Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

タジキスタン周遊 6 ペンジケント

2013-09-09 11:03:52 | 中央アジア
8月7日

朝一番、イスタラフシャン郊外の小さな村に立ち寄る。

丘の斜面には草ぼうぼうの墓地があり、その中を歩いていくと崩れた遺跡がある。
  
  
ここはチェルフジラ遺跡と言ってブンジカットの見張り塔だったところ。3,4階建だったものの下部2層だけが残っているが、日干し煉瓦の構造はよくわかる。しゃれこうべがわざとらしく置かれているが本物だろうか。
しかしこんな地味な遺跡に立ち寄るツアーは我々だけだろう。

さらに郊外に出ると道路脇にタジキスタン国旗に囲まれた狼の銅像がある。
 ブンジカット遺跡からロムルスとレムスの壁画が出土したからとのことだが、これはもちろんローマにある銅像の複製。肝心の壁画のオリジナルはエルミタージュに持って行かれたというのだが、こちらの複製はどこにもないのが不思議だ。

 行く手にはだんだんトルケスタン山脈の高い山が見えてきた。

山越えのシャフリスタンの手前には通行料を徴収する料金所。
 
タジキスタン国内のあちらこちらにこのような料金所があるのだが、道路工事を請け負っている中国が料金所の設備も丸ごと持ってきているようで、料金表示機が中国語のままだ。

シャフリスタンの山越えは従来標高3378メートルの峠を越えなければならなかったが、2012年の10月に中国製のトンネルができ、おかげで所要時間が1時間短縮できるようになったのだそうだ。
 標高2660メートルにある全長5キロのトンネルで中は真っ暗。
 
トンネルの手前にはまだ少し見えた緑がトンネルの向こう側では全く見えなくなり、荒涼とした山肌を道路が通る。

山を少し下るとドライフルーツを売る屋台があった。
 
アンズもナッツもバケツ売り。

昼過ぎ、アイニという町でドゥシャンベへの道から外れ、ザラフシャン川を右に左に渡りながら進路を西へとる。
  
 灰色に濁った水は雪解け水なので冷たい。
 道も今までのようなきれいな舗装道路ではなくなった。

分岐から3時間でペンジケントに到着。
この辺りにはブドウ畑が多く、町の手前にはワイナリーがあったのでちょっと立ち寄り。
 工場は閉まっていたのだが、ワインを買いたいと言うと事務所を開けてくれた。
 
ワインやシードルなど、作っている品数は多く、ラベルもなかなかしゃれている。
ただしお味の方は・・・(と飲めない自分が言うのも何だが、大昔の赤玉ハニーワインみたい)。 
 

到着が早かったので街中のルダーキー博物館へ。
 
ルダーキーとは9世紀から10世紀のペルシャの大詩人で、ペンジケント生まれのためタジキスタンの偉人の一人となっている。
博物館の中に見るべきものはないが、ガイドさんがルダーキーの詩の一節を暗唱してくれた。言葉はわからないが響きが美しく、たまたまルダーキーの墓参りに来たと言うイラン人のおじさんもうっとり。

ペンジケントにホテルはないので、今夜の宿は初めて「民家風ゲストハウス」というやつに泊まる。
 
ソ連式アパートの奥に門があるが、ここはロンプラにも紹介されている有名宿。 
 
布で覆われた通路から中庭に入ると両側に8つほどの部屋が並ぶ。
 部屋の中にはベッドとやたら大きな空の棚しかないが、共同のトイレ、シャワーも清潔で快適。
 暖かい夜には庭での食事も気持ちいい。  


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高田馬場でシャン料理 「ノングインレイ」

2013-09-07 10:49:12 | 食べ歩き
ミャンマーにいっしょに行ったおねえさんとランチをすることになったので、それならと高田馬場へ行ってみた。

お目当てはシャン州料理の店。
高田馬場にミャンマー料理屋はたくさんあるが、シャン州の料理を出すのはここだけらしい(もう一軒あったところは閉店してしまった)。

ネット情報では駅から徒歩1分とあったのですぐわかるかと思ったら、駅前はごちゃごちゃと店が無数にあるのでわからない。
住所を頼りに地図を見たら、なんのことはない、早稲田口正面から横断歩道を渡ったすぐ目の前、線路脇の雑居ビルの入り口に小さなミャンマー国旗の看板を見つけた。
 このビル正面の狭い入口から入り、ずっと奥に入って左に折れたところ。
 黄色い看板に 「ノングインレイ」 と出ているが、その向こうにも2号店がある。さらにテーブルが3つほどの店内は狭いが、厨房を挟んだ反対側にも同じぐらいの部屋がもう一つあって、実は結構な席数がある。

