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旧暦六月三十日は夏の終わりの日。空の上には、夏から秋へと一本の通路があるのかもしれない。暦の上では明日から秋。向こう側ではきっと涼しい風が吹いているのだろう。現実の暑さはこれからだというのに。
みなづきのつごもりの日よめる 凡河内躬恒
夏と秋と行きかふ空のかよひぢは
片方(かたへ)すずしきかぜやふくらむ
そして、「あきたつ日よめる」と藤原敏行が歌っている。
― 秋が来たと目にはっきりと見えるわけではないが、風の音に秋の訪れを気づかされることだ…と。私たちも、春夏秋冬、その運行を察することはできよう。だが、時間の流れの微妙な変化を、いち早く聴覚で感じとることの鋭さよ…。
六月の晦日の祓いをすれば「千歳の命が延ぶる」と、千年も前のどなたかの声が聞こえてくる。茅の輪をくぐりけがれをはらい、残る半年間の無病息災のご利益に授かりたい。庶民の願いは変わらない。人並みに、私も上賀茂神社に詣でることにした。
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輪の前にたち、まず左回りに1回、中央からくぐり入り輪を半周して戻る。2回目はそのまま逆に右回りで。3回目は再び左回りでくぐり抜け、中央に戻ったところをそのまままっすぐに、もう一度輪をくぐり抜けて前へと進むことで終わる。
今夜八時から、境内を流れる「ならの小川」に形代を流す大祓式が営まれる。かがり火の薪を組む準備が進んでいた。
神々しい境内、「みそぎぞ夏のしるし」となる光景なのであろう。雨が降らなければ良いが。
「歳月不待人」です。
上賀茂神社にお詣りなされ、keiさんもご家族も
無病息災間違いないことでしょう。
このような伝統行事は私の周辺では見られず
残念なことです。私が知らないのかも知れませんが・・・
この小川、蛍が飛び交います。
小豆は邪気をはらうとかで、水無月の和菓子を遠慮なく食べまくります。
食べ過ぎるよ~の声も6月ばかりは聞こえません。
「夏越しの祓」としては、形は違って各地にあるのでしょうか。
茅の輪くぐり。北野天満宮になりますと、参拝者が輪をくぐった後みな抜いて持ち帰ってしまうそうです。それ用のものを用意したのにダメだったらしいですよ。
国学者の日記として、1703年のこの日の下鴨神社の様子が紹介されていました。人で賑わい暑苦しいほどだ。境内は燈籠に照らされ神々しい…と。
延々と続く歴史があるんですね。たいしたものですね。
茅の輪くぐりをしてきました。
子供達に天空の通路のお話をしましたが、まだ秋は感じられないようです^^
PS:今日一人理解者が現れ、また一歩進めました。 たった一人の少年に、たった一人の協力者。
このたった一人の積み重ねしか無いのが、
もどかしく感じる事もあります。
この繰り返し以外に今の所、道が無いのもまた事実。
焦らずに、じっくりと目の前のたった一人に
全力で語りかけ、子供達の協力者を探すのも
今の私の役目だと再認識いたしました。
世の中捨てたもんじゃないですよ^^
「天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ…」
などというのも浮かびますが、機智に富むというのか、やはり昔ほど自然と一体化したような感覚、感性は強いのでしょうか。
個別に理解者がついて支援(話・相談相手になったり?)してくれるということなのですか?
たまたまこの少年と意気投合し、カオスの活動にも少年を通して協力してくれるということでしょうか?
今少し、この人と人、そしてカオスとのかかわり方がつかめないのですが…
根のいることです、…ね。
しっかり根を張るまでにはどれだけの時間がかかるのでしょう。もどかしく感じる現実にも、捨てたもんじゃない出来事が。めげずに(めげることなどないのでしょうが)、と言うしかないのも現実。
上司の方が理解を示してくれたということですね、この少年の場合。
一人ひとりのためにお一人で?
なんせ、予算もありませんし、人に頼める事でもないですし^^
上司の方が理解を示してくれて、本当に感激でした。
なんせ、無断欠勤や遅刻までしていましたから^^;
その子も、自分が働くようになってまで私に頼るのが嫌で、ぎりぎりまでがんばんったんですよ。
限界ぎりぎりの彼の電話の声は、まるで幼子のようにか細く震えていました。
今日、その子を見かけたら、すっかり笑顔になっていました。上司の方に感謝しなければ^^
まあ、「ふつう」はおこごとが飛ぶんですが。
「自己責任」として突き離してしまうことはさびしいですね。
震えながらでも、自分の弱さをさらけ出して人に頼った方が良い時はあるはずだと感じます。一つ乗り越えられれば先があるんだし…。
理解してもらえたことは本当に良かったですよね。(詳しい事情も知らずで、いい気なものですが)
予算なんていらんでしょ…?
rabbit125ccさんの協力者が欲しいですよね。
協力者も沢山いますが、それ以上に問題が多いだけです^^;
どちらも全く足りません。
足りないながら、知恵と助け合いでしのいでいます。
それが、子供達にもよい結果をもたらしているのかも知れません。
貧すれば鈍すると申しますが、いったいどこのどいつが言ったのでしょうね^^
学校を運営していくうえでの予算ではなくて。
気楽に言ったつもりはないのですが、言葉足らずでした。すみません。ちょっとまずい表現でした。
今日、「高知県の山のフリースクール」の記事がありました。
地元の街が年間事業費の約半分に当たる1100万円を毎年補助してくれていたらしいのですが、
町が合併した2005年以後、300万円のカットになってしまったそうです。ガソリン代がかかる遠出をやめ、自転車・徒歩で近くの渓谷へ。子供たちが喜ぶ刺し身やアイスが食卓に上がるのは年に1・2度とか…。
支援する方法はないのでしょうか。
「ここでの1年半は革命だった」と、感謝の言葉を残した女の子の話に気持ちが温かくなりました。でも、「もがきながら…」が現実なんでしょうね。
私も今は、このままが良いとさえ、思っています。
現段階で行政がかかわると、ろくな事が起こらない。
これは短い人生ながら、何度も思い知らされた私の苦い経験。
そういうお金を貰うと動きにくくなるならば、今は頑張れるところまで^^
日々、充実し子供達の優しさに包まれながら
私は幸せなんですよ^^
お金はそのうちついて来るでしょう。
ついて来なけりゃ置いていきます。
私達は、お金など関係ない、次のステージにJUNPしちゃいま~す^^