京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 映すもの… 

2010年03月16日 | 日々の暮らしの中で

春に三日の天気なし、だそうで笑ったり泣いたり…。

少しいいかと体を動かせば調子を崩すこの頃、必要以上に外出しない。ということは、鏡をあまり見ないということだ。昨日、朝晩2回は見た、後は?? 髪をとかしたっけ?そりゃそうだ。
ムムムッ、これではぎょっとする事態になりかねない。他人の視線を浴びるだけでなく、自らのビーム光線をバシバシ当ててせめて笑顔を作っていなきゃ、と思うもののやっぱりその気力さえ萎えることはあるものだ。

『潤んだ瞳に輝く目ヤニ。化粧はしているのに「化粧しろ」と言われ、ハンドバックで重心を取り、あっちへ出掛けこっちへ出掛け。バッグの中に財産はなく、いざというときの保険証』って綾小路様の“愛言葉”。実際、思い切って外出すれば自分の靴先がなぜか引っかかって、前へつんのめりそうなんて笑えないことだってあるわけで…。

ふっと垣間見る他人のさりげない表情や姿に、見え見えの傲慢さを感じたり、不満さが漂うのを見つけたり、口元に幸せが滲むのを見たり、体調の悪さや険しそうな人生を想像したりもできる。毎日の感情や心の積み重ねが顔や表情を作るとしたら、街にはいたるところで自分の心も映し出されているということかしらん。

HALL家は部屋の一面には鏡がはめ込まれたつくりになっていた。あの4歳児でも髪に手をやりヘアーチェック、日に何度か衣装替えをしては“うっとりきれいに変身”。
こうしておしゃれのセンスの土台ができ磨かれていくのかもしれない。

もはや「こんなもんでいいんじゃな~い」とありものに満足だけれど、心がどっちに向いているか、その質さえ映し出す目の輝き心の弾み。目ヤニなどつけてしょぼくれていたくはないよ。早く外へ出たい。

雨にぬれて重たげに頭をたれていた椿。咲いて日数も経てば白い花弁には茶色の筋が入り薄汚れ、まるまるの落花。にしても葉の艶やかさはどういうわけだ。

コメント (4)
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