ちょっとした理由から江別市にある「北海道立埋蔵文化財センター」を訪れてみて、自分の食わず嫌いを思い知らされた。なかなか興味深い展示がされていて認識を新たにした。
※ 北海道立埋蔵文化財センターの大きな建物ですが、展示室はこの建物の影の部分にありました。
埋蔵文化財などというのは私から最も縁遠い世界と思っていた。在札15年にもなるのに、隣に立つ「北海道博物館」には何度も足を運んでいるのに、昨日野幌森林公園の雪上ハイクの後、公園の近くにあるセンターに初めて訪れてみた。
※ センターのエントランスにセンター名が掲示されていました。
センターの建物はかなり大きなものだったが、その主たる部分は埋蔵文化財の研究施設が占めているようで、その一角に展示施設が併設されているという感じだった。展示施設では常設展示とともに企画展「森と人」が行われていた。さらにはエントランスホールでは昨年世界遺産に登録された「北海道・北東北の縄文遺跡群」の紹介展示も催されていた。実は私が今回訪れた理由は、今年の夏にできれば世界遺産に登録された「北海道・北東北の縄文遺跡群」の現地を巡ってみたいと思っている。そのためには北海道の遺跡発掘に関するセンター的機能を有している(?)「北海道立埋蔵文化財センター」を訪れないわけにはいかないだろう、というのが訪れた主たる理由だった。
※ 遠軽町・白滝から産した黒曜石の30倍の大きさの模型が展示されていました。
展示室はそれほど広くはなかったが、常設展示では「木の道具」、「土の道具」、「石の道具」、「装いとこころ」、「動物とひと」などテーマごとにコンパクトにまとめられて展示されていた。展示の中でも目立ったのがやはり「土器」だった。縄文時代の前期(草創期)、後期、擦文時代、と分けられていて、時代を経るごとに土器の制作の技術の進歩を見て取ることができ、興味深かった。
※ 縄文時代前期の土器です。
※ 縄文時代後期には注ぎ口が付いたような複雑な土器も作られていたようです。
※ 擦文時代の遺跡から発掘された土器です。大型化が目立ちます。
「企画展」の方は「森と人」というテーマだったが、木の種類によって特質の違う性質を巧みに活用していることが分かる展示だった。例えば、舟を作る木としてはハリギリが適していることを縄文人はすでに知っていたようだ。また、現在バットの素材として有名なアオダモの木もすでに当時に打撃の道具として利用していたようだ。
※ 遺跡から発掘された木製の舟の一部です。
今回は私自身が「縄文遺跡群を訪ねるために」という漠然とした目的で訪れたために、成果も漠然としたものにしかならなかった。次回はもっと訪れる縄文遺跡群のことを学んでから、より目的を明確にして訪れたいと思う。
《北京冬季五輪寸評》
今日のハイライトは何と言ってもスノボーの男子ハーフパイプの平野歩夢選手の念願の初優勝だろう。門外漢の私にとってはクルクルと空中を舞う歩夢選手はまるで異次元の人のように思えた。前回、前々回と銀メダルに終わっていた歩夢選手にとってはようやく王者ホワイトを抑えての金メダルは本望だっただろう。他の日本人選手は残念な結果となったが、歩夢選手の弟の海祝選手が一本目に見せた6mを超える高さのジャンプを見せてくれたことは将来に可能性を感じさせてくれた大ジャンプだった。
その他では、昨日夜のスピードスケート女子5000mに日本から押切、佐藤の両選手が出場した。二人ともよく健闘して自己新を出すことはできたが、レベルの違いはいかんともし難く押切選手の8位入賞が精いっぱいだった。
次に期待される女子カーリングのロコ・ソラーレがいよいよ登場した。昨日の第1戦はスウェーデンに惜敗したが、今後の健闘に期待したい。
亜麻の花が午前中に開花するとは知らなかったぁ。スウェーデンヒルズの建物はやや画一化しすぎてはいないだろうか?そうしたことを思いながら、伊達邦直たちが開拓した広々とした当別を巡り歩いた。
7月16日(金)、映画「大地の侍」ゆかりの地を巡り歩いた私たちは、当別の名所でもあるタイトルの二つの地を訪れることにした。
