ここの施設は、新装なった北海道立博物館のアイヌコーナーの展示より豊かな展示ではないだろうか?このほど、「めだかの学校」の野外学習で南区小金湯にある「札幌市アイヌ文化交流センター」を訪れた。
※ 札幌市アイヌ文化交流センターの外観です。2階建の立派な施設です。
7月29日(水)午後、7月の「めだかの学校」野外学習の見学先は、南区小金湯にある「札幌市アイヌ文化交流センター」だった。
札幌市の中心からはかなり離れた小金湯の温泉地区の一画にあるセンターは、かなりの規模の施設で、展示施設と共にアイヌ文化を伝える活動にも積極的に取り組んでいるようである。
※ センターの入口には、アイヌの集落の護り神と崇められるシマフクロウのモニュメントがありました。
この日は、「めだかの学校」に学ぶシニアが私も含めて約40名ほどが訪れた。
センターの学芸員に導かれて、階下の展示室に案内された。私は学芸員の方が説明してくれるものと思っていたのだが、展示室へ行くと専任の女性の説明員が説明を担当した。
この説明員の姿に、“学ぼう”という意欲をすっかり削がれてしまった。というのも、彼女はマスクをしたまま説明を始めたのだ。拡声器も使わず肉声で話すのだが、マスクをしているため声がこもってしまい、後ろにいるとほとんど聞き取れないのだ。
マスクを外せない事情があったのかもしれないが、それなら次善の策を講ずるのが専任の説明員の姿勢ではないだろうか?
※ 展示室の「男の仕事」コーナーです。
抗議しようかな?とも思ったが、場の雰囲気を壊したくないとの思いが働き断念したが…。
私だけでなく、かなりの人たちが説明員の輪から外れ、勝手に展示室内を巡ることになった。
展示は「男の仕事」「女の仕事」と区分けして展示され、素人にも分かり易い展示方法を採り入れていた。それは、アイヌ民族が自然のものを巧みに生活に取り入れている様子が良く伺える展示だった。
※ こちらは「女の仕事」コーナーです。
施設には「交流ホール」という広い空間があるのだが、あるいはそこでアイヌ民謡や踊りを見せていただけるのかな?と期待したが、それは私の勝手な期待だったようだ。
※ 屋外展示場に実物展示されていたアイヌの住居「チセ」です。
室内の展示が終わると、施設の外にあるアイヌ施設の見学に移った。センターが郊外に設置された利点を生かした展示方法である。「チセ」と呼ばれるアイヌ民族独特のアシを使った建物が点在していた。
また、アイヌが食料や衣料などに利用していた植物が栽培・展示されていたのも良い工夫である。
※ チセ内では、建築材のアシに付く虫を除去するため燻煙消毒をしているところでした。
私は以前に一度訪れていたこともあったためか、あるいは説明員の姿に落胆したためか、なんだか中途半端な見学になってしまったことを反省している。
幸い、私の歳になると〔観覧無料〕という特典がある。機会を見て、じっくりと観覧したいと思っている。
あっ! タイトルの「イランカラプテ」というのはご存知ですよね!最近、北海道として積極的に浸透を図っているアイヌ語で「いらっしゃいませ!」いう歓迎を表す言葉である。
※ 店外の壁は札幌軟石を上手く使い上品な雰囲気を醸し出していました。
「鶴雅ビュッフェダイニング札幌」は昨年8月オープンした札幌三井ビルの赤れんがテラス2階にオープンしたビュッフェ形式のレストランだ。基本的に私はアメリカ生まれのビュッフェ形式のレストランは好みではない。「自由に、好きなだけ」というコンセプトは、あれもこれもと、つい欲張ってしまうために盛り付けも雑になり、見た目の美しさもなく、満腹感は味わえたとしても、食べ物の美味しさがイマイチ印象に残らないのだ。
※ 長蛇の列がやや途切れたところで、私が着いたときはもっと長い列でした。
今回の店の選定も妻と息子の嫁さんで決めたのに従ったまでだった。幼児二人が一緒ということだから、やむを得ない選択かもしれない。
当日〈7月26日〉は日曜日ということもあり、11時の開店時には長蛇の列ができていてかなりの人気のようだった。私たちは予め個室を予約していた(一人500円の課金)ので、特に待たされることなく部屋に落ち着くことができた。
※ 私たちがランチを楽しんだ個室です。
私は個室に直行した後、料理の選定は妻に任せっきりで、一度も店内の様子を見ることもなく、ビールやウィスキーを昼間から飲み始めるというていたらくで、レポーターとしてはまったく失格だった。
ダイニングの売りは“北の和食”がテーマということで、天ぷら、鮨などを主として食した。アルコールが入ってしまったこともあり、料理についての評価は難しいが、可もなく不可もなくといった感じではなかったろうか?
