去る土曜日、友人から「彼女がその名を知らない鳥たち」を観に行かないかと映画への誘いが入ったのでした。内容のあらましも知らないまま気楽に乗っかって、なんとも後味悪く見終えました。話しも弾みません。それなら、と「もみじの永観堂」へ案内することにしました。私もモミジの時季に参拝したことがありません。
東山山麓にある南禅寺から少し北へ、地下鉄の蹴上駅で降りて歩きました。総門前の南北の道は狭くって、車と人の交通整理です。内へとくぐり入れば「モミジと壁に手を触れないでくださーい」と参道の脇に並び立つ若者から注意喚起の声が繰り返されていました。「大変なとき来ちゃったね」、と。


前回ここに来たのは、あるボランティア団体のハイキングで立ち寄ったときで7、8年は前のこと。「昨日、ここに死体が埋まっていたのよ」と木の根元を指しながら、前夜観たテレビドラマが話題になったものでした。
「もみじの永観堂」、モミジは約3000本あるとか。ヤマモミジや小型の愛くるしいイロハモミジなど素晴らしい美しさです。燃え上がる一番の盛りに出会えるのは、きっとほんの一瞬のタイミング。見頃を迎えていた紅葉の美しさにも、真っ赤な葉もあれば、橙色、黄みがかった葉もあり、まだ青葉に近い葉があるかと思えば、一足先に既に紅はくすみ始めたそれもあり、とその一葉、一葉の姿は様々です。あのみずみずしかった新緑の、いわば老化現象などと重ねては興が醒めるのかしら。

永観堂といえば、首を左に傾げ、振り向いた姿の「みかえり阿弥陀如来像」です。像高は77センチ。須弥壇の真正面からではお顔がほとんど見えず、右手側面に回ると近くから拝顔できるのです。
7代住持となる永観が、念仏行で念仏を唱えながら阿弥陀如来像の周りを回り続けていた時、阿弥陀如来が壇から降りてきて永観を導くように先に立って歩き始めた、とか。驚いて立ちすくむ永観を振り返って、阿弥陀如来は「永観、遅し」と言葉をかけたそうです。感涙し、合掌すると阿弥陀如来はその時の姿のままになった、とエピソードが伝わるようです。
「みかえり」の意味を講釈し出した若いカップルの女性の言葉が耳に入ってきて、聞いてみたいと思ったのですが立ち上がりました。「代償」としての意味合いでしたから、はて…。阿弥陀堂を出て、下がったところからお堂を振り返ってみました。

朝方の天気も回復して、秋の午後の日差しはどこかしみ入るやさしさです。徐々に陽が傾いていくのが感じられる午後3時過ぎ、ここを後にしました。これは、孫娘と吉野山を巡る楽しみがお流れになってしまった11日のことでした。
びわ湖北部にある石道寺(しゃくどうじ)の、紅をひとはけ唇に残し、右足親指を上げて、今にも一歩踏み出すかの十一面観世音菩薩像が思い出されます。「さあ、こっちにおいで」との如きここ永観堂の珍しい姿もあれば、浄土真宗の阿弥陀さまは「私はここにいますよ」と私たちの前にしっかとお立ちです。
――などと思うこといろいろです。
東山山麓にある南禅寺から少し北へ、地下鉄の蹴上駅で降りて歩きました。総門前の南北の道は狭くって、車と人の交通整理です。内へとくぐり入れば「モミジと壁に手を触れないでくださーい」と参道の脇に並び立つ若者から注意喚起の声が繰り返されていました。「大変なとき来ちゃったね」、と。


前回ここに来たのは、あるボランティア団体のハイキングで立ち寄ったときで7、8年は前のこと。「昨日、ここに死体が埋まっていたのよ」と木の根元を指しながら、前夜観たテレビドラマが話題になったものでした。
「もみじの永観堂」、モミジは約3000本あるとか。ヤマモミジや小型の愛くるしいイロハモミジなど素晴らしい美しさです。燃え上がる一番の盛りに出会えるのは、きっとほんの一瞬のタイミング。見頃を迎えていた紅葉の美しさにも、真っ赤な葉もあれば、橙色、黄みがかった葉もあり、まだ青葉に近い葉があるかと思えば、一足先に既に紅はくすみ始めたそれもあり、とその一葉、一葉の姿は様々です。あのみずみずしかった新緑の、いわば老化現象などと重ねては興が醒めるのかしら。

永観堂といえば、首を左に傾げ、振り向いた姿の「みかえり阿弥陀如来像」です。像高は77センチ。須弥壇の真正面からではお顔がほとんど見えず、右手側面に回ると近くから拝顔できるのです。
7代住持となる永観が、念仏行で念仏を唱えながら阿弥陀如来像の周りを回り続けていた時、阿弥陀如来が壇から降りてきて永観を導くように先に立って歩き始めた、とか。驚いて立ちすくむ永観を振り返って、阿弥陀如来は「永観、遅し」と言葉をかけたそうです。感涙し、合掌すると阿弥陀如来はその時の姿のままになった、とエピソードが伝わるようです。
「みかえり」の意味を講釈し出した若いカップルの女性の言葉が耳に入ってきて、聞いてみたいと思ったのですが立ち上がりました。「代償」としての意味合いでしたから、はて…。阿弥陀堂を出て、下がったところからお堂を振り返ってみました。

朝方の天気も回復して、秋の午後の日差しはどこかしみ入るやさしさです。徐々に陽が傾いていくのが感じられる午後3時過ぎ、ここを後にしました。これは、孫娘と吉野山を巡る楽しみがお流れになってしまった11日のことでした。
びわ湖北部にある石道寺(しゃくどうじ)の、紅をひとはけ唇に残し、右足親指を上げて、今にも一歩踏み出すかの十一面観世音菩薩像が思い出されます。「さあ、こっちにおいで」との如きここ永観堂の珍しい姿もあれば、浄土真宗の阿弥陀さまは「私はここにいますよ」と私たちの前にしっかとお立ちです。
――などと思うこといろいろです。