京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

ゆるやかな時間

2024年01月20日 | 日々の暮らしの中で
昨日はわりと穏やかなあたたかい日差しに恵まれた。

無為の一日、飛行機雲を見あげていた。
東から西へ。くっきりと尾を引いて伸びる直線もあれば、もわもわと緩んで崩れひろがるもの3本、4本。
もったいないので少し歩きに出たら、いつもより30分ほど時間をオーバーして帰宅。おかげで夜はぐっすり! ぐっすりと寝込み過ぎてしまった。

今日は雨。あたたかな大寒だ。
京の冬の旅」が開催されているのを地元のテレビニュースで知って、どこかへ行ってみないか?という話になった。「そうねえ」 しかし、どこへ?と思いつかなく、愛想なく応じてしまう。

『花鳥の夢』ではラスト、永徳が東福寺法堂の天井に龍の図の下絵を描いていた…。
しかし、明治14(1881)年の火事で東福寺は法堂を含む多くの伽藍を焼失してしまうことが、取り出した五木寛之氏の『百寺巡礼』第九巻の中で触れられていて、永徳の龍は現存しない。書き上げてもいないのだと検索してわかった。

「龍」を離れ、今一度本法寺を訪ね、等伯による巨大な涅槃図をレプリカであっても拝見してみたい。
〈等伯は、さりげなく自画像も描きこんでいる。一番左の沙羅双樹の根元に座り込み、緑色の僧衣を着て、頬杖をついている男〉だと、安部龍太郎氏は『等伯』の中で書き添えていた。見てみたいじゃないの。
そしてかつて信長の定宿だったと知って訪ねてみた妙覚寺で、永徳の墓に参ろうか。
やっぱりいつも通り、それぞれの興味で動くのが楽だと思えてくる。

と、今ここで思い出すのは、葉室麟さんが書いておられた言葉。
「幕が下りるその前に見ておくべきものは、やはり見ておきたい」(『古都再見』)
そうしてこのひと言がしきりに思われたのは、雨の一日に世間と隔絶したように家ごもりし、ゆるやかな時間を過ごしていたせいかもしれない。
今日も無為な一日、だったかもしれないが、だからこそ、今の自分の関心事が見えて、ひとまずそれを何とかしたいと思うのかも。

時おり強い雨音に気づかされる。

 ヤマザキマリさんの2冊目『ヴィオラ母さん』。
『水車小屋のネネ』(津村記久子)と、読書もぼちぼち進む。

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ゆるやかな時間 (サッ チー)
2024-01-21 10:26:05
おはようございます。
 雨の日曜日です。
 それこそ、ゆるやかな時間が過ぎて行きます。
 この雨が植物に恵みを与えて、花開く暖かい春を
 想像して・・
 京都には余りにも沢山の行きたい場所があり過ぎて・・昔は観光気分での訪問が多かった😅
 今、色々な小説を読んでいると、歴史と事実を深く考えての読み方を学んでいます。
kei様の知識も参考に。
 
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恵みの雨に サッチーさん (kei)
2024-01-21 11:30:02
こんにちは。
人の出入りのない日はゆるゆると過ごせます。
植物には恵みの雨ですね。春に近づいていくのは確かですね。

読んでいるときはどっぷりとその世界に入り込んで楽しむほうです。
一冊の本と出会い、縁のある場所を訪ねてみたくなるのは若い頃からでして、今に続きます。
自分を作ってきたような楽しみごとです。
ちょっとした関心が読後に世界を広げてくれたり、史実を知ることにもなりますね。
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テルマエ・ロマエ (りりん)
2024-01-21 13:09:46
こんにちは。
こちらも雨の日曜日

まさしく、今、ヤマザキマリさん原作の映画
『テルマエ・ロマエ』をテレビで観ています。
何度見ても面白くて。

「ヴィオラ母さん」はまだ読んだことがないのですが
ヤマザキマリさんの多彩な才能を感じますね。
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ヤマザキマリさん りりんさん (kei)
2024-01-21 21:34:20
こんばんは。
雨の日は静かでいいですね。
とりわけ用事もないとなると最高です。

原作も知らず映画も見ていないのですが、何となく話題として聞きかじってはいます。

いろいろな出会いが自分の中に新しい想像力を発芽させる大切なきっかけになった、
といわれていました『扉の向こ側』でした。
どういう生い立ちなんだろうと『ヴィオラ母さん』を読んでみたくなりまして、
ではどんな子育てを?と思って、『ムスコ物語』が出番待ちです。

これまであまり知らなかったのですが、素敵な方ですね。多才ですね。
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