弟の祥月命日で、東本願寺さんに参拝した。
義妹は6日に娘二人と一緒にお墓入りをしてきたと伝えてくれた。もう一人の娘は兵庫県にいて、今年は往来がかなわぬまま暮れることになる。義妹の両親と娘3人、7人で賑やかに暮らしていた時が懐かしい、と。…13年が経った。
倒れた一日は下弦の月夜だったとか。高校時代の仲間が多く寄って、弟の書斎で書棚を肴に献杯。“社研”の部室みたいだな、と誰からともなく。同じような本を読んでいたんだと思った人がいた。福島泰樹さんの「絶叫」が好きで、吉本隆明の詩集ばかり読んでいた17歳だったと知ったのは、亡き後のことで、彼の友人を通してだった。母も父も、一番近くに居て最後まで面倒を見てくれたのだった。
そんなこんなのあれこれの思い出と、少しばかり自分のことも、数珠を手にお話しさせていただいて合掌。心は内に向かう。それが仏教だろう。
御影堂(写真右)から阿弥陀堂(左)へ。浄土を見たこともないが、黄金色に輝く広い空間に座り続けていると、安らかな安堵感のようなものに包まれる。不思議な心地が生まれる。だからかな、何度でも足を運んでいるのは。
何ごとのおはしますか知らねども かたじけなさに涙こぼるる 西行
2015年12月の報恩講で阿弥陀堂が公開された。参拝したが、写真は修復工事完了を前に新聞で報道されたもの。御本尊の阿弥陀様は御影堂に。
「そこ 動くな」。そんな声に「はい!」と応じ…。たまわった座に坐し、一生かかって揺られながら導かれるのだろう。
穏やかな気持ちで、黄金に輝く畳に座るお心持、さぞかしと想像しています。
時に触れ折に触れて思い出す肉親との縁。
いつまでも大切に思い、そして自らの今を、数珠を繰りながら静かに語る自分自身の時間。大切ですね。
東本願寺さんの、お浄土を思わせる佇まい。言葉に言い尽くせない荘厳を感じさせられます。
わずかなお参りで、阿弥陀堂には誰もいませんでした。
御影堂とはまた少し趣が異なりまして、とにかくすっきりと、広々としたお堂です。
浄土はこのように光り輝いているのでしょうか。
見てみたいものと言うのも、ちょっとおかしなことですね。
遺された者同士、思いを共にできるのは一番の供養になりますね。
亡き人を思う気持ちは変わりません。
数奇な生涯を遂げた西行、私には理解の外にありますが、
仏様の前ではそのような気持ちになることができるのでしょうか?
悲しみは通り過ぎましたが、今一度だけでいいので
父母や夫と話がしたいといつも思っています。
私には神への信仰心はありませんが、
小さな神棚と先祖の仏壇を拝んできた幼いころからの家庭環境、また嫁いでからの環境の中で、
自ずと育まれている持については素直に受け入れております。
人の言葉によって、自分の意思で、どうにかなるというものではないでしょうね。
西行の歌は、日本人の心に広く受け入れられる思い、感覚ではないかと思うのですが。
「仏は常にいませども」で、ひそかに仏縁は忍び込んでいるようです(笑)
ここのところ、こうしたことをよく考えます。