まず「亜麻畑」の場所を教えていただくため当別町観光協会(役場観光課)を訪ねた。すると場所は教えていただいたものの、「亜麻の花は午前中に咲くんですよね」と言われてしまった。う~ん。これは勉強不足だった。それでも一応教えていただいた当別町郊外の亜麻畑に向かった。
亜麻畑の傍には幟が立てられていて、場所は容易に見つけられた。ところが!亜麻畑のところに行ってみてもあの薄紫の爽やかな花がまったく見当たらないではないか!観光協会の方のアドバイス通りだった。それでもあきらめきれずに傍に寄ってみると、閉じ忘れたかのように2~3輪の花を見ることができた。
※ こうして幟を立てていることを見ると、当別町として亜麻畑をPRしているんですね。
※ 全く花が見えない亜麻畑の畝です。
※ 亜麻に近寄ってみたところです。手前にチラッと青いものが…。
※ わずかに閉じ忘れた(?)亜麻の花が二つ三つ咲いているのを見つけました。
観光協会の方の話では、亜麻の花の開花時期そのものが終りに近いということでもあった。できれば来年出直してみたい。
続いてスウェーデンヒルズに向かった。実は私は退職前に道央への移住候補地の一つとしてスウェーデンヒルズスを一度訪ねたことがあった。だから10数年ぶりの再訪ということになる。スウェーデンヒルズは当別町市街地からおよそ6~7km離れた丘陵地にスウェーデンの北欧型建築の家が立ち並ぶ住宅地である。Wikipediaによると2017年現在782人が居住しているとのことだ。
※ スウェーデンヒルズの中核的存在(?)の交流センターの建物です。
※ 交流センター内にはスウェーデンの家庭の様子がレイアウトされていました。
※ 交流センターの隣のガラス工房で制作されたスウェーデングラスが展示されていました。
スウェーデンヒルズに建つ北欧型住宅は全てが北欧風のかわらで葺かれた屋根を持ち、外壁はえんじ色に白い柱がアクセントになった外観で統一されている。いかにも北欧風といった趣であるが、過去に3カ月ほどスウェーデンで暮らした経験のある私からすると、「確かにそうした住宅もたくさんあったが、そればかりではけっしてない」ということである。以前耳にしたことであるが、スウェーデンヒルズの造成を進める建築会社(?)が意図的に統一を図っていると聞いたことがある。ヒルズは以前に私が訪れた時よりははるかに住宅が増えていたが、静かな落ち着いた佇まいの雰囲気だった。
※ スウェーデンヒルズ内の住宅を数枚撮りました。
住まわれている人たちはリタイア組が多いのだろうか?だとしたら、買い物などに自家用車の運転は必須である。冬季の除雪も大変だろう。とすると、60歳でリタイアして居住を始めたとしても15年程度が限度ではないだろうか?いらぬお節介かもしれないが、その辺りの実状はどうなっているのだろうか?ちょっと気になった…。
※ スウェーデン・レクサンド市との姉妹提携記念として造成されたレクサンド公園です。
※ 公園内にはレクサンド市のシンボルマーク(?)と木馬が置かれていました。
※ レクサンド公園から当別方面を望んだところです。
それにしても当別の地は広々とした広大な大地が広がっている。まさに農業適地だと思う。伊達邦直たちはよく良い土地を探し当てたものだ。その慧眼と幸運が今の当別の礎となっていることを改めて思い知らされた当別訪問だった。
「大地の侍」を観て感動を受けた私は、さっそくゆかりの地である当別の街を訪れてみた。原作者である作家・本庄睦夫の「生誕の地碑」、そして領主伊達邦直が建てた「伊達邸別館」、「当別伊達記念館」と訪ねてきた。
本庄睦夫生誕の地碑
「大地の侍」の原作となった「石狩川」を著した本庄睦夫は当別町の出身である。その生誕の地は当別町の中心からは遠く離れたビトエという農村地区にあるとあった。ビトエという漠然とした地区名だけではたどり着けない。ところが幸いなことに、そのビトエという農村地帯に菓子会社「ロイズ」がふと美工場を建設していて、工場直売店を経営していた。疎この直売店で訪ねると、なんと工場敷地の一角に立っていると教えられた。
