らかな景色に替えてくれるのでしょうね。
あやかりたいものです(笑)
古い映画のナレーションか何かで頭に残っているんだと思います。
何もかもが静まり返った静寂な時間帯。
何か事が起こりそうな気配を漂わせます枕詞的なものがありますね。
怪談ですか。そうなのですか?
北山、西山と山に囲まれた地であることを実感します。
あの山の向こうに…と実家を懐かしんでいたものですが、
低い山並みに今は気持ちも安らぎます。
歩きながらでは難しくても、ちょっとした思い付きが生まれたり、考え事したりと、
案外良い時間を過ごしていると思っています。
ちょっとしたゆとりを何に、どこに見出すかは人それぞれなのでしょうね。
あの火床まで登ってみようと、娘の夫を誘ったことを思い出していました。
もちろん「OK!」の返事でしたが、実現できるのかどうか、こちらが危うくなりました。