あでやかな大輪は枝先をしならせるほどの存在感で、下からのぞき込む花の中心部には縮れた細かな赤色の花弁が詰まっています。京都は椿園芸の発祥地として様々な品種を生み出してきたようです。これは「日光(じっこう)椿」という種類で、中心部が白いものは「月光椿」と呼び、このような咲き方を「唐子咲き」というのだそうな。「日光・月光」と聞けば、菩薩像が思いうかぶでしょう。
通りすがりの、確か天台宗の寺院でしたが、参道の両脇にたくさんの椿の赤さが目に入って、門をくぐらせてもらいました。なんともまあ、この、ちょっと見ではグロテスクとも言えそうな造りに加え、花の赤さは鮮烈でした。日常の身辺で、ふと立ち寄った先でのささやかな発見に驚かせてもらい、新しく覚えたことは増えるし、感動です。
ところで、『徒然草』の講座は先日最終回を迎えました。「書けない恋」だが、書いて残しておきたい。兼好は恋人との10ほどの場面を書いて、『徒然草』の中に封じ込めました。作品は兼好の死後100年を経て世に出ます。伏せなくてはならなかった理由があったのです。
「その手法は、『伊勢物語』に似せたのでしょう」。そうかぁ、と思った瞬間はちょっと嬉しく。兼好は先人の言葉やエピソード、書物から、日常伝聞したことから、記憶の引き出しから等々、引用を多く用いて文章を書いていることに思い当たるのです。それは、「随筆の根本は古今東西の本をたくさん読んで、その中からいい言葉を見つけ出してそれを引用することにあるという基本を忘れないように」、と言われる川本三郎さんの言葉に重なることです。
学べることはたくさんたくさんある、ということがまた楽しく思えてきます。
兼好の無常観は この叶わなかった恋への想いからなんでしょうか
忘れえぬ恋の想い、そのベースをふまえてまた読んでみます
伊勢物語にも親しもうと思います、また影響を受けることでしょう。
何と申しますか~、あまり好きにはなれません…ような…。
便利なキーワード「無常観」。ですが、私はあまりとらわれません。
死後100年後に作品が世に出て、鎌倉武士、東人たちが、上方の奥ゆきを解さずそのまま解釈した。
そこで無常感が前面に出過ぎた…。原文の「言葉」の持つ含みの読み取りも大事ですね。
出家したものの仏の道には入り切れず「つれづれなるままに」などとあります。
権勢門下に出入りし、裕福に暮らし、座談上手で世渡り上手、知恵に満ちた人。
「一言芳談」を好みながら自らは極端には走らず、生き方を修正して生きた人…、…だった兼好。
知性に偏りがある面なども教えられましたが、
賢い生き方とはこういう生き方だと見えてくる書でもある、という読みを光田先生から学びました。
おすそ分けです。
心にとめられたと思います。
10の想いを徒然草に封じ込めた兼好の思いも
そして随筆のいかなるやを心に〜。
いろんな生き方がありますが、それぞれに
感ずるものがありますね〜。
私も今はさまざまなこと〜心に刻みたいです。
これも『徒然草』への親しみ度の表れなのでしょうか。
しかし、この序文は“すごい序文”です、と言われる研究者による講座でした。
ひとつの読み方を教えていただきました。
それぞれに感じるものがあり、心に刻み、そしてさらに学びながら、人生は続きそうです。