※ 妻に選んでもらった一皿目のプレートです。
個室の雰囲気は悪くなく、特に今回のように幼児同伴の場合は他の客に迷惑をかけずに、ゆっくり楽しめるので、個室料金はかかってもこちらをお勧めしたい。
札幌市内ではホテルを中心にビュッフェ形式のランチが大流行りで、私も何度か利用したことがある。しかし、我々シニア世代にとっては多少割高でもゆったりと楽しめるスタッフの接待によるランチが相応しいと改めて思った。
※ランチビュッフェ 大人 2,400円 〈4才~小学生 1,200円〉
個室料金 一人 500円
飲み放題 一人 1,200円
【鶴雅ビュッフェダイニング札幌 データー】
北海道札幌市中央区北2条西4-1 札幌三井JPビルディング 赤れんがテラス 2F
電 話 050-5570-4199(予約専用)
011-200-0166 (問い合わせ専用番号)
営業時間 ランチ/11:00~15:00(90分制)
ディナー/17:00~22:00(120分制)
定休日 無休
駐車場 有(札幌三井JPビルディング内共有駐車場)
座 席 193席(個室有 一人500円)
入店日 ‘15/07/26
「北根室ランチウェイ〈KIRAWAY〉」71.4キロを踏破以来、「膝の調子がイマイチである」ということは拙ブログでも触れてきた。
調子はイマイチだったのだが、その後も一日一万歩はブログで公言したこともあり、毎日取り組んできた。その間も膝の方は万全ではなかった。
特に起床した際の膝の具合は最悪だった。まともな歩き方ではなく、妻に笑われるほどだった。それでも一日一万歩を続けてきたのだが、気付かぬうちに膝をかばうような歩き方をしていたのだろうか?数日前から、今度は股関節あたりに痛みを感ずるようになった。
「これはマズイ!」と思った。
無理していたら、回復はおろか、ますます症状の悪化を招くのではないか、と気付いた。
「ここはしばらく休んで回復を待つべきだ」との声が私を支配した。
ブログ上で公言した手前、何も言わずに休養することは、自分自身が許さなかった。
ブログで宣言したことは、ブログで公にして休みに入りたい、との思いから本日のこのような投稿となった。
しばらくは、一日一万歩を忘れて休養に専念し、完全回復(はあるのか?)を待ちたい。そしてまた、登山やウォークを楽しみたいと思う。
超人的なおじさん(sakagさん)に知己を得、おおいに刺激をいただき、少しは後を追いたいと思っていたのに…。残念ながら、載せているエンジンも部品も、そして鍛え方もまるで違うことを悟らされた…。sakagさんは今日も、札幌出張に併せて「無意根山」を登っているようだ。無意根山は私が今年中の登頂を目ざしている残り4座の中の一つだ。
一日も早く回復して、ブログで「無意根山登頂」の様子を投稿したいものだ。
それまでしばしの休みである。
座席が前後左右に揺れる! 小刻みに背中から振動が伝わる! 耳元に風が吹き付ける! 顔面に水がかかる! 前代未聞の映画鑑賞体験であったが、エンターテイメントの進化には驚かされる。はたして4DX映画の未来は?
