京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

九重桜の常照皇寺へ

2020年04月05日 | こんなところ訪ねて
花見の時季にはバスツアーもあるようで、見たいけれども混雑は嫌だと避けてきた。けれど今年は…。
  https://blog.goo.ne.jp/kyoto-10nen/d/20161213
  https://blog.goo.ne.jp/kyoto-10nen/d/20180903
京北の里にある常照皇寺を訪ねて3度目。初めて九重桜の開花を目にした。
小さな勅額門をくぐると勅使門が石段上に見える。目的の桜の木の位置はわかっていたし、塀の向こうに薄桃色の花が枝垂れて咲くのが目に入った。咲いてる! 先ずは方丈で、鴨居の上にお立ちの釈迦如来像にお参り。そして縁に出て。庭に下りて…。





年月を経て花の付き方も衰えているというが、数百年来の命の花を咲かす九重桜。やさしい花の傘ではないか。これが一度見たかった。エドヒガンの一変種でベニシダレと言われる品種だそうだ。
「花は生命のままに咲く。だから散る夕べは哀れで寂しい」「花が散る夕べを哀れ寂しと思うことで、花の盛りがあったことを祝福しているのだ。女人の恋のめでたさを祝し讃えているのだ」。女院をつねに薄紅の花の咲く枝垂れ桜の中に立つ女人として感じていた頃の西行に、空仁上人が掛けた言葉としてあった『西行花伝』の一節が思い起こされる。描写に浸り、あれこれ想像し思いを寄せたりしつつ未だにぼつぼつ読み進めている。

左近の桜はちらほら咲き。方丈の前の御車返しの桜はまだ蕾だった。一重の花も八重の花もあるというが、この蕾がひらくのはいつ頃になるだろう。四季の移ろいに心やすめ、静謐な里での暮らしに、光厳天皇は安心(あんじん)を得てきっと幸せを感じられたことだろうと思いを寄せた。



迎えてくれた桜の下を進んで後にした。また来よう。

小さな急なカーブが連続する周山への道。高尾にかかる頃、カーブを抜けるや左手前方の山の斜面を彩るツツジらしき群生が目に飛び込んできた。ハンドルを握りながら思わず感嘆。チラ見だが、見事な光景だ。ああ、これか!と思い出したのが西明寺のご住職の言葉だった。「4月初めごろに、裏山のミツバツツジをご覧においでなさい」
いきなりで、カーブ続きの細い道に咄嗟に車を止める場所もなく、今回はまずは目的を果たそうと常照皇寺に向かうことにした。道路沿いにはカメラを向ける人たちがいる。西明寺も訪ね、ミツバツツジの群生も一見したいものだ。今度、こんど。いつか、いつかで過ぎないうちに桜とともに…。

コメント (2)
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