なるほど工場敷地の南東角に石碑は建っていた。直売店の方は「正確な生誕の地ではないが…」と言いながら教えてくれたが、広大な地で生まれ育ったことには違いなかった。なお、本庄は伊達家の岩出山藩の出ではなく、佐賀藩士の末裔であるということだ。
※ 当別町の広大な畑の真ん中に建つロイズふと美工場の外観です。
※ 工場直売店の店内には本庄睦夫に関してのいわれなどの説明板がありました。
※ 工場敷地の一角に建つ「本庄睦夫生誕の地碑」です。
※ 石碑の裏側です。
当別町伊達記念館
「当別町伊達記念館」と「伊達邸別館」は隣り合っていたが、こちらは番地まで明示されていた(当別町元町105番地)のでナビに導かれ容易に見つけることができた。ところが!「伊達邸別館」の入口には頑丈なカギがかけられていた。一方「当別町伊達記念館」の方の入口には「当別町民以外は入場をお断りします」という掲示がかけられていた。ガーン!このように表示されていては仕方がない。一緒に行った妻と「帰ろうか」と話をしていたところ、記念館から学芸員のような方が姿を見せ、「どうぞ、どなたもいらっしゃらないので館内を見ていってください」と案内していただいた。思わぬ僥倖に私たちは喜んで館内を見学させていただいた。
※ 記念館の建物としてはやや寂しい外観の「当別町伊達記念館」です。
館内の展示は主として伊達邦直公、並びに奥方の遺物の展示だった。当時の困難な交通事情の中で、人力によって運ばれたと思われる数々は国主としての矜持を保つためにも欠かせぬものだったと思われた。
※ 伊達公の奥方様の化粧道具一式です。明治初期でも高貴な方はしっかり化粧していたとみえます。
※ 展示品の一つ、陣羽織や裃などです。
※ こちらは戦に備えての軍備品でしようか?
館内の一角には岩出山藩の開拓の様子がたくさんの版画によって描かれていたが、それは映画の内容と重なるところが多かった。
※ 東北からの移動の大変さ、開拓の困難さを伝える版画です。
伊達邸別館
学芸員の方は私たちを「伊達邸別館」へも案内してくれた。この「伊達邸別邸」は名士が来村した際の宿泊、懇談や村政執行のため諸会議に使用するため1880(明治13)年に建設されたそうだが、岩出山藩が当別に開拓の鍬を入れたのが1871(明治4)年であるから、開拓も一段落して安定期に入ったころに建設されたことがうかがわれる。別館は意外に小規模で、二階建てであるが一・二階にそれぞれ二部屋しかない小規模な建物であったが、造りはしっかりしたものであった。
※ 「伊達邸別館」の前には、その由来を伝える説明書きがありました。
※ 意外に小ぶりな「伊達邸別館」の外観です。
※ 応接室兼会議室です。
※ こちらは書斎兼控室だったようです。
※ 二階の日本間で客人の寝室ですが、写真では伊達公と奥方、それに開拓の状況を報告する家臣が人形で表現されています。
当別神社 & 開拓記念樹
別邸の直ぐ近くには、領主邦直が御祭神として祀られている「当別神社」がある。そこへもまた件の学芸員氏が案内してくれた。学芸員氏は、神社横に立つ「開拓記念樹」について説明してくれた。ここに立つイチイの木は、当初入植した聚富(しっぷ)が開拓に適さない地だったことから当別の地を調査した踏査隊が露営したという樹齢350年という大木で、開拓当時に村人が心の拠り所とした木だったことから「開拓記念樹」とされたようだ。しかし、数年前に上部が朽ち果て倒れてしまったという。今も根元だけは残っていたが、根元だけでも十分にその大木ぶりを見て取れた。
※ 残念ながら上部が欠けてしまった「開拓記念樹」です。
そしてその奥に建つ「当別神社」は広大な敷地の中にあり、岩出山藩士たちの末裔が支える神々しさに満ちた神社だった。
※ 第一鳥居から見た「当別神社」の本殿です。
※ 一昨日(4日)好天に誘われて岩見沢市まで遠征した。そして①いわみざわ公園、②あやめ公園、③玉泉館跡地公園と三つの公園を巡ってきた。一つずつレポしてきたが最後の「玉泉跡地公園」をレポする。
ちょっと変わった名称の公園である(その理由は後述する)が、小さいながらも静かな日本風庭園が広がっていた。公園の中心に位置する「心字池」にはたくさんの睡蓮の花が咲き誇っていた。
