8世紀末。蝦夷(えみし)たちは大和朝廷に服従せず、森の恵みを受け大自然と共生しながら自由に、誇り高く暮らしていた。その平和を大和軍が侵攻し破る。そのとき蝦夷の独立をかけて戦いを挑んだアテルイの生涯が描かれた『まほろばの疾風(かぜ)』(熊谷達也)。これが最初だった。
次に、川越宗一著『熱源』を読んだ。19世紀後半の樺太で生まれたアイヌのヤヨマネスクと、ロシア皇帝暗殺を謀った罪でサハリンに流刑となったポーランド人・ブロニスワフの人生の交錯。差別にさらされながらもたくましく生きる人々、祖国を追われた人たちが大きなスケールで描かれていた。
そして読み終えた『六つの村を越えて髭をなびかせる者』(西條奈加)では、蝦夷地の探検で知られる最上徳内の生涯が描かれた。
出羽国で貧しい暮らしの家に生まれたが、父は息子の向学心にふたをしなかった。行商先で数学の指南書を買い求めては与えた。算術に優れていた元吉(のちの徳内)は、やがて江戸に出る。名を最上徳内と改め、田沼意次が派遣する蝦夷地見聞隊の竿取り(測量係)となって旅立つ。
素朴で素直な心根。情に厚い。人の思いは無駄にしない。徳内の“人徳”、彼は常に人に恵まれた。アイヌとでも心が通い合う。
「人が生きるにはなくてはならないものがある。それは誇りだ。人として、民族としての誇り。対等の立場にあってこそ自尊が芽生え、見かけの貧富に関わらず暮らしを支える。誇りを支えるものは自由であり、両者は表裏一体のもの」、と読むものに問いかける。
田沼を失脚させた松平定信は、「蝦夷地見聞は公儀御用に非ず」と関係者を処分する。
時代に翻弄されながらも、時代は新たなものを必要とし求め続けるものだろう。生み出そうとする意志、叡智、支え合う関係が力となって集まる。
そうか。「生きるための熱の源は、人だ」と『熱源』にあった。
今夜は「100分de名著」を見ることにしよう。
「生きるための熱の源は、人だ」>
主たるテーマはそこにあったのですね。
松平定信>今読んでいる時代小説に準主人公ででてきますが
聡明、独断等々評価は分かれますが
上に立つ人の判断で政の行方が変わる怖さを
感じました。
小説ですが・・・・
いつの世も、やっぱり「人」でしょうか。
「生きるための熱の源は、人だ」は心に残りました。
水戸の立原翆軒を始めとした学者、大名、識者たちの後押しもあって、
新しく御救交易と海防の調査隊派遣へと動き出すようです。
最上徳内の肖像画がシーボルトの『日本』内に2枚掲載されてるそうです。
徳内72歳、シーボルト31歳。二人はとても親しく交わったようです。