「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。・・・」(日本古典文学大系 岩波書店)と始まる『方丈記』。
私の興味・関心の世界に一本通っている芯は、高校時代の恩師との出会いによって芽吹いたもので、師の存在が人生の指針となった。
この師の存在がなければ、今に続く自分があったかどうかさえほとんど疑問だ。「出会ったことが喜びとなり、力となる。そこから新しい自分が生まれ、更に出発していける」、そんな出会いに恵まれたことをただただ感謝したい。
いのちには限りがあることとわかっているが、大きなものを失い、悲しい、…というか寂しさが迫ってくる。
卒業後の進路は違ったが、中国文学を専攻した友と電話で当時の師を懐かしんだ。
私は高校時代の仲間との交友関係はないにも等しい。数えるほどしか近況を知らないでいる。だから、こちらの心の中にあるものと響き合って語り合える、稀有な存在と言えるのだろう。
流されて生きるのではなく、時間を大切に過ごしていかなくては…。
人生の指針をも与えてくださった先生、
人にはいつか別れはありますが
大きな穴が空いたようなお気持ちと思います。
でもKeiさんのお心の中にはいつまでも
残っておられることでしょう。
私にはそのような人がいなくてちょっと
悲しいです。
ご冥福をお祈りいたします。
古典文学を好きになる力を与え続けて下さった先生でした。
そこからが私の始まりです。
人の及ぼす力、考えるとすごいことです。
今は数人とのやり取りしかありませんが、この頃の友人と直接言葉を交わす機会も生まれました。
これも先生の最後の贈り物かもしれません。
人の世はうまく関わって回っていきますね。
お言葉ありがとうございます。
「この師の存在がなければ、今に続く自分があったかどうか・・・・・・」
それほどの存在が、ご高齢とはいえ、永遠の別れになった寂しさ、空しさをお察しいたします。
数少ない当時の仲間と、往時をしのび、少しでも気持ちを鎮められてよかったです。
流れに任せず自分を生きる。恩師への改めての誓いのような力強さ、いいですね。
読書からでも手本となる生き方を見出したり、求めたりってあるようですね。
高校生活などほんの3年間、このときの出会いが一生ものになりました。
同じところで反応し合える相手というのはそうはいませんし、離れていてもありがたいことです。
持ち時間少なし・・? 一日一日が大事になりますね。
ありがとうございます。