Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

ヨルダン縦断10 ペトラ

2008-06-12 00:26:47 | 中近東/北アフリカ
5月8日

9時前にモーベンピック・ホテルを出て、徒歩3分のペトラ遺跡入り口へ。
入場料は21ディナール、3000円以上もするのにパンフレットは2人に1冊しかくれず、しかもスペイン語。有名観光地はタカビーだ。

 門を入ってしばらくは広々とした参道。早くも小さな遺跡が姿を見せるが、皆立ち止まりもせず先を急ぐ。
 
やがてシークと呼ばれる渓谷の入り口、両側にはそれらしい格好をした門番が立っている。
  
幅は馬車が1台通るのがやっと、高さは80メートルもあって両側から覆いかぶさるような岩が実に印象的。ここを1.2キロ歩いてやっとあの有名な遺跡が見えてくる。
 ご存知、エル・ハズネ。
43メートルの巨大な遺跡に感動、と言いたいところだが、実際はあまりの観光客の多さに唖然としてしまって、そちらに目が行ってしまう。遺跡も霞む人の多さ。

気を取り直して細部をじっくり眺めてみると
  
壁面の彫像は風化しているように見えるが、どうやら意図的に削られた様子。その証拠に人物の背後の翼や、柱頭の植物紋様ははっきりしている。
 そして中はほとんど装飾もなく、からっぽ。最近になってようやく王の墓だとわかったらしいこの建物、わかっていることはほとんどない。

  
客待ちのラクダを横目に見ながら先に進めば、山肌はボコボコと墓だらけ。どれもぽっかり口をあけているが、これも中には何もない。これらがすべて墓なら、中身はどうなってしまったのだろう。
  

 
遺跡のところどころではベドウィンが、多くは子連れで土産物を売っているが、この人たちはあっさりとあまり商売っ気がないのがよろしい。

さらに進むとローマ風の列柱通りがあるが、柱は立っておらず、先端の凱旋門が残るだけ。
  
この周りには建物がたくさんあったのだろうが、ほとんどすべて崩れて、結局残ったのは山肌に掘られた墓ばかり、ということらしい。

そんなわけでこの遺跡には凝った細工の装飾などはほとんどなく、ちょっと寂しい。
 
 ナバテアとローマの違いも素人には分からず。
 
ディテールで一番面白いのはカラフルな岩肌の模様かもしれない。

そうこうしているうちにお昼になった。しかしペトラに関する誰の記事を読んでも食事についてはほとんど触れられていない。これはよほど食べる所がないか、おいしくないか、あるいは両方に違いない、ということで朝、ホテルのビュッフェでサンドイッチを作って持ってきた。
 
遺跡を一望できる高い所に登ってランチ。

エネルギー補給をして、さらに奥へと進む。


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チベット、アフガニスタン、アフリカのために

2008-06-10 01:32:47 | 雑談
いつも能天気な当ブログだが、たまには人様のお役に立つ情報を。

チベットのために

チベットをサポートする有志たちが、洞爺湖サミットでダライ・ラマと胡錦濤の直接対話を求める署名運動を起こしている。

フリー・チベット・チーム・ジャパン

聖火リレーの沿道でフリーチベットを叫ぶのもサポートの一つの形だが、最高責任者同士の直接対話を国際社会が見守る場で実現させようと言うのはさらに現実的で大人のサポートだと思う。

チベット人なら誰も文句のない、最高のリーダーを持つチベットだからこそ可能な、解決への最初の一歩ということで、ぜひ実現してもらいたいこのアイデア。
胡錦濤もこれをのめるぐらい人間が大きければ歴史に名を残せるぞ。


アフガニスタンのために

いつも覗かせてもらっているブログ、「世界の笑顔に出会いたい」からアフガニスタンの写真展のお知らせ。

写真パネル展のお知らせ - 世界の笑顔に出会いたい - Yahoo!ブログ

このブログの管理人、Mestさんは写真家の長倉洋海氏が主催するアフガニスタンの学校支援ボランティアグループの一員で、ご自身もとても素敵な写真を撮ってブログに載せている。