新しもの好きである。珍しがり屋である。そんな私の好奇心をくすぐるアイテムが札幌に上陸した。体感型シアター4DX映画が7月20日(月・祝)からユナイテッドシネマ札幌で初上映されるという。
4DX映画とは、「前後左右や上下に動くモーションシートや水や風、香り、フラッシュなどの革新的なスペシャルエフェクトによって映画の様々なシーンとリアルタイムにかつダイナミックに連動します」というのが、映画館側の謳い文句である。
新しもの好きでも、あまりの混雑は避けたいと思い、上映開始から1週間が経過した昨日27日(月)の午後、映画館に足を運んだ。4DX映画は2本上映されていたが、私はアーノルド・シュワルツェネッガーが久々に還ってきたという話題性から『ターミネーター:新起動/ジェニシス』4DX版を選んだ。
料金の計算がやや面倒だった。私の場合(シニア料金)普通の映画鑑賞料金1,100円と、今回の場合は3D映画(立体映画)だったので+1,300円、それにメガネ代が100円で、合計2,500円だった。(何の割引き料金もない成人の場合は3,200円かかる計算である)
入場前に手荷物などは全てコインロッカーに入れるように指示された。荷物などが飛び散ってしまうことを避けるための措置だろう。
上映シアターは定員が96名と小さなシアターだったが、座席はソフトな感じとは言い難く、さまざまな仕組みが内蔵された硬質の座席だった。
本編に入る前に、体慣らしを促すように画面の動きに合わせて座席が動いた。場内からはすかさず歓声が響いた.隣の男性は「これは半端ないぞ!」と期待感を声にした。
※ ユナイテッドシネマ札幌の4DXシアター前の様子です。右手にコインロッカーが並んでいます。
本編が始まり、まずは状況説明が流れた。機械軍に席巻された地球に僅かに残った人類軍が奪い返そうと戦いを挑むというストーリーなのだが、そうしたゲーム的世界には興味もなく、疎い私にはあまりにも奇想天外すぎて映画の中に入っていけない思いだった。
ただ、映画として見せ場が戦いのシーンであり、アクションそのものだから、4DXの特徴はいかんなく発揮された。それはもう、これでもか、これでもか、という感じで、風が吹き、水しぶきがかかり(実際にはミスト)、光が舞い、座席が揺れる。
映画を観終わっての率直な感想は「非常に疲れた」ということだった。3D映像のためまずは眼が疲れた。そして4DXのために体が疲れた。それは少しオーバーに言えば、遊園地のジェットコースターに2時間揺られっぱなしだったような状態である。
これまでにない体験ができた!ということでは貴重な経験だった。しかし、3Dを初めて体験したときも「まあ、一度の体験でいいかなぁ」と思ったが、4DXも面白い体験ではあるが、やはり「一度でいいかなぁ」というのが偽らざる思いである。
映画観賞スタイルのスタンダードとして残るか否か、と問われたら「?」と私は答えるだろう。
ただ、まだ未体験の方は、ぜひとも一度は体験してみることをお勧めします!
