京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

「それぞれの人がそれぞれの花で...“花明り”と...」

2008年05月04日 | 日々の暮らしの中で
わたしは、それぞれの人がそれぞれの花で、生きてるあいだ、ご自分の光を放たれることを“花明り”と名付けているんです。そういう“花明り人(びと)”が、気がついてみると、おびただしくいらっしゃる。それを喜んでいます。
そのなかの一人でありたいと思っています。
みんな自分の花を光にしましょう、自分の命を輝かせて、どうぞ人類のために、世界のために、小さなお人たちのために未来をつくってください、そのお力でいらしてください。        
              出典は『沖縄の骨』(岩波書店)

ひそかに、よりどころとしていることばに、「生活者」という表現がある。生活、というと、くらしをたてる生計の意味や、日常茶飯事として、長い間、いやしめられてきたように思う。
だが、その日常こそ、限りあるいのちの時間の大きな部分を占める大切なもの。地道な日常のうちに、よろこびを見いだし自己を充実できなければ、どんなに味気ない日々だろう。
              出典は『賀茂川のほとりで』(毎日新聞社)

『清らに生きる  伊都子のことば』(藤原書店)から抜き出しました。

こうした、日常をすこしでも豊かに生きようとする思いの上に咲くことができる、“自分の花”なのでしょう。
そして光を放っていく、自分の色を出して生きていくと考えたらよいのでしょうか。

愚痴をこぼして終えても一日。時には気を紛らわさなくてはならない日、不安にかられる日、落ち込む日、悲しい日もあるはずです。
日々よいことばかりあるわけではないし、何かを心に抱えて生きていくのだと思うのです。
私などは、中途半端な時期なのか、年齢を重ねていくことへの「焦燥感」?にやたらとかられることがあります。
一方で、何も変わらないと感じる日でも、それでも工夫しながら気持ちだけは明るいほうを見ながら終えても一日。

自分に厳しく、前ばかりを見つめて生きていくことはしんどいことだと感じます。
だからこそ、こうした信念に貫かれ人生を深く生きてこられた方のお言葉を、気持ちのよりどころとしたいのかもしれません。
日常にしっかりと根を張って生きる、そのためにもせっせと自分に水やりをしなくては。本を読んだり、映画・観劇・音楽、そして人との触れ合いの肥料入りの水で。

9日は大阪の梅田芸術劇場で『トゥーランドット』を楽しんできます。
宮本亜門さんの演出。音楽は久石譲氏が全曲オリジナルで書き下ろされるもの。
衣装はワダエミさん。主役のアーメイの衣装は、京都の老舗装束店が3カ月かけて織り上げた生地だそうです。
わくわくしてきました。
やっと、日が近くなってきたことを意識し始めて、わっくわっくしているのを感じます。

こういうわくわく感が大事だなあと思うのです。毎日わくわくしていられるならどれほどいいか。


コメント (1)
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「ありがとう、ありがとう・・・・・・」

2008年05月04日 | こんな本も読んでみた
京都在住の随筆家岡部伊都子さんが、4月29日85歳で亡くなられました。

子供たちが学校に行っている間、図書館で作品に触れていた時期がありました。
いつも必ず座るあの大きな円テーブルで。
女性の感性が、どのような言葉で表現されるのか...生意気にもそんなことに興味を感じて、女流作家の作品ばかりを読んだりしていた頃です。
時代小説に興味が動くとそちらに集中、というようなところが私にはあるようです。

ブログでいろいろ教えていただいておりますmatsuさんから『清ら(ちゅら)に生きる 伊都子のことば』をご紹介いただきました。
そして『遺言のつもりで 伊都子一生語り下ろし』も読んでみたく、2冊を買い求めました。
店頭にはなかったものですから尋ねましたところ、「あっ、ちょうど昨日入ったところです」と。
よかった!
2冊、ずっしりと、嬉しい重みを感じました。

夕食後から読み始めました。
それにしましても、年譜によりますところ、一言で“病弱”というにはあまりにも多くの病を抱えられていらしたことに驚き入りました。
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