あこがれのアフガニスタンの人々の笑顔に癒されに、来週は東中野へ行きましょうか。


アフリカのために 

これは友人から聞いたアメリカ発の非営利団体のサイト。

Kiva - Loans that change lives

バングラデシュのグラミン銀行と同じ、マイクロファイナンスのシステムをネットを使って地球規模で始めてしまった人たちがいるのだ。

このシステムがおもしろいのは借りる人の顔も、貸している人の顔も見えるところ。さらに融資額、返済額もすべて透明というところ。寄付ではなく、あくまで融資なので、リスクに関するレーティングまでついている。

貸付先はアフリカが多いが、アジアでもタジキスタンやカンボジアに融資を受けたい人たちが大勢いる。興味のある人を選んでその人に融資すれば、近況報告までもらえる仕組み。


世の中には頭のいい人、善意の人も大勢いるということ。
そう捨てたもんじゃない。


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ヨルダン縦断9 ワディ・ラム

2008-06-09 02:32:53 | 中近東/北アフリカ
5月7日 続き

昼にホテルをチェックアウトして、前日手配したツアー会社の若い兄ちゃんにピックアップされてワディ・ラムへ向かう。デザート・ハイウェイを北上し、さらに東に折れると砂漠の中。
 なぜか途中でミュージシャンと称するおじさんを乗せ、このかわいい車で走り回る。

はじめに止まったのは大きな岩山の麓。
「あの上に緑が見えるだろ?あれがロレンスの泉だ。勝手に登ってきていいよ、僕らはあっちのテントで待ってるから。じゃーね」って、おい、案内は?
 
まあ、勝手に登れというくらいだから簡単に行けるんだろう、とタカをくくって登り始めたら、これが大変。岩がゴロゴロで、踏み跡も分からない。かなりがんばったが残り20メートルほどで断念。後から来た観光客も途中で引き返していたし、あの泉までたどり着く人はいるんだろうか。
 ここまで登っただけでも自分をほめたい。
なんて思いながら大汗かいてテントに入ると、ガイドとおっさんはお茶を飲みながら楽器を鳴らしてのんびりしている。
 どうもこの楽器は我々に聞かせるためではなく、自分達のためらしい。

「それじゃ次に行こうか」と
 石の橋
ここも「あの上に登れるよ。勝手に行ってきて。」とかなり手抜きのガイド。他の車のドライバー達も見ていると大同小異で、でもなんだか憎めない。ヨルダン人ってなんだかコセコセしていなくて自分に正直なんだもん。

 
他にも声のよく響くカザリ渓谷やロレンスの家などを3時間ほどで回る。


周りの景色はリビアのアカクスやアルジェリアのタッシリナジェールをコンパクトにした感じ。効率よく砂漠を経験するには最適だが、ここを楽しむならやはり「アラビアのロレンス」を見てから来るのがいい。岩陰からアンソニー・クインやアンソニー・クエイルが出てきそうだが、しかし45年も前のこの映画、若い子は題名も知らないらしい。

 砂塵にけぶるワディ・ラムを離れ、デザート・ハイウェイからまたキングス・ハイウェイに入り北上する。
 ハイウェイの西側はまた雄大な景観の渓谷。
この渓谷の中に降りていくとやがてワディ・ムーサ。
 ペトラ遺跡のすぐそばにあるモーベンピック・ホテルに入ると、日本人ツアー客が3組も来ていた。


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スウェーデン料理 「ストックホルム」

2008-06-08 00:08:09 | 食べ歩き
大昔、六本木にスウェーデン・センターというのがあって、その中に「ストックホルム」という、おそらくその当時は日本で唯一のスウェーデン料理屋があった。
まだ若かった私と友人達にはちょっと高くて何回も行けなかったが、おいしかったのでこの店がスウェーデン・センターと共になくなってしまった時には残念だった。

その 「ストックホルム」 が実は赤坂見附に移転していたのを発見したのはごく最近のこと。
レストラン ストックホルム スウェーデン料理スモーガスボード専門店です。
一緒に行った友人の曰く、「この店に来るの、四半世紀ぶりじゃない?」うげげ。