北大の法学研究科が主催する講座「表現の自由と秩序」(4回シリーズ)が始まった。
その第1回講座が7月23日(木)夜にあった。実はこの日は以前から受講していた「人と環境が抱える難問~その解決の最前線~」の最終第8回講座とダブっていた。悩んだ末に、こちらの講座を選択したのだった。
その第1回講座のテーマが「『シャルリ・エブド』と表現の自由を考える ~移民、風刺、宗教~」というテーマで、法学研究科の吉田徹准教授が講師を務めた。
さて、シャルリ・エブドだが、フランスのパリにある風刺画を主とする週刊誌を発行する「シャルリ・エブド」社が今年1月、イスラム教徒の襲撃によって社員12人が死亡したのをはじめ、多くの負傷者を出した事件である。そして、このことに抗議するため、あるいは「表現の自由」を守るためにと、欧州各国の首脳をはじめ世界各国で340万人もの人たちがデモに集まったことでも注目された。
この事件について、朝日新聞は社説で「テロを非難しつつも、挑発的とも言える風刺画の掲載は、部数を増やす話題づくりの側面がうかがえる」と、シャルリ・エブド側のやり方にやや批判的な論調で伝えたという。確かに、シャルリ・エブドの風刺画を見てみたが、私には正視に耐えられないようなものも散見され、朝日の見方は日本人の一般的な見方かな、とも思われた。
しかし、吉田准教授は、コトはそれほど単純ではないとした。
この辺りからは私の理解力、表現力の限界を超えはじめた。したがって、以下は私が吉田准教授の話から理解できたこと、私が伝えられることを私の責任によって記すことをお断りしておきたい。
まず、フランスにおける「表現の自由」については、フランス革命に遡って「人間と市民の権利の宣言」において確立した権利であり、他者に危害を加えることを目的としない限りで、例外なく認めるべきだというのがフランス社会のルールとなっているとする。したがって、シャルリ・エブドの表現も認めるべきだということになるようだ。
実際にヨーロッパにおいては、日本などとは違いカリカチュアの文化が定着しているようである。
さて、一方でなぜフランスにおいてこのような事件が起きたのかということについての考察である。(フランスではシャルリ・エブド事件の翌日にも警官1人と市民6名が殺害される事件が起こっている)
フランスは移民に対して、北欧やイギリスのような多文化主義政策はとらず、宗教を基準とした社会制度は認めない「ライシテ(政教分離)」の原理を国是としている国だという。この考え方は、宗教だけではなく、出自や人種を問わず、法の下では万人は平等でなければならないとする考え方を反映したものだという。
しかし、現実はフランスにおいても宗教や人種による実質的な差別が存在することが現実だともいう。ムスリムを含む移民系のマイノリティが教育や就業機会に恵まれず。社会的な敗者となっていることも事実のようだ。
こうした状況もふまえながら、吉田氏は、「シャルリ・エブド」の事件、多発するジハード、「アラブの春」の失敗、等々を受けて、次のように今の世界を概観する。
グローバル化と近代化は、世界的な「世俗化」をもたらし、「宗教」の影響力は後退したかに見えたが、「ポスト世俗化」と言われる今、状況は複雑化しているという。
吉田氏はここで社会学者のベックの言説を紹介した。それは「近代化が進み、伝統から切り離されて個人が解放されていくほどに、人々は自らのアイディンティティを自らの手で選択、創造していかなければならない状況に追い込まれている」という。そうした状況の中で、宗教的なものへの希求も強まってきていると分析する。
「グローバル・ジハード」「ローン・ウルフ」「ホームグロウン・テロ」…、テロは世界各地に広がり、個人が、どこででもテロを起こしている状況に対して、有効な手立てを打ち立てられていないのが現実ではないだろうか?
一般的には、テロを根絶するためには司法と軍事という短期的・直接的な手段に加えて、社会経済の発展による世俗化という長期的・間接的手段を用いるべきとする考え方が主流だという。
しかし、吉田氏はその考え方にも素直には賛成しかねる、という考え方のように私には映った…。(それは、状況は複雑化していて解決方法は簡単ではない、という吉田氏流の警告とも受け取れた)
う~ん。今回のレポは、苦労した割にはもう一つまとまりのないレポになってしまった…。