「玉泉館跡地公園」は、岩見沢市のスポーツ施設が集中する広大な「東山公園」の近くにひっそりと佇んでいた。
その公園名に特徴があるので調べてみると「その昔、真冬でも凍結しない池があり、鹿や鳩などが群れをなして生息し傷などを癒していたという。そこは岩見沢唯一の鉱泉が湧き出るところだった。そこに1903(明治36)年、「山鳩の湯亭」として料亭旅館が開業し、翌年「玉泉館」と改称したという。その由来は、メタンガスと共に湯が玉のように湧出することから名付けられたという。以来、温泉旅館として市民に愛されたのだが、1970年代になって旅館が閉鎖されたことにより辺りは荒廃したのだが、市民の要望により整備を進め、2001(平成13)年に「玉泉館跡地公園」として公開されるに至った」そうだ。
※ 公園東口には公園の全体図、注意事項などが掲示されていました。
私たちは駐車場がある東口から公園に入った。入って直ぐに池が目に入った。公園の中心には「心字池」が配されていた。池の中には二つの島が配され、「八ツ橋」、「太鼓橋」で結ばれていた。その中の大きな島の方には「玉泉庵」という茶室があった。
※ 東口から入って直ぐに見たところです。林の向こうに「心字池」が広がっています。
※ 「心字池」とそこに咲くスイレンの花、そして向こうに茶室が見えます。
※ 「玉泉庵」と称する茶室です。市民が茶会をすることも可能のようです。
※ 池に架かっていた太鼓橋です。
※ 写りは良くありませんが、遠目に見たスイレンの群落です。
また池を見ると、白色や紅色のスイレンが大きく花びらを開いていた。遠くには無数のスイレンの花が咲き誇っていた。
※ 公園の一角には東屋もありました。園内はとてもきれいに整備されています。
園内をざーっと一周して帰ろうとしたところ、園内の除草作業をしている方に出会った。園内はきれいに整備されていると見えたのに、さらに除草作業に汗を流していたのだ。見ていると、散策路に僅かに伸びた雑草を除去していたのだ。私は思わずその方に声をかけた。「日曜日なのにご苦労さまです。岩見沢はどの公園もきれいに整備されていますね」と…。するとその方は「日曜日でも皆さんみえますからね。休みは交代制で取っています」と話され、さらに「岩見沢は公園整備に力を入れていますよ」と誇らしげに語ってくれた。
※ 公園の一角には「冷泉井戸跡」が残されていました。
各自治体の財政難が囁かれる今、こうした公園整備の予算を確保することは大変なのではと想像されるが、市民の心身の健康維持のためにもこうした公園や街角など公共的空間の美化にもぜひ努めてほしいと願うものである。
岩見沢市の三か所の公園巡りを終え、芝生が広がる西洋風の公園も良いが、「玉泉館跡地公園」のような和風公園も捨てがたいなぁ、と心から思った日本人の田舎オヤジでした。
※ 昨日(4日)好天に誘われて岩見沢市まで遠征した。そして①いわみざわ公園、②あやめ公園、③玉泉館跡地公園と三つの公園を巡ってきた。一つずつレポすることにしたい。
あやめ公園にはアヤメ、カキツバタ、ハナショウブなど約1万2千株が栽培されているという。満開の時までにはまだ少し日を要するようだったが、それでも一部の花々が艶やかに咲き誇っていた。
私は今回岩見沢市を訪れるまで「あやめ公園」の存在は知らなかった。私たちは「いわみざわ公園」を楽しんだ後、「玉泉館跡地公園」を目指して車を走らせていた。すると、道路脇の標識に「あやめ公園」という表示が目に入った。とっさに「これはぜひ見ておかねば!」と判断し、標識に従ってハンドルを切った。
「あやめ公園」はメインの道路を外れ、住宅街の奥まったところに位置していた。公園は「南利根川」沿いの低地に広がっていた。公園内は散策路が整備され、園内を巡りながらアヤメなどを愛でられるように設計されていた。駐車場に車を停めると遠目からも紫色や黄色のあやめが目に入ってきた。
栽培されている株数が約1万2千株というから、それはなかなか壮観である。ところが花を付けていたのは残念ながらその一部だった。多くの株はまだ蕾の状態だった。最盛期は一週間後くらいだろうか?
