京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 あいまいさの功…  

2010年03月22日 | 日々の暮らしの中で

    “一つとや ひとりで早起き身を清め 日の出を拝んで庭はいて水まいて”
                       (「初等科音楽」昭和17年)

「数え歌」はもとは俗謡、次第に教訓的な替え歌が作られるようになって言ったそうだ。

昨日の朝は東の空に白い太陽がかすんでいた。黄砂のせいだ。別に数え歌との関連は薄い朝の太陽なのだが、早起きは三文の徳。強風で散乱した裏庭の片付けが待っていた。誰かが使っては置きっ放しの山積み状態、それを見かねて軒下に押し込み返すその場しのぎが災いしたか…。
    人の非は非とぞ憎みて非とすれど我が非は非とぞ知れど非とせず
何?何?何? もう少しゆっくりもう一度…
そりゃあそうだと頭を下げているうちにはこの声も通過していく、ってわけでこれも知恵。
どちらが悪いのかを突き詰めると、これはもう勝ち負けになる。そんな思考は一文の得にもならず!

数台前方の車が反対車線側の店舗に入りたいらしい。ようやくできた渋滞気味の車列の切れ目に車のお鼻を突っ込んで右折。そのままいくと見ていた矢先のこと。左端を走ってきたらしいバイク「が」体当たり。顔をゆがめ足を引きずり、若者は起き上がった。
事故の目撃は、いやーな気分に襲われる。

何で突っ込んだのか?双方の不注意ではあるけど、あーあ、流れが止まっているのに。必要以上にせかせか先を急ぐ、ありがちなことだし気をつけなくっちゃ。
悪いのはどちらか、明確になるのだろうか。

「ちらほら」咲き、おおかたは「つぼみ」の桜だよりだけれど、“明日ありと思う心のあだ桜”。やはり機会は逃さず無駄にせず…かな。
コメント (4)
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