12時半に入るとほかにお客は誰もいない。
厨房にいる人もなかなか出てこないのでちょっと不安になりつつ、日本語を話すミャンマー人のおじさんが持ってきたメニューから注文。

まずは大定番、お茶の葉サラダのラペットゥ。
 ここのは干しエビやナッツがふんだんに入って香ばしく、ニンニクと唐辛子は脇に添えられているので食べやすい。

ランチメニューからは鶏の花梨煮を選択。
 花梨の姿はないが鶏は甘辛く煮こまれてご飯にピッタリ。
これまたおなじみのピリ辛エビふりかけを加えればさらにおいしい。  
鶏の煮込みには固い葉っぱのような黒いものが入っていたが、あれはなんだったのだろう。

同行者の選んだシャンそばには現地で食べて気に入った揚げシャン豆腐がついていたが、おしゃべりに夢中で感想を聞きそびれた。
他にもトーフウン(固まっていないトーフをかけた麺)やら揚げた竹虫なんてものまでメニューにあるし、ここはもっと人数を集めて夜に来たいと同行者と同意。

食べ終わる頃からお客が増えてきて、出る時に見ると隣の部屋のテーブルも埋まっていた。
妙な作りの店は徐々にお客が増えて拡張した証しだろう。

多国籍化する東京はおもしろい。


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タジキスタン周遊 5 イスタラフシャンのバザールとブンジカット遺跡

2013-09-04 14:36:54 | 中央アジア
8月6日 続き

モハッラの後はイスタラフシャンのバザールへ行く。

道路の片側には小さな鍛冶屋がずらりと並び、中では手でフイゴを動かし、小さな炉で作業をしている。
  
  
この地の特産はナイフだそうだが、羊の角の鞘が蛇みたい。ブリキの洗面台がいい感じだ。

道を挟んだ反対側に広がるのは予想外に大きなこの町のバザール。
  
ホジャンドほど整然としていないが、特ににぎわうという火曜日にあたったせいか活気があって、こちらの方が面白い。

 チャイにつきものの氷砂糖やら角砂糖やらは山盛り。
 
はちみつもこの地方の特産とかで、サラサラしたものからクリーム状になったものまで種類もいっぱい。
味見をして気に入った2番目に高品質の蜂蜜は紙コップ一杯ほどの量で12ソモニ(約240円)だった。

  
 
野菜やら香草、果物も豊富。売り手のおじちゃんやおばちゃんはカメラを向けるとポーズをとってくれたりして、言葉は全く通じないけど楽しい。

しかしこのバザールで一番おもしろかったのは肉売り場。
 羊さんがぶら下がっている光景は珍しくないが
 
でろんとぶらさがっている怪しげな白い物体、これがなんと羊の尻尾の脂肪。これがこのあたりでは羊の中でも一番美味と珍重されて、そのため尻尾が特に大きくなるよう品種改良されているらしいが、それにしてもなんという大きさ。

もっとバザールで遊んでいたかったが、ここで一度ホテルにチェックイン。
 これがイスタラフシャンでのホテルだが、実はホテル部分はこの建物の左端だけで真ん中の立派な部分は結婚式場。
 
右の方には遊園地のような施設もあるし、昼間は子供たちがプールで泳ぎ、夜は縁日のように若い子たちが遊びに繰り出すという、イスタラフシャン一の行楽スポット? 
 
くじ引きをしたらどうも一番いい部屋にあたったらしく、広い部屋はエアコン付きで快適だった。

しばらく休憩した後、車で向かったのは30分ほど郊外のブンジカット遺跡。紀元前からアラブ軍に滅ぼされる8世紀まで続いたソグド人の城塞都市の一つだ。

小さな町を通り過ぎ、水のない川床を走って乾いた丘のふもとに到達する。
 これがブンジカット遺跡。
 
丘の上には王とその側近たちの住居跡があり、離れたところに見える富士山型の丘は王の墳墓。
 
昔も庶民が住んだという丘のふもとにはポプラに囲まれた村が見えるが、崩れた見張り台の向こうに見えるのは荒涼とした景色。

例によって現場に見るべきものはないが、ここからはローマのロムルスとレムスの伝説に影響を受けた壁画などが出土し、今はロシアのエルミタージュに展示されているとか。そう聞くとサンクトペテルスブルグにも行ってみたくなる。
今回はガイドがソグド人の末裔、添乗員が自称ソグド人の生まれ変わりなので何もないところでも説明に熱が入りなかなか面白い。