ところで私はあやめなどを “栽培” していると表現した。子細に観察するとあやめたちは自生しているのではなく、明らかに 人の手によって大切に栽培されているように見受けた。園内全体は花たちはもちろんのこと、周りの芝生もとても良く手入れされていることがうかがえた。天気が良かったせいもあり、若い女性たちが芝生にシートを敷き、弁当を頬張りながら談笑している姿が微笑ましかった。
公園には一部に観賞池もあり、そこに架かった紅色の太鼓橋が情緒を醸し出していた。また園内には人工的なせせらぎも造成されていた。ただ、私たちが訪れた時は水が流れていなかった。もっと暑い時期になると水が流されるのだろうか?
園内には集会場(「あやめふれあい館」)、小規模のパークゴルフ場、木製コンビネーション遊具なども整備され、単なる観賞用の公園だけではなく、地域住民の憩いの場としても機能しているようだった。
しかし、満開の時の「あやめ公園」は見事だろうなぁ…、と思われてくれる規模のあやめ群だった。
※ 好天に誘われて岩見沢市まで遠征した。そして①いわみざわ公園、②あやめ公園、③玉泉館跡地公園と三つの公園を巡ってきた。一つずつレポすることにしたい。
気持ち良いほど広大な公園が広がっていた。その一角に北海道内でも有数のバラ園は満開の時を迎えていたが、会場には多くの市民が色とりどりのバラの花を愛でていた。
※ バラ園の一角、整形式ローズガーデンです。
「いわみざわ公園」は岩見沢市郊外の広大な土地に広がっていた。その面積は162.6haだという。私が調べたかぎりでは、札幌市内でこれ以上の面積を有しているところは国営の「滝野すずらん丘陵公園」(395.7ha)だけだった。札幌市の公園としては「モエレ沼公園」(104.3ha)が最も近い面積だったが、「いわみざわ公園」には及ばなかった。
※ いわみざわ公園の全体図です。
その広大な「いわみざわ公園」には、私が調べてみたところ次のような施設が点在していた。①バラ園、②室内公園「色彩館」、③レストラン「ハマナスの丘」、④パークゴルフ場「ローズパーク」、⑤キャンプ場/オートキャンプ場、⑥トリムコース、⑦ふれあい広場、⑧見晴台(展望台)、⑨野外音楽堂「キタオン」、⑩岩見沢郷土科学館、そして最大の特徴である遊園地⑪「北海道グリーンランド遊園地」が入っている。また、公園の一角は冬になるとスキー場としても活用されているようである。
今日の私たちは、その中から「バラ園」と「ふれあい広場」のドッグラン、そして「見晴台(展望台)」を訪れた。
「バラ園」は公園の東端部分に広がっていた。その広さは約4haもあるそうで、その中におよそ630種のバラが栽培されているとのことだが、確かに今まで見たことのない品種にも数多く出会った。その様は好事家にとっては垂涎の的なのだろうが、私は「猫に小判」状態でぼーっと見つめるだけだった。そんな私でも一見の価値を感じた「バラ園」だった。
※ バラ園で開花していたバラのほんの一部です。
※ 下のバラは妻が見つけた「プリンセスミチコ」というバラです。1966年にイギリスで作出されたとありますから、美智子皇太后さまのご成婚を祝っての命名と考えられます。
※ 以下の3枚は「これもバラ?」と思われるような変種のバラではと思われます。
※ バラ園のところどころに張られた天幕ですが、いかにもイギリス風の趣です。
傑作(?)だったのは「室内公園『色彩館』」だった。熱帯性の植物を展示しているようだったが、せっかくなので覗いてみようと思った。そこは有料施設だったのでチケット売場で購入しようとしたとき、「どこから来たのか?」と問われて、「札幌から」と答えたところ、「札幌の方は入場をお断りしています」とのことで入場を拒否された。コロナ禍の中、全道的に「まん延防止等重点措置」が発せられている中、特に感染者数の多い札幌市からの流入を警戒しているようだったが、これも仕方あるまい。
※ 札幌市民ゆえに入場を断られた「室内公園『色菜館』」の前景です。
※ 室内公園「色彩館」の前におかれていた柑橘類です。北国の人間にとってはとても珍しく感じられたものですから思わずパチリと…。
続いて東側エリアの「ふれあい広場」、「トリムコース」、「キャンプ場」などを見たいと思ったが、駐車場の傍にあったドッグランのコース以外は長距離の徒歩を強いられるようだったので、まだ脚に自信のない私は諦めた。
※ ドッグランでは犬たちが伸び伸びと駆け回っていました。
続いて、「見晴台(展望台)」は展望台の直ぐ近くまで車でアクセスできそうだったので、行ってみることにした。見晴台への道は、細い道を折れ曲がりながら急角度で高度を上げていったところに駐車場があった。私の想像では、駐車場から見晴台までの道は道路が造れないほどの急斜面の山道を登らねばならないのではと考えていた。ところが駐車場からの道は上るどころか若干下り道の上、幅広い立派な木道が取り付けられていた。そしてその先には、これも予想外に立派な展望台が聳えていた。(高さが20mくらい?)
