私がよく行く公衆浴場は、湯の出るカランが十六しかない。そのうちのひとつぐらいはよくこわれているような、小ぶりで貧弱なお風呂だ。
その晩もおそく、流し場の下手で中腰になってからだを洗っていると、見かけたことのない女性がそっと身を寄せてきて「すみませんけど」という。手をとめてそちらを向くと「これで私の衿をそってください」と、持っていた軽便カミソリを祈るように差し出した。剃って上げたいが、カミソリという物を使ったことがないと断ると「いいんです、ただスッとやってくれれば」「大丈夫かしら」「ええ、簡単でいいんです」と言う。ためらっている私にカミソリを握らせたのは次のひとことだった。「明日、私はオヨメに行くんです」私は二度びっくりしてしまった。…… 私は笑って彼女の背にまわると、左手で髪の毛をよけ、慣れない手つきでその衿足にカミソリの刃を当てた。明日嫁入るという日、美容院へも行かずに済ます、ゆたかでない人間の喜びのゆたかさが湯気の中で、むこう向きにうなじをたれている、と思った。
(後略)
石垣りん エッセイ集『ユーモアの鎖国』収 「花嫁」より
久しぶりにねねの湯へ。いつもはほとんど一人で行く場所ですが、“お誘いをいただき”、即OK。私は誘われるとなかなか断らない。
断れないのではありません。変更可能な自分の計画は後回しにしてしまうこともあります。
前回は4月、世間がお花見に右往左往している中、ひとりで行きました。
今日もよい天気、比較的すいていました。
スチームサウナが好きな私、寝入ってしまいそう、このまま意識が遠のくのかとまで?リラックス、リラックス。
石垣さんがいかれた公衆浴場とは比べ物にならない、ゆたかに満々とあふれ出るお湯。使いたい放題のシャワー。
ほてった体を冷やすのにいったい何倍の水をかぶっているでしょう。
明日結婚するという花嫁さんの貧しさのなかのゆたかさ・喜びを感じ取っておられる作者。
一方私は、好き勝手?、自らの癒しを求めて、ここでの時間を自分のためにたっぷりと使うのです。
「お風呂に入れないから、体がかゆい」と言っていた少年の映像が記憶に新しい。
その晩もおそく、流し場の下手で中腰になってからだを洗っていると、見かけたことのない女性がそっと身を寄せてきて「すみませんけど」という。手をとめてそちらを向くと「これで私の衿をそってください」と、持っていた軽便カミソリを祈るように差し出した。剃って上げたいが、カミソリという物を使ったことがないと断ると「いいんです、ただスッとやってくれれば」「大丈夫かしら」「ええ、簡単でいいんです」と言う。ためらっている私にカミソリを握らせたのは次のひとことだった。「明日、私はオヨメに行くんです」私は二度びっくりしてしまった。…… 私は笑って彼女の背にまわると、左手で髪の毛をよけ、慣れない手つきでその衿足にカミソリの刃を当てた。明日嫁入るという日、美容院へも行かずに済ます、ゆたかでない人間の喜びのゆたかさが湯気の中で、むこう向きにうなじをたれている、と思った。
(後略)
石垣りん エッセイ集『ユーモアの鎖国』収 「花嫁」より
久しぶりにねねの湯へ。いつもはほとんど一人で行く場所ですが、“お誘いをいただき”、即OK。私は誘われるとなかなか断らない。
断れないのではありません。変更可能な自分の計画は後回しにしてしまうこともあります。
前回は4月、世間がお花見に右往左往している中、ひとりで行きました。
今日もよい天気、比較的すいていました。
スチームサウナが好きな私、寝入ってしまいそう、このまま意識が遠のくのかとまで?リラックス、リラックス。
石垣さんがいかれた公衆浴場とは比べ物にならない、ゆたかに満々とあふれ出るお湯。使いたい放題のシャワー。
ほてった体を冷やすのにいったい何倍の水をかぶっているでしょう。
明日結婚するという花嫁さんの貧しさのなかのゆたかさ・喜びを感じ取っておられる作者。
一方私は、好き勝手?、自らの癒しを求めて、ここでの時間を自分のためにたっぷりと使うのです。
「お風呂に入れないから、体がかゆい」と言っていた少年の映像が記憶に新しい。