店は見附の交差点に面した赤坂東急プラザの1階にあるが、どっしりしたドアの中は見えず、知らなければ入りにくい。
昔の店に比べるとずいぶんこじんまりした感じだが、真ん中にスモーガスボードのテーブルが待っているのは同じだ。


友人はスウェーデン・ビール、自分はエルダーベリーフラワーのジュースで乾杯をして、さあ、お料理をいただきましょう。
 一皿目は全部ニシン。それぞれ何のソースだか説明もないけど(聞けば多分教えてくれる)、どれもみんなおいしい。個人的には一番あっさりした酢漬けが好きかな。
 二皿目も冷たい前菜。スモークサーモンやタラの燻製は定番。それより豆がおいしかったりする。
 まだ前菜いきます。ゆでたサーモンもチキンもしっとりして、予想以上のおいしさ。しかしこの皿で一番おいしかったのは実はビーツ。甘酢漬けなのだがナツメグ(多分)がしっかりきいたはじめての味。はまる。
 四皿目でやっと温かい料理。おなじみミートボールやエビ、ポーク・カツレツ、どれもおいしいがもうお腹一杯。
 と言いつつ、チーズやデザートまでしっかり食べる。タルトは素朴な味、チョコレート・ムースは濃厚すぎてとても食べきれない。

昔おいしいと思った店、久しぶりに食べてがっかりしたらいやだなと思っていたが、そんな懸念はいらなかった。むしろニシンのような地味な料理は今の方がおいしさがわかるかもしれない。それぞれの料理に添えられたソースもどれも手抜きがなくて、クネッケやライ麦パンもおいしい。もっと早く再訪すればよかった。

場所柄か客の平均年齢はかなり高くて、その分落ち着いて食事ができる。
これも場所柄、ディナーの料金が平日は6000円、土曜日は4000円と2000円も安い。

この次は土曜日に来ようね、と約束して店を出た。


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ヨルダン縦断8 アカバ

2008-06-05 01:18:34 | 中近東/北アフリカ
5月7日

朝、ホテルの窓からアカバの町を眺める。
 今回、海辺のリゾートホテルが取れなくて街中の3ツ星ホテルに泊まったのだが、ここもヨーロッパ人旅行者でいっぱい。どうもロシア人がたくさん来ているようだ。

朝食を食べて、海辺の遊歩道をぶらぶら。
  
透明度が高いことで名高い紅海、タンカーがたくさん浮かぶ湾の中でも思いのほか水がきれいだ。気温も空気の冷たかった高原のアンマンに比べて明らかに高い。

しばらく歩いてお目当てのアカバ要塞に到着。
 入り口でお兄さん達が数人だべっていたが、「日本人?」と聞くのでうなずくとただで入れてくれた。

アラビアのロレンスが苦労してベドウィン達と攻略した第一次大戦の戦略拠点、と思って行くとまったく拍子抜けしてしまうほど小さな要塞。
  
ここに本当に英国軍を脅かす大砲があったの?と言うぐらい何もない。日陰にのんびり座った現代のロレンスは案内もせずに「バクシーシ」と手を出す。平和はいいね。

要塞の前はグラスボトム・ボートのたまり場になっているので、その一艘に乗り込む。
  
ビーチのそばにはさんご礁が少し、熱帯魚も少しいるが、たいしたことはない。ダイビングやシュノーケリングには海岸線をもっと南に行かなければいけないようだ。
というわけで、このボートで楽しむのは水の中よりももっぱら周りの景色。アカバ湾の中に浮かぶと3ヶ国が間近に見える。
 ヨルダンのアカバ
 イスラエルのエイラート
 エジプトのタバ

同じ湾に面した、お互い目と鼻の先にあるこの3つの町がそれぞれの国の何かを象徴しているようで、実に面白い。

ボートを降りてまた遊歩道を歩くと、公共ビーチは地元民でにぎわっている。
  
こちらの女性は海の中に入るのも服を着たまま、スカーフをかぶったままだから大変。でもみんな楽しそうだ。

気持ちよく海風に吹かれたら小腹が空いたので、日本では5年に一度も行かないマクドナルドへ。というのもこれ↓が食べてみたかったから。
 
周りを包むアラビア風のパンはゴマも入って香ばしく、なかなかおいしい。で中のチキン・パティは「う~ん、アメリカの味だね~。」
地元のシュワルマ屋なら1ディナールではるかにおいしい物が食べられる。何でこんなもんに2.5ディナールも払わにゃならんのだ。