※ 駐車場からは写真のような立派な木道が延びていました。
※ そしてその先には写真のようなとても立派な展望塔が聳えていました。
※ 以下の3枚の写真は展望台から望んだ風景です。
展望台からは岩見沢市内や岩見沢の田畑が非常に良く見渡せた。ただ快晴の場合には札幌市街地まで見通せるとのことだったが、空には若干霞がかかっていたためにそこまでは見通すことは出来なかった。
私たちが訪れたところは「いわみざわ公園」のほんの一部である。ゆっくり見て、しっかり遊ぼうと思えば、一日では足りないくらい魅力の詰まった公園のように思えた。
なお、公園内にある野外音楽堂「キタオン」には、これまで私は2度ほど訪れて野外コンサートを楽しんだ体験がある。
「ファーム店」…、その名のとおりケーキ店「きのとや」のコンセプトを最も具現化した店舗であるファーム店に行ってきた。家に籠りがちでストレスをためていた妻も私も久しぶりの外出で多少はストレスを解消することができた!?
「きのとや」は、日高山麓の平取町に直営農場を経営しているという。そこで 平飼いしている鶏から生まれた有精卵を自社製品に活用しているという。ファーム店ではその卵をケーキに活用し販売するだけではなく、卵そのものも直売している。また、農場で飼育している乳牛から摂れる牛乳やヨーグルトも販売するなど、いわば旗艦店的要素を有した店舗のようである。
その「きのとやファーム店」は、札幌都心からはかなり離れた(車でおよそ30分?)清田区に2019年11月なオープンした。
私は以前にオープン後まもなく訪れたことがあったが、妻はまだ訪れたことがなかったので、出不精の妻を誘っての再訪となった。訪れたのは正午すぎだったが、店の人気は高いようで、お客さんが会計を済ませるために列をなしていた。私はできれば店に併設されているカフェで、カフェ名物の「卵かけご飯」を食したいと思っていたが、カフェは このご時世とあって閉鎖されていたのは残念だった。
残るは買い物である。妻のねらいは「平飼いたまご」だった。聞いたところ15個セットのものを購入したそうだ。価格は税込みで615円だったという。これが高いのか?安いのか? おそらく店の方が「平飼い」、「有精卵」と強調しているのだからスーパーなどで売られているものよりは高価なのではと思われる。
その他には「飲むヨーグルト」(500ml)、ケーキの「オムレット(フローマージュベリーオムレット)」と「パフェ(ダブルプリンパフェ)」をそれぞれ買い求めて退店した。
※ 直営牧場で精製された「飲むヨーグルト」です。
※ 左がプリン、右がオムレットです。
札幌(北海道)はスイーツ王国と称されているようだ。あまり出歩かないデパ地下などに行くと、ケーキ店が軒を連ねている。おそらく牛乳、卵、小麦、豆類、甜菜糖など、さらにはフルーツなど優良な素材が手に入りやすいことがその要因の一つと考えられる。スイーツ王国と称されることは、別の角度から見ればスィーツ戦争の様相もあるのではないだろうか?そうした中で勝ち残っていくためには、「きのとや」のような戦略が必要となってくるということだろう。
スイーツにそれほど関心があるわけではないが、お互いの切磋琢磨によって札幌(北海道)がスイーツ王国としてこれからも君臨していってほしいと思うばかりである。
※ お店の庭に印象的な木の花が満開だった。「ヤマボウシ」という種だった。
某ブログ子から「前田森林公園のフジの花が見ごろですよ」との情報をいただき、昨日、朝市巡りの帰途に手稲区の総合公園である「前田森林公園」に立ち寄った。前田森林公園のフジ棚は薄紫のフジの花が満開の時を迎え、多くの市民が花を愛でていた。
昨日の朝市巡りにあたって、私の唯一の楽しみは前田森林公園でフジの花を見ることだった。というのも二日前のsyokanさんのブログに「藤が見頃を迎えて」という投稿が素晴らしい写真と共に掲載されていたからだった。
