「合歓の花は何の夢を見ているのだろう。深い、その眠りは見えないが、ほけほけとして夢のような淡紅の花は、まるで女人の思いそのもののように、ほのかな香りを漂わせている」(『花のうた紀行』馬場あき子)
「ほけほけとして…」。かぁ~るく、ほんわか、ほけほけのほけほけ感。合歓の花の形容になんとふさわしいオリジナルな一語!と長いこと思っていた。
初めて辞書を引いてみたところ、「ほけほけ」は【惚惚・呆呆】と表記し、
(ひどくぼけたるさま。正体無いさま)の意で、
「寝入りたるさまにてほけほけと見ゆるを」(『沙石抄』)
の例文が挙げられていた。なんと、そうだったのか。
「たとえば山野の芒にしても、桔梗にしても、それ一茎で生い立っているわけではない。
大地が生み、太陽と雨が、あるいは雪や風が育て、まわりの種々さまざまな植生の中にあって、自分の形と色をそなえた蕾が、ある日ほころぶ。」
「小さな蕾のひとつひとつの、ほころぶということが、天地の祝福を受けている時刻のようにおもえる。」
生きていることが祈りのような人だった石牟礼道子さんの『花を奉る』を開いていた…。
一人の人間も、眼に見えない多くのおかげに助けられて生きている。
中2の孫娘が、小学校5,6年生の漢字書き取りのドリルを送ってほしいと言ってきた。読めても書けない、と言う。
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