こんな小さな芽を見ていると、必ず思い浮かべる。
「『土』という漢字の縦に下ろす垂線は、逆に下から上に突き上げるようにして書かなければつまらない」
この榊莫山独特の思いがこもった発想に、土中から春の光を求めて蠢く力のほとばしり、エネルギーを感じ取っている。
昨日2月8日は長塚節忌だった。農民文学として名編の『土』を残した。
貧しい農民の暮らしぶりが自然とともに克明に描かれているが、その中に、「春は空からさうして土から微かに動く」の一文がある。
毎年この時季、この好きな一文を最も身近に置いて過ごしている。
グンとひと伸びしそうな陽を受ける日があるかと思えば、今日は肩をすくめる風の冷たさだった。近づいたかと思うと遠のく春の気配。それでも季節は巡る。
目を凝らし耳を澄ませ、…今日も小一時間歩いた。
桜が咲くにはまだたっぷりと時間がかかる。
「山動く」はよく耳にしますが。
『土』下から上へ。私には発想できないことです。
しかし、春近い今、土がかすかに動く感覚はわかります。
農民文学=長塚節ですね。
父の本棚にあった記憶ですが読んだ記憶はなくて。
読みたい候補がつぎつぎに現れるので困ります。
比較的最近読みました江間修の「山の民」は
飛騨の農民一揆を描いた歴史小説です。
当時飛騨に住んでおられたブログ友の紹介ですが
感動し、面白くもありました。
作者も飛騨高山の方です。
あと「女」も多く書いていた記憶があります。
松煙墨の淡い書が好きでした。
なんといっても、あの飄々とした姿を思い出します。
榊莫山と埴沙萠、どこか似たようなものを感じる二人でした。
長塚節の「土」を読んだのは、60年くらい前です。
もう内容は、ほとんど忘れてしまいました。
球根も種も草木も樹木も、すべてが地中、根から得る滋養で
上昇気流に満ちているように思えてきます。
垂線は逆に。ああ、ほんとだ!と気づかされるわけですが、
発想すること自体がやわらかな感性で素晴らしいですね~。
江間修の「山の民」、機会を見つけて読んでみたく思います。
途中5分ほど休憩しますが、家を出て帰ってみればほぼ1時間です。
大体ペースがわかって、おそらく歩数も安定しているはずです。感ですが。
コメントをありがとうございます。
書展を拝見したのは1度だけで、すいぶん前になりました。
「土」「女」「樹」ですね。
と申しましても、莫山さんの書物で触れております。
『莫山夢幻』にあります「芭蕉わーるど」は愛読しております。
俳画も味があり、エッセイにはいろいろ教えられてます。
埴沙萠さんのこと、教えていただきありがとうございます。
「クロマツの芽ばえ」の写真、歳時記の表紙にあったな…と思い出し、確かめてみたいです。
お名前も知らずにいて、記憶に残った一枚のようです。
どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。