 セブン・イレブンまである(なぜかNEWが付いている)アカバの町は外人観光客御用達のリゾートなのであった。


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ヨルダン縦断7 マダバからアカバへ

2008-06-04 01:44:09 | 中近東/北アフリカ
5月6日 続き 

マダバのモザイクはまだ続く。
聖ジョージ教会を出た後は車で町の端にある12使徒教会へ。
簡素な外観の教会の中へ入れば 
 床一面のモザイク
  
ここも鳥を中心にした動物と植物のデザイン
 これはたぬき??

モザイク好きももうさすがにおなか一杯、マダバの町を出てキングス・ハイウェイを南下する。

ハイウェイと言ってもこの道は丘を登ったり降りたりする2級道路といったところ。道幅は狭いが周りの景色はいい。
特に途中のワディ・ムジーブ
 眼下にはダム湖も見えて絶景だ。砂漠の印象の強いヨルダン、こんなに渓谷が多いとは思わなかった。

お昼を大分過ぎてお腹も空ききったころ、町に入り丘の上に大きな城が見えてきた。
 12世紀に建てられた十字軍の要塞、カラク城だ。

この城の入り口にあるレストランで観光客向けのおいしくないビュッフェ・ランチを食べて、せっかくだからと城の中もちょっと見学する。
 堀を渡って小さな入り口から入ると
 なるほど戦略拠点の要塞だと納得する景色。
  
広々とした城内の上部構造は崩れているが、地下には廊下がいくつも走り、小さな部屋がたくさんある。
緑もほとんどなく、夏には酷暑になるだろうこんな所に、欲のためか、だまされて連れて来られたか、ヨーロッパの田舎者が何百、何千といたんだろうなあ、なんて想像するとちょっと気持ち悪い。心情的にイスラムびいきなので、十字軍は好きではないのだ。

というわけでカラク城は早めに切り上げて、キングス・ハイウェイを離れてデザート・ハイウェイに出る。
 アンマンとアカバを結ぶ現代の幹線道路は、名前の通り砂漠の中をひたすら走る。

アラビアのロレンスが命がけで越えた砂漠はこれなんだねえ、なんて言っているうちに岩山が増えてきて

これを突っ切ると
 アカバ!

一休みしたらそのままアンマンまで300キロ以上を戻ると言う運転手さんと別れて、我々は久しぶりの魚を食べにレストランへ。
 
 塩焼きに醤油をたらして、と言うわけにはいかなかったが、スズキのようなこの魚、新鮮でおいしかった。


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ヨルダン縦断6 ネボ山とマダバ

2008-06-02 23:41:32 | 中近東/北アフリカ
5月6日 

アンマンを離れ、キングス・ハイウェイを南にくだってマダバの町へ。
まずはビザンチン時代のモザイクで有名なこの町でも最も有名な聖ジョージ教会に入る。
 
すると朝まだ早かったこの時間、中ではミサの最中で、お目当てのモザイクには敷物が掛けられている。ギリシャ正教のこの教会は立派な現役なのだ。

しばらくミサを眺めていたが、当分終わりそうにないので、教会を出てすぐ近くの考古学公園へ。公園と言っても住宅に囲まれたそれほど広くない敷地。処女教会の跡地を中心に、いくつかのモザイクに屋根がかかっている。
  
