京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

クニオ・バンプルーセン

2024年07月26日 | こんな本も読んでみた
クニオは父のジョン・バンㇷ゚ルーセンと母の真知子と3人で、横田基地の家族住宅で暮らしていた。日本で生まれたが学校も基地内だったから外の世界を知らない。
クニオが小学生のときベトナム戦争は終結した。

父は、ニッケルと呼ばれた複座式戦闘機のパイロットだった。その任務は、アメリカ軍の攻撃を自在にするために北側の地対空ミサイルの囮(おとり)になることで、一つ間違えば撃墜される運命にあった。だからジョンの生還は奇跡に等しいものだった。
ニッケルは5セント硬貨のことで、安い命を意味した。
(初めて知ることだった)


日本文学の繊細さに目覚めたクニオ。日本の大学への編入学を希望し、将来の夢を語るなど家族団欒を過ごした夜遅く、父のジョンは拳銃で自殺した。

「生きるか死ぬかの最中には生きようとした男が、命を賭ける必要もないときにあっさり死を選んでしまった。愛妻がそばにいたというのに人はわからない」


クニオは母と二人で日本へ帰って、学んだ。父の死をめぐっては小説にして考えたいと思ったが、執筆の夢はいったん置いて出版社に仕事を得た。
文学から文学へ、本から本へ、編集者として生きた歳月に、予期せぬ病魔が襲う。
病を得た晩年、小説の冒頭の一行を「なけなしの命の滴り」で生んで、ようやく文章が流れ始めるのだった。

〈書き出しの苦悩は、一編の主題を見いだすための苦心でもある。書き出しの文章に苦心するのと、作品の主題をつかむ難しさは同じであり…、どう出発するかという作者の態度に関している〉
佐伯一麦氏が書かれていたことばが重なる(『月を見あげて』)。

あとの推敲、手直し、書き継ぎ、すべてを任せられる人がいた。彼女には「アニー・バンㇷ゚ルーセン」と名乗ってほしいと望んだ。
最期を迎える静かな描写が胸に沁み、深い余韻の中に引き留められる。何度も読み返していた。


作者の文章論、文学論、作家論が随所に読めるのはいつものことで好みではあるのだけれど、
なぜかな、今回ちょっと鼻についた。

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