京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

こんなふうに生きた人が、

2017年11月12日 | 展覧会

『湖の伝説 -画家・三橋節子の愛と死-』(梅原猛著)という本があります。夫との婚約時に郵送で届いた一冊でした。40年にもなろうかという昔のことで、当時読了したかさえ記憶にありません。以後、何度かはページを開き、昨年には改めて再読したという一冊ではあります。
誰にも引けを取らない美術館オンチ。そうなんですけれど、どんなスイッチが入ったのか。滋賀県大津市小関町にある三橋節子美術館を訪ねました。2回目ですが、今回は近松寺(湖西27名刹の5番)とセットで。

昭和14年3月3日、大阪で誕生。京都市立美術大学で学び、昭和43年、日本画家・鈴木靖将氏との結婚を機に滋賀県大津市の長等山の麓に居を構え、長等の風土や歴史を題材に数多く作品を発表された節子さん。二人の子供を授かります。昭和48年、鎖骨骨肉腫により右腕切断の大手術。術後すぐから、絵筆を左手に持ち替えて描くことに専念されたと。

退院してみると自宅の裏山の近松寺(ごんしょうじ)にある樹齢800年の菩提樹がスズランのような花を咲かせていたそうです。初めて左手で本格的に描かれた作品「菩提樹」。先が短いことを知って、夫や子供たち、父や母に別れを告げるために、近江の昔話に自分の思いを重ねて絵を残します。家族で余呉湖に遊び、互いに別れを受け入れ、さよならを言う時間を過ごし、そして描かれた絶筆が「余呉の天女」。我が子への遺言、「雷の落ちない村」。大切な人を失う悲しみ…。その中にも、亡くなった人こそいつまでも心の内に存在し、傍にいてくれると実感するのではないでしょうか。作品に用いられる白い線が、それと、使われる朱色がとても印象的に心に残ります。
靖将氏がスケッチしたデスマスク。亡くなる7時間前に二人の子供に当てて書いたという葉書2枚の展示も。地域の豊かな先人のゆかりを大切に継承されていることが学芸員さんや館内の雰囲気から伝わって、とても素敵な美術館です。
再婚された靖将さん。氏は新見南吉生誕100年を記念した企画で童話の挿絵を担当されていて、その挿絵原画展が新見南吉美術館で開催中だと教えられました。



美術館の裏からさらに少しだけ高みに、雨風に傷んではいましたが琵琶湖に開いて近松寺の本堂はありました。近松門左衛門が20歳から3年ほどをここで過ごしたと伝えられます。
そこかしこに眺められる寺の甍に目を奪われながら、ぶ~らぶ~らと京津線「上栄駅」まで戻りました。
「日本文化に多く見られる入れ子型構造の屋根の先端の反りは、上昇を志向するもんじゃなくて、内へ引き寄せながら外を包み込んでいる力だそうだ。…」。 ???同行者の言葉は宿題になりました。
コメント (12)
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