「鬼の行水」。
大津絵の代表的なモチーフの一つである。滋賀県の三井寺近くで近世初期より売り出された民衆絵画、土産品としても好まれているという。戯画風で風刺を含んでいる。
英訳で「Devils bath」となっている。「行水」も英語では「bath」。じゃあ、長風呂は何て言うのかと調べてみたが…、要するに入浴するのは「take a bath」なわけで…。
三歳児不在の束の間の時間、われらの素晴らしき日本語の豊かさを多少感じ入ることともなった。
そして、亡き弟の家族に宛てて無沙汰をわび、柔らかな花の写真を添えて近況報告を済ませた。
今年、とりわけの思いを込めて朝な朝な拝顔するこの朝顔は、まさに私のこの夏の『点睛一花』となっている。そう…、タネを残しまた来年も、さらに翌年、翌々年も…だったな。せめて心通わせ合える言葉の一つも返ってくればと欲がのぞく。
本日梅雨明け宣言あり。「心静かなれば即ち身も涼し」だそうだ(白居易)。
ところで「鬼の行水」は、(頭の上に描かれている)虎皮の褌を脱いで湯桶に入ろうとする図。体を洗って、心を洗わぬ者への風刺、と説明されている。カラスの行水でも洗う時間はあるのだろうか。私は長風呂だから時間だけはたっぷり…か。
いずれにしても、心の洗濯をしながら‘精神的避暑療法’でここ一番乗り切れば、この秋、私はどんな変身を遂げていることやら。
大津絵の代表的なモチーフの一つである。滋賀県の三井寺近くで近世初期より売り出された民衆絵画、土産品としても好まれているという。戯画風で風刺を含んでいる。
英訳で「Devils bath」となっている。「行水」も英語では「bath」。じゃあ、長風呂は何て言うのかと調べてみたが…、要するに入浴するのは「take a bath」なわけで…。
三歳児不在の束の間の時間、われらの素晴らしき日本語の豊かさを多少感じ入ることともなった。
そして、亡き弟の家族に宛てて無沙汰をわび、柔らかな花の写真を添えて近況報告を済ませた。
今年、とりわけの思いを込めて朝な朝な拝顔するこの朝顔は、まさに私のこの夏の『点睛一花』となっている。そう…、タネを残しまた来年も、さらに翌年、翌々年も…だったな。せめて心通わせ合える言葉の一つも返ってくればと欲がのぞく。
本日梅雨明け宣言あり。「心静かなれば即ち身も涼し」だそうだ(白居易)。
ところで「鬼の行水」は、(頭の上に描かれている)虎皮の褌を脱いで湯桶に入ろうとする図。体を洗って、心を洗わぬ者への風刺、と説明されている。カラスの行水でも洗う時間はあるのだろうか。私は長風呂だから時間だけはたっぷり…か。
いずれにしても、心の洗濯をしながら‘精神的避暑療法’でここ一番乗り切れば、この秋、私はどんな変身を遂げていることやら。
寂しさに 宿をたちいで ながむれば……ちょっと早すぎですね。失礼…(笑)
素晴らしき日本語の豊かさ…少なくとも私たちの年代は絶対に受け継ぎ、申し送っていきたい気がします。
そうですか…お風呂も行水も「take a bath」一言ですね。Longtimetake a bath…長風呂…情緒がなくなりそう。
この夏の思いがけない大きなプレゼントとなった『点睛一花』。keiさんの努力と、弟さんの遺された思いが昇華したのかも…ですね。
心も洗わねばならないですね。
湯船でゆったり長湯しながら物思いに耽る
そんな入浴を心がけてみます。
日本語の豊かさなら『月』は凄いですね^^
同じ月にいったいいくつの名前があることやらw
それだけ昔の人は情緒が豊かだったのでしょう。
「たをやめぶり」と「ますらおぶり」の次は何なんでしょうね。今尚「ますらおぶり」なのでしょうか?既に何か違う文化なのでしょうか?
それもこれもこれからの私達の生き方でしょうね^^
「たをやめぶり」に戻るのも良いな~w
私もこの先、朝顔とともに何度も数えたい夏の数です。
乗り越えれば…、
秋を迎えることはあっても心の洗濯まで頭が回るでしょうか。加えての「心静かに」。
何ともこころもとない限りですが、心がけながら過ごします。
またまた「寂しさに…」ですか~(笑)
さーて・・・
どの時代も、どちらも混在しているんじゃないんでしょうか?
ましてや現代は、入れ違った傾向もあったり? たをやめぶりが幅をきかせたり??
よくわかりませんが、一色とは言い切れませんような。
いろいろあっていいのでしょうか。と言っては無責任なのか。
月には異名があることも、またさらには「新月」から始まって…のことですよね。
立待月・居待月・寝待月・更待月…あたりは情緒ありますね。
来るはずのお相手を待ちながら…時の経過も心の移ろいもわかりますね…そんな古典文学での世界、好きです。
心も洗う必要がありましょうね。
大津絵、知らなくて調べて見ました。
ユーモラスな絵の中に教えもあるのですね。
心頭滅却すれば火もまた涼し、なんて言うのもありますが、滅却も出来なければ、心静かにもなれず、
昼間はエアコン使わない宣言しましたのに、
早々と破ってしまいました。
なんかすべて「超越」の世界に思えてきます。
私などにはたやすいことではありません。
平静に、心静かにばかりもおられませんし。
カッとしては…
ま、冷めやすいほうなのがせめてもの救いかなと慰めつつ。
やはり心の垢もたまります。
無理してのエコライフを目指しても体に毒。
体が第一ですものね。全然気になりなせん。
Reiさん、我が道をー!です。
「≪鬼の行水≫で捉える自然数」
「数」に弱いからなのか?
おっしゃってくださることをどう捉えたらよいのか、
言葉の意味がわからずにおります。
「もろはのつるぎ」、読ませていただきました。