リンクアップ(Link Up)とは、「結合」とか「連結」と和訳されるようだが、今回の場合は、「PMFオーケストラと市内の小学生が繋がる」という意味で使われたようである。
PMFのHPを見ると、「ニューヨークのカーネギーホールの小学生向け音楽教育プログラムをもとに開発し、2013年から実施している教育プログラム。授業で事前にリコーダーや歌を学習してきた小学生が、映像と司会のナビゲートで音楽を楽しみ、PMFオーケストラと共演することで生き生きと目を輝かせていきます。札幌市立小学校の6年生約670人が参加する様子を無料で公開します」とあった。
7月21日(火)午後、キタラにおいて開催された「PMFリンクアップコンサート」を聴くことができた。キタラの大ホールは670名の市内小学校の6年生とその保護者、あるいはPMFファンでほぼ一杯だった。
※ 昨年のリンクアップコンサートで司会をする九嶋さんです。(HPから借用)
札幌出身だというソプラノの九嶋香奈枝さんの明るい司会が抜群だった。参加した小学生は九嶋さんの司会にすっかり乗せられたようだった。
小学生たちは事前に練習し、打合せが行われていたとはいえ、一緒に歌い、一緒に手拍子を取り、そしてリコーダーを演奏した。
彼らにとっては本格的なオーケストラと一緒に演奏できたということは何よりの喜びだったのではないだろうか。
演奏された曲は次のとおりである。
◇トーマス・キャバニス作曲/Come to play
◇ベートーヴェン作曲/交響曲 第9番から「喜びの歌」
◇ブリテン作曲/青少年のための管弦楽入門
◇ドヴォルザーク作曲/交響曲 第9番『新世界より』第2楽章から「家路」、第4楽章
◇ストラヴィンスキー作曲/バレエ音楽「火の鳥」から終曲
◇岡野貞一作曲/ふるさと
※ こちらHPから借用したものだが、バックに楽器を紹介する映像が写っています。
ダニエル・マツカワ氏の指揮で本格的なオーケストラを楽しみながら、〔音楽教育プログラム〕と称するように、演奏の前に九嶋さんの解説があり、バックには理解を促す映像が流れる中で演奏されるというコンサートだった。
特に興味深かったのは「青少年のための管弦楽入門」である。しっかりと曲としてのまとまりがありながら、一つ一つの楽器を紹介するような曲の仕上がりになっていたことだ。
また、個人的には「『新世界より』の第2楽章の『家路』と、第4楽章」のいずれもが私にとっては思い出深い曲だったこともあり楽しめた。
時間にして1時間半程度と短い時間ではあったが、私にとっては十分に楽しめたPMFリンクアップコンサートだった。
本日の投稿は当初別の原稿を用意していた。しかし、今夕(25日)ポルトホール(中央区南1西22)で公演された琴似工高定時制演劇部の舞台「北極星の見つけかた」は、私に再び大きな感動を与えてくれた。その感動が冷めないうちに文章に残したいと考えた。
高校の演劇大会の仕組みは外部の人間からすると少し不可解に思える。
というのも、北海道大会は昨年11月に行われ、そこで琴似工高定時制演劇部の「北極星の見つけかた」は定時制演劇部として46年ぶりとなる最優秀賞を獲得し、全国大会のキップを手にしたのだ。しかし、その全国大会は今年の7月末に行われるという。つまり、昨年11月に最優秀賞を獲得した最高学年の生徒は卒業してしまい全国の舞台には立てないという矛盾が発生してしまうのだ。
琴似工高定時制演劇部の場合も12名のキャストのうち、実に7名が卒業してしまうという大ピンチを、新入部員を獲得することでなんとか乗り越えたということだ。
私は今年3月にオリジナルメンバーでの最後舞台を観劇して、それこそ大感激したことを鮮明に記憶していた。(その時の投稿はコチラ)
※ 今年3月の卒業公演を演じ、作ったオリジナルメンバーです。
「北極星の見つけかた」のテーマは、左手に麻痺が残るナツキを中心にストーリーが展開する。ナツキだけではなく、定時制に通う生徒たちにはそれぞれがさまざまな事情やハンディを抱えた者たちが集っていた。そんな彼らが全日制に通うヒロとの出会いで、ヒロにも悩みがあることを知り、彼を応援し、ヒロが輝いてくれことを願いエールを送る。そのエールはまた自分たちも輝こう!という気持ちを新たにした一瞬だった。(私の勝手な解釈もかなり入ってはいるが…)