 
いずれも6世紀ごろの物で、最盛期のローマのモザイクなどに比べると技術的には劣るが、この鳥の模様などかわいらしくて好きだ。

ミサがまだ終わらないので、先にネボ山へ行くことにする。
マダバから西へ10キロ、畑の中の道を行くと、標高800メートルのネボ山の頂上に着く。

北のほうを眺めれば遠くにアンマンのビルも霞んで見え、
 西には死海がこれまたうっすらと見える。この対岸はパレスチナだ。
  
ネボ山はモーゼが亡くなった場所とされるキリスト教の聖地。そのためここには特にアメリカ人の団体がわんさと来ている。エジプト、ヨルダン、イスラエルと回るのが彼らの定番コース、日本人の「インド・ネパール 八大仏跡巡り」のようなものだ。

4世紀からあるとされる教会は現在修復作業中、そのため床のモザイクは大きなテントの中に移されていた。
  
  
洗練されたデザインはさすが由緒ある教会。鳥のモチーフが多いのには何か意味があるのだろうか。

さらにこの近くにはイエスが洗礼を受けた場所と特定された(どうやって?)というバプティズム・サイトというのもあるが、キリスト教徒ではないので興味なくパス。マダバの町へ引き返す。

そして再び聖ジョージ教会。
 ミサも終わり、敷物がはがされている。
 床に広がるのは6世紀のパレスチナ周辺の地図。
 エルサレムにはすでに黄金のドームが見え、
 ヨルダン川には魚が泳ぐ。
  
かわいらしい家がいくつも描きこまれたこのモザイクは、歴史や地理など知らなくても単純に楽しい。

さんざん写真を撮りまくって、我々はさらに次の教会へ向かった。


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ヨルダン縦断5 サルト

2008-06-01 02:14:13 | 中近東/北アフリカ
5月5日 続き

お昼過ぎにジェラシュを離れ、次はサルトの町へ向かう。
「そんな町に何しに行ったの?」とヨルダン在住のアメリカ人に言われるほど観光地としてはマイナーなところだが、ガイドブックに「オスマン朝時代のナブルス様式の家が残る町」とあったので興味をそそられたのだ。なんでも「地球の歩き方」頼りなのがちと情けないが。

地図で見るとジェラシュのすぐ近くのサルトだが、道がぐるっとまわっているらしく40分ぐらいかかって到着。
  
 
山の斜面に黄色く塗られた家々が密集し、狭い道の両脇に雑貨屋さんなど普通の店が軒を連ねる、普通の町。
 昼日中から男どもが座り込んでだべっているのもよくある光景。

おなかが空いていたのでまずは腹ごしらえ、とレストランを探すが、観光客などほとんど来ないような所なのでそれらしき所がない。店先でローストチキンを焼いている思い切りローカルな店をようやく見つけて入る。
 珍客の到来に戸惑い気味のおじさんたちだが、みんな親切。
あっちだよ、と指差された2階、というか屋根裏部屋でチキンをいただく。
 これで確か2ディナール(300円)もしなかったはず。

昼食の後は町歩き。と言っても別に名所があるようなところでもないのでお家見学。
  
上部が半円形になった、二つづつ対の窓がナブルス様式の特徴らしい。
  
  
凝った扉や窓が大好きなので、これは結構ツボにはまる。

しかし19世紀末から20世紀のはじめ頃に建てられたというこれらの建物、写真だと風情があるように見えるが、実際には手入れされていなくてぼろぼろ。きれいに改装すればおしゃれなカフェかレストランになりそうな建物も廃屋になっている。
というわけで、この町全体を世界遺産にして観光地化しようとJICAの援助が入っているそうな。なので10年もしたらこの町も観光客でいっぱいになるかもしれない。今はごく普通の町であるところが魅力なのだが。

それにしてもローマ遺跡やビザンチン教会がゴロゴロしているヨルダンで、たかだか100年ほどのこれらの建物が古くて貴重とはちょっと不思議だった。しかしアンマンなど他の町を見れば、確かにどの建物も新しいものばかり。

その理由は前述のアメリカ人の曰く「ついこの間までこの土地に人なんて住んでいなかったから。」つまりイスラエル建国まではみんなもっと作物の作りやすい、住みやすい土地に住んでいた。その土地を奪われてしまったので仕方なく砂漠の中に新しい町を作ったと言うわけ。

この地域では最も平和なヨルダンだが、ちょっと深掘りするとやはり厳しい歴史が見えてくる。


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