今日、28日は親鸞聖人の御祥月命日。10時から報恩講、結願日中(御満座)にお参りさせていただいた。
声明は坂東曲(ばんどうぶし)が用いられ、念仏と和讃の繰り返しで、体を前後左右に力強く動かして勤まります。力強い、ダイナミックな声明です。これまで一度もこの日の法要にお参りしたことがなく、今年こそと予定していたのです。5分、10分と家を出るのが遅れ、15分ほど前に駆け込みましたが、御影堂に上がってみますと…。
親鸞聖人の御真影(聖人の木造)が安置された御影堂ですが、もう座るところが見当たらないほど、いっぱいのお参りでした。
内陣と外陣を合わせると927畳とか。外陣だけで700畳以上あるというのに、いっぱいです。門前には10台は超えると見える大型バスが並び、まだ降りてこられていました。
2時間半の立ちっぱなしは辛い。すき間を探して、南側(御堂の左手)へ移動。そこいけそうじゃない!? 厚かましい?? いえいえ、そこは、とひと声。入らせていただけないものかとお願いしますと、周囲の方々が少しずつずれて一人分あけてくださいまして、ありがたいことでした。
ご恩に報謝し、み教えを聞信し、共に念仏申す身となっていくことを…、改めて心に刻み誓わねば…。
なんせ我が強く、さまざまな欲にもまみれ、自分で道を切り開いてきたと思いがち…。
「わがはからいにあらず」「なるようにしかならない」「しかし、おのずとなるべきようになる」
この手で
日々を
かきわけているようなれど
気がつけば
仏の手のままに
と、は榎本栄一さん。
ですね。力強いお勤めですね。
座る場所を、少しずつ詰めて
あけて頂かれたようですね。
すばらしい時を過ごされたのだと
想像しています。
坂東曲、いまから見せていただきます。
膝だちの姿勢でしばらく様子を見せていただきました。
ようやく思いもかなって、気持ちも新たに事に向かえそうです。
ありがとうございます。
坂東曲の豪快なお勤めに合わせてのお念仏。さぞかしあらたかなお心もちを頂かれたことでしょう。
この手で 日々を かきわけているようなれど
気がつけば 仏の手のままに
自分の力で生きている、自分で切り拓いている、などと思う浅はかさを戒められるようです。
映像で拝見しましたが、坂東曲の豪快なお念仏と和讃。。改めて心洗われる思いです。
始まりとも伝えられています。今はお東にのみ伝わります。
たくさんの方々とご一緒させていただき、どんなもの?と身を乗り出しもしましたが(笑) 念願かない気持ち新たにしました。
より善く、と自分の生きる道を進んでいるものですよね。
でも、誰もが大いなる働きの中にいるのですね。
それを私は日頃忘れてしまいます。そして気づかされる時があります。
人生には出遭うべくして出遭う(喜びごとも悲しみごとにおいてもですが)不思議を感じることおありではありませんか。