脚本を書いた鷲頭環教諭は、生徒たちの個性をそのまま舞台に生かす「当て書き」という手法で脚本を書き上げたという。だから3月に観たオリジナルメンバーのキャストたちは、自分を演じていたこともあり、観ている者から見ると非常にハマった感じであった。
しかし、今日の舞台ではほとんどの役を違うキャストが演じていた。なのに観ている私には何の不自然さも感じさせなかった。それは、指導する顧問の力、演ずる生徒たちの真摯な姿勢が私にそう感じさせたのだと思う。特に主演のナツキを演じた進藤莉奈さん(彼女は部長でもある)の演技はナツキになりきって好演していた。彼女の健気さを感ずるセリフに多くの人がグッときたのではないだろうか…。
※ 今夕の舞台を演じ、全国大会でも演ずる新メンバーです。
高校生の演劇にこれほどの力があるとは…。琴似工業高校定時制演劇部恐るべし。
次作もぜひ観劇したい思いだ。
おーっと、その前に7月31日から滋賀県彦根市で開催される全国高校演劇大会において、新メンバーが思う存分演じてきてくれることを心から願いたい。
北大公開講座「人と環境が抱える難問~その解決の最前線~」第7講は、第6講と同じ20日(月・祝)の午後、第6講に続いて行われた。第7講のテーマはタイトルと同じ「エボラウイルス研究の最前線」と題して、人獣共通感染症リサーチセンターの高田礼人(あやと)教授が務めた。
私が高田教授の存在を知ったのは、NHK・TVの「プロフェッショナル・仕事の流儀」が高田氏を取り上げた回を視聴したことからだった。
番組では高田教授の業績を次のように紹介していた。
「高田氏はエボラ感染を防ぐ『究極の抗体』の発見したのである。エボラウイルスには現在知られているだけでも5つの種類があり、これまで一定の効果が認められている治療薬などは1つの種類にしか効かない抗体を利用したものだ。高田氏が発見した『究極の抗体』は5つすべての種類に効力を発揮するため、どの種類のエボラウイルスに感染しても対応ができるという、かつてない治療薬といわれ、世界が待ち望んだ世紀の発見とも言うべき偉業なのである」と…。
ところが講義において高田氏はそうした業績を誇ることもなく、エボラウイルスの実態を淡々と紹介するだけだった。その淡々さが素人には厄介なのである。何せ日常的にはまったく縁のないミクロの世界の話である。ウイルス自体、野口英世博士時代の光学顕微鏡では確認することができないほど微細なものだそうだ。
以下は、私が高田氏の話から断片的に理解できたことを整理するしかないレポートである。
ウイルスは自然界の野生動物に寄生しているものだという。これを〔自然宿主〕と称する。これが家畜や家禽、ヒトなどに伝染して感染症を引き起こすということだ。ウイルスがヒトなど伝染した場合、それを〔終生宿主〕と称する。
エボラウイルスの場合、致死率が高いため、そこからの伝染はあまり考えられなく(つまり、長い期間ヒトの中で生存し続けない)、現在課題となっていることはエボラウイルスの〔自然宿主〕を見つけ出すことだという。
候補としては、フルーツバット(こうもり)が有力視されているらしいが、まだフルーツバットからウイルスを見つけるに至っていないということだ。
以上が精一杯だった。
高田氏をはじめとした研究グループはアフリカ・ザンビアに北大人獣感染症リサーチセンターの拠点を設けて研究を進めているとのことだ。
また、きわめて致死性の高いウイルスが相手の研究のため、BSL4(バイオセーフティレベル4)という緻密性の高い施設での研究を余儀なくされているとのことだが、この施設がまだ日本にないこともあり、世界中を飛び回っている日常だということだ。
ともかく、私たち凡人には理解の範疇を越える研究に没頭する毎日の高田教授のようである。
Wikiで知ったのだが、高田教授は2010年にTBS系の「情熱大陸」でも取り上げられたらしい。
そこでのエピソードだが、「エボラウイルスに感染して死ぬのは怖くないのか?」と問われて、「仮に、そりゃ死ぬの考えたら嫌だなぁとは思うけど、もし、俺、アフリカで感染したら絶対感染したまま日本に帰ってきますから」と笑顔で答えたという。その理由を彼は「それくらいやらないと、日本でそういうことが起きないと、日本にBSL4施設を作りましょうってならないんだもん」いうことだった。
高田氏の世界的な研究がまだ日本ではそれほど注目を浴びていないことの一つのエピソードではないだろうか?