前田森林公園に着いたのは正午前くらいだったが、好天も手伝い広い駐車場は満杯に近い状態だった。前田森林公園は札幌市の総合公園の一つで、公園内に真っすぐに伸びたカナール(運河)があるのが特色である。水面に映るポプラ並木が鮮やかである。そのカナールが尽きる正面に回廊のような形でフジ棚が連なっている。
※ このカナール(運河)が前田森林公園の一つの特色です。
※ カナールの傍に整列するポプラの並木も見事です。
※ カナールを最初の写真とは反対側から見た図です。
カナールの横を、犬を連れた人が通り過ぎる。ベンチに腰掛け持参したランチを楽しむ初老の夫妻がいる。そして恋人同士が仲良く水辺に佇んでいる。それぞれが思い思いに楽しんでいる光景を眺めるのも楽しいものである。
そうした光景を眺めながらやがて私たちはフジ棚のあるところに到達した。フジ棚には鮮やかな薄緑色をしたフジの花が咲いていた。ただ全てがフジの花で覆われているという状態ではなく、中には樹が若いためかフジの花が垂れ下がる状態になっていなかったところもあった。
しかし、場所によっては十分に花が咲き誇り、たくさんのフジの花が垂れ下がっているところもあった。花の香りを楽しむためだろうか?フジ棚の下のベンチに座っている人たちも目立った。
※ フジ棚の下で寛ぐ人たちです。
それでは私たちが楽しんだ「前田森林公園」のフジの花をご覧ください。
今日の札幌は朝から青空が広がり、気温も上昇すると予報が伝えていた。この好天につられて妻から「朝市に行ってみたい」とリクエストがあった。私に異存はない。さっそく好天の中、石狩、厚田へと車を走らせた。
最近の札幌は5月下旬のような雨天続きではなく、ここ2~3日は好天が続いていたが特に用件がないかぎり家の中で鬱々している日々が続いていた。その思いは妻も同様だったようだ。珍しく妻から言い出した。「朝市へ行ってみたい」と…。
鬱々としていた私に依存などあろうはずがない。さっそく青空のもと、石狩に向かって車を走らせた。まずは石狩湾新港の東ふ頭に位置する「石狩湾新港朝市」である。ところが、朝市についてみたところ閑散とした感じが否めなかった。開店していたところが3軒ほど、店を閉めていたところも数軒あったが、お客さんの姿も少ない。時刻は9時過ぎだったが、訪れたのが遅かったか?まだ生きている大きなヒラメなど活きが良い魚が並んでいたが、ここでの購入は諦め20キロ先にある「厚田漁港」に向かった。
「厚田港朝市」は、厚田の市街の外れにあった。こちらは「石狩湾新港朝市」とは違い、広場を囲むようにして多くの店が開いていて、お客さんの姿も多かった。私はあまり詳細には見なかったが、店によって魚種を変えて、それぞれ特色を出しているようにも見えた。朝市を一通り見たことで、私の興味は失せた。買い物には全く興味のない私は辺りをふらつく以外なく、買い物は妻任せだった。そう今日の私は完全なアッシー君だったのだ。妻の方はといえば、狭い朝市の中をあちこちと歩き回り、店員さんたちと会話を楽しみ、1時間近く滞在したのではないか?その結果、帰宅してから買い物の成果(?)を聞いたところ、タコ足、シャコ、ホタテ、豆イカ、砂カレイと盛り沢山で、「二人家庭で食べきれるんかい?」と突っ込みの一つも入れたくなったが上機嫌の妻に水を差すようなことは止めにした。
その帰途、せっかくだからと以前に一度訪れたことのある道の駅 石狩「あいろーど厚田」へ寄った。ところが「緊急事態宣言中は閉館」と表示され締まっていた。残念!
そしてさらに帰路の途中にあるJAいしかりの農産物直売所「地物市場 とれのさと」に寄った。ここでも妻は、ダイコン、フキ、ネギ、ゴボウなどを仕入れた。私は「スーパーでも購入できるのでは?」問うと、「値段も、鮮度もぜんぜん違う」とのことだった。
さらには帰路、少し遠回りをして札幌市の豆腐の名店「北のお豆腐 豆太工場直売所」にも寄らされ、アッシー君の任務を終了した私だった。