 でもロバや羊もおうちに帰る夕方、我々もそろそろ引き上げよう。


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タジキスタン周遊 4 イスタラフシャン

2013-09-02 18:34:48 | 中央アジア
8月6日

ホジャンドを出発する朝、ホテルのすぐ近くにあるスーパーが6時半からやっているというので覗いてみた。
  
 
公団アパートの1階にあるミニ・スーパーといったところだが、一通りのものは揃っている。
ロシア経済圏なのでロシアや旧ソ連邦の国の製品ばかり、英語表記が全くないのが目新しい。
店員が不親切ではないが無愛想でやる気がないのはソ連式だろうか。

ホジャンドからは南西のイスタラフシャンへ向かう。
平地に伸びる道はきれいに舗装され、その両脇にはタジキスタンでも綿花畑が多い。
  
今の時期はまだ花が咲いていて、綿の実は見えない。
コットンボールになっているところは見たことがあるが、花は初めて見る。もっとよく見たいものだと思っていたら、添乗員がタイミングよく車を止めてくれた。
 
近くで見る綿の花は白くてきれい。オクラの花に似ていると思ったら同じアオイ科の植物らしい。
同じ枝にピンクのつぼみがついているのが不思議だと思っていたが、これはつぼみではなく花がしぼむとなぜかピンクになるのだそうな。これが円い実になり、これがはじけると綿花がとれる。

しばらく走ったところでまた車が止まった。
何事かと思って降りると、道路わきに数人の男たちが座り込んでいて、ガイドが声をかけると何かを取りに道路の反対側に渡っていった。

やがて持ち帰ったのはこれ↓
 
小さな蛇で毒はないそうだが、食べると精がつくと男どもが好むらしい。
1匹200ソモニというから4000円はこの国では高級品。道路の反対側に隠しているということは禁制品なのだろう。
こういうのって万国共通だ。

イスタラフシャンの町には1時間半で到着。
まずは町はずれの小高い丘の上にあるムグ・テペへ。
 
アレキサンダー大王に滅ぼされたソグド人の要塞跡だが、町の成立2500年記念に最近建てられた城門以外、中にはほとんど何も残っていない。
 ただ丘からはイスタラフシャンの町が一望できる。

丘を降りて、旧市街と呼ばれる一角へ行く。
 車を止めた途端に子供たちがわらわらと寄ってきて、写真を撮ってほしくて大騒ぎ。まだ外国人観光客が珍しいのだろうが、物をねだるでもなく、すれていない。

子供たちに先導されてアブドゥラティフ・スルタン・メドレッセへ。
 
  
小さいがブルーのタイルが美しい建物は15世紀のもの。
 モスクの内部はがらんとしているが、神学校としては現役なのだそうだ。

メドレッセのまわりには土壁を巡らせた住居が続く。
 
このような地区はモハッラと呼ばれ、意味は「近隣地区」だが、同業者や同じモスクの信者などが緊密につながる共同体とか。

集まっていた子供たちのうち、ちょっと年かさの女の子に声をかけて家の中を見せてもらうことになった。本当の「アポなし訪問」だが、中央アジアではこう言うのがありだそうで。
  
小さな門をくぐると中庭の四方を建物が取り囲んでいる。
 
庭の奥にはナンを焼く窯やプロフを作るためのかまどもあるが、家の中には現代的なキッチンもあり
  
部屋の壁にはじゅうたんがかけられて驚くほど涼しい。

ずうずうしく家の中まで拝見していると手際よくお茶の用意がされた。
 
見知らぬ人でも客にはお茶とナン、お菓子を出すもの、客はお茶をいただくのが礼儀というものだそうで。突然の外国人を快く受け入れてくれたスカーレット・ヨハンソン似のお嬢さんとおじいちゃん、おばあちゃんに感謝。 

さらに町内を歩いてハウズ・サンギン・モスクへ。
 
  
 
19世紀の小さなモスクだが、古い天井装飾の寂れ具合がいい。


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