8月6日
ホジャンドを出発する朝、ホテルのすぐ近くにあるスーパーが6時半からやっているというので覗いてみた。
公団アパートの1階にあるミニ・スーパーといったところだが、一通りのものは揃っている。
ロシア経済圏なのでロシアや旧ソ連邦の国の製品ばかり、英語表記が全くないのが目新しい。
店員が不親切ではないが無愛想でやる気がないのはソ連式だろうか。
ホジャンドからは南西のイスタラフシャンへ向かう。
平地に伸びる道はきれいに舗装され、その両脇にはタジキスタンでも綿花畑が多い。
今の時期はまだ花が咲いていて、綿の実は見えない。
コットンボールになっているところは見たことがあるが、花は初めて見る。もっとよく見たいものだと思っていたら、添乗員がタイミングよく車を止めてくれた。
近くで見る綿の花は白くてきれい。オクラの花に似ていると思ったら同じアオイ科の植物らしい。
同じ枝にピンクのつぼみがついているのが不思議だと思っていたが、これはつぼみではなく花がしぼむとなぜかピンクになるのだそうな。これが円い実になり、これがはじけると綿花がとれる。
しばらく走ったところでまた車が止まった。
何事かと思って降りると、道路わきに数人の男たちが座り込んでいて、ガイドが声をかけると何かを取りに道路の反対側に渡っていった。
やがて持ち帰ったのはこれ↓
小さな蛇で毒はないそうだが、食べると精がつくと男どもが好むらしい。
1匹200ソモニというから4000円はこの国では高級品。道路の反対側に隠しているということは禁制品なのだろう。
こういうのって万国共通だ。
イスタラフシャンの町には1時間半で到着。
まずは町はずれの小高い丘の上にあるムグ・テペへ。
アレキサンダー大王に滅ぼされたソグド人の要塞跡だが、町の成立2500年記念に最近建てられた城門以外、中にはほとんど何も残っていない。
ただ丘からはイスタラフシャンの町が一望できる。
丘を降りて、旧市街と呼ばれる一角へ行く。
車を止めた途端に子供たちがわらわらと寄ってきて、写真を撮ってほしくて大騒ぎ。まだ外国人観光客が珍しいのだろうが、物をねだるでもなく、すれていない。
子供たちに先導されてアブドゥラティフ・スルタン・メドレッセへ。
小さいがブルーのタイルが美しい建物は15世紀のもの。
モスクの内部はがらんとしているが、神学校としては現役なのだそうだ。
メドレッセのまわりには土壁を巡らせた住居が続く。
このような地区はモハッラと呼ばれ、意味は「近隣地区」だが、同業者や同じモスクの信者などが緊密につながる共同体とか。
集まっていた子供たちのうち、ちょっと年かさの女の子に声をかけて家の中を見せてもらうことになった。本当の「アポなし訪問」だが、中央アジアではこう言うのがありだそうで。
小さな門をくぐると中庭の四方を建物が取り囲んでいる。
庭の奥にはナンを焼く窯やプロフを作るためのかまどもあるが、家の中には現代的なキッチンもあり
部屋の壁にはじゅうたんがかけられて驚くほど涼しい。
ずうずうしく家の中まで拝見していると手際よくお茶の用意がされた。
見知らぬ人でも客にはお茶とナン、お菓子を出すもの、客はお茶をいただくのが礼儀というものだそうで。突然の外国人を快く受け入れてくれたスカーレット・ヨハンソン似のお嬢さんとおじいちゃん、おばあちゃんに感謝。
さらに町内を歩いてハウズ・サンギン・モスクへ。
19世紀の小さなモスクだが、古い天井装飾の寂れ具合がいい。
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ホジャンドを出発する朝、ホテルのすぐ近くにあるスーパーが6時半からやっているというので覗いてみた。
公団アパートの1階にあるミニ・スーパーといったところだが、一通りのものは揃っている。
ロシア経済圏なのでロシアや旧ソ連邦の国の製品ばかり、英語表記が全くないのが目新しい。
店員が不親切ではないが無愛想でやる気がないのはソ連式だろうか。
ホジャンドからは南西のイスタラフシャンへ向かう。
平地に伸びる道はきれいに舗装され、その両脇にはタジキスタンでも綿花畑が多い。
今の時期はまだ花が咲いていて、綿の実は見えない。
コットンボールになっているところは見たことがあるが、花は初めて見る。もっとよく見たいものだと思っていたら、添乗員がタイミングよく車を止めてくれた。
近くで見る綿の花は白くてきれい。オクラの花に似ていると思ったら同じアオイ科の植物らしい。
同じ枝にピンクのつぼみがついているのが不思議だと思っていたが、これはつぼみではなく花がしぼむとなぜかピンクになるのだそうな。これが円い実になり、これがはじけると綿花がとれる。
しばらく走ったところでまた車が止まった。
何事かと思って降りると、道路わきに数人の男たちが座り込んでいて、ガイドが声をかけると何かを取りに道路の反対側に渡っていった。
やがて持ち帰ったのはこれ↓
小さな蛇で毒はないそうだが、食べると精がつくと男どもが好むらしい。
1匹200ソモニというから4000円はこの国では高級品。道路の反対側に隠しているということは禁制品なのだろう。
こういうのって万国共通だ。
イスタラフシャンの町には1時間半で到着。
まずは町はずれの小高い丘の上にあるムグ・テペへ。
アレキサンダー大王に滅ぼされたソグド人の要塞跡だが、町の成立2500年記念に最近建てられた城門以外、中にはほとんど何も残っていない。
ただ丘からはイスタラフシャンの町が一望できる。
丘を降りて、旧市街と呼ばれる一角へ行く。
車を止めた途端に子供たちがわらわらと寄ってきて、写真を撮ってほしくて大騒ぎ。まだ外国人観光客が珍しいのだろうが、物をねだるでもなく、すれていない。
子供たちに先導されてアブドゥラティフ・スルタン・メドレッセへ。
小さいがブルーのタイルが美しい建物は15世紀のもの。
モスクの内部はがらんとしているが、神学校としては現役なのだそうだ。
メドレッセのまわりには土壁を巡らせた住居が続く。
このような地区はモハッラと呼ばれ、意味は「近隣地区」だが、同業者や同じモスクの信者などが緊密につながる共同体とか。
集まっていた子供たちのうち、ちょっと年かさの女の子に声をかけて家の中を見せてもらうことになった。本当の「アポなし訪問」だが、中央アジアではこう言うのがありだそうで。
小さな門をくぐると中庭の四方を建物が取り囲んでいる。
庭の奥にはナンを焼く窯やプロフを作るためのかまどもあるが、家の中には現代的なキッチンもあり
部屋の壁にはじゅうたんがかけられて驚くほど涼しい。
ずうずうしく家の中まで拝見していると手際よくお茶の用意がされた。
見知らぬ人でも客にはお茶とナン、お菓子を出すもの、客はお茶をいただくのが礼儀というものだそうで。突然の外国人を快く受け入れてくれたスカーレット・ヨハンソン似のお嬢さんとおじいちゃん、おばあちゃんに感謝。
さらに町内を歩いてハウズ・サンギン・モスクへ。
19世紀の小さなモスクだが、古い天井装飾の寂れ具合がいい。
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