
去る2月8日に立松和平氏が亡くなったことはオーストラリアで知って驚いたことの一つだった。親鸞賞を受賞された作品『道元禅師』には関心はあっても手が出ない。連合赤軍を題材にした作品が盗作問題で話題になったことが思い出される。
氏は『象に乗って』に書いている。
「春になれば水もゆるみ、ぬかるみができる。泥はやっかいな存在であるが、春を告げる喜びのしるしでもあったのだ。春泥と文字に書くと、なまめかしいような気分が伝わってくる。春はやはりなまめかしいものなのだ。」
路面は季節の移り変わりの鏡でもあったのに、道路にぬかるみがなくなったことで風景を大きく変えている。道を譲りゆずられして生まれる人との共感もあった…と。
坂の街ブリスベン。 家の前、

晴れた日には白く長い筒状の物が側溝と平行に口をふさいでいたが、いつの間に誰が… 流れてくる水の方向に45度ほど開いた状態で大量の雨水を側溝へと誘いこんでいる。これって、写真左から右へと下ってくる雨水のなせる仕組み??はて…。
雨上がりの雲を映す水たまりもない。ここも舗装道路がJessieの楽しみを奪っているかのようだった。わざとぴちゃぴちゃ水を跳ね上げる楽しみは子供の特権でもあったような…。
家の周りでは、そもそも雨水を跳ね上げないようにと気遣うべき行き交う相手さえいないわけだったが。
暮らし方の工夫や生活の知恵から生まれてくるような文化は、当然大きく異なる。
練炭やおくどさんから出た大量の灰を庭の地面の凹みに捨てている。筵など引いて雪解けのぬかるみをカバーしたこともあった。こんなことをJessieあたりに体験させてやりたくもなる。二つの言語を介して異なる文化を学んでいくという経験を積めるJessie。ついついあれもこれもとお世話が過ぎることだ…。
今日も雨。春寒し。
季節を待つ時間が楽しいのかも知れない。