高田氏がウイルスに感染することなく、これからも研究を進められることによって、やがては日本にも理想的な研究環境が整えられることを願いたいと思った。
う~ん。ミクロの話は難しい!
7月18日(土)夕刻、共済ホールにて「NHKカジュアルクラシックコンサート2015」を楽しんだ。
私はこのコンサート鑑賞を応募していなかったが、友人のH氏が鑑賞券を入手していたのに都合が悪くなり、譲っていただいたので、珍しく妻と一緒に鑑賞することができたという次第である。
演奏者は次のとおりである。
◇ピアノ 高橋 希 ◇オーボエ 小林 裕 ◇ヴァイオリン1 松田 拓之 ◇ヴァイオリン2 松田 麻美 ◇ビオラ 棚橋 恭子 ◇チェロ 宮坂 拡志
いわゆる、弦楽四重奏にピアノとオーボエが加わった編成といえようか?
松田拓之氏、宮坂拡志氏は現役のN響(NHK交響楽団)のメンバーであるのをはじめ、いずれもが国内一線級の実力を誇る方々ばかりである。
コンサートは比較的演奏時間の短い小品をたくさん聴かせてくれるという構成だった。その曲と曲の合間に、それぞれ分担して全員が楽器の紹介や北海道の印象を語るという肩の凝らない構成に配慮していたように思われた。
そうした演奏の中で、特に私の印象に残ったのが、オーボエの小林氏がイングリッシュホルンに持ち替えて弦楽器と演奏したモーツァルトの「イングリッシュホルン四重奏」だった。イングリッシュホルンのややかん高いながらも柔らかな音色が弦楽器と見事に融け合って心地良い演奏を聴かせてくれた。
さらに、これまた小林氏のオーボエが絡むのだが、エロル・ガーナ―の「ミスティ」のジャズチックな演奏も、他の曲の演奏とは異彩を放ち印象的だった。
「カジュアル」と銘打つだけあって、オーケストラなどによる長大な曲を聴くのとはまた違って、ちょっと気軽にクラシックを楽しめるコンサートだった。
最後に記録のために、演奏された全曲を紹介しておくことにします。
(1)チャイコフスキー作曲/バレエ組曲「眠れる森の美女」より“ワルツ”
(2)ニーノ・ロータ作曲/オーボエとピアノのためのエレジー
(3)セルゲイ・ラフマニノフ作曲/ボカリーズ
(4)成田為三作曲/浜辺の歌
(5)アラン・メンケン作曲/輝く未来 映画「塔の上のラブンツェル」より
(6)アラン・メンケン作曲/ホール・ニュー・ワールド 映画「アラジン」より
(7)エロル・ガーナ―作曲/ミスティ
(8)ビットリオ・モンティ作曲/チャールダッシュ
(9)深澤舞作曲/雪からこぼれた五つの情景
(10)モーツァルト作曲/イングリッシュホルン四重奏曲
(11)モーツァルト作曲/弦楽四重奏曲第14番ト長調K.387「春」より第1楽章
(12)ドボルザーク作曲/ピアノ五重奏曲第2番より
北大公開講座「人と環境が抱える難問~その解決の最前線~」第6講が20日(月・祝)の午後にあり、第6講のテーマは「平和は可能か ~日本の安全保障を考える~」と題して、法学研究科の遠藤乾(けん)教授が務めた。
※ 講師を務めた遠藤乾教授です。
この日は「海の日」ということで祝日だったのだが、北大としては初の試み(?)として、通常の夜間に聴講できない方々にも聴講の機会を提供しようと、昼間(午後)の講座を組んだのだ。この日は連続して二つの講座が行われたが二人の講師ともに、メディアに登場したことで名を知られた二人であり、大学内での評価は分からないが、いわば二人ともエース格の登場といった感があった。
遠藤教授は最近「報道ステーション」において、ドイツの政治状況について分析・レポートしたことが印象に残っている。(もう一人の紹介は後日に)
遠藤教授は講義の冒頭、「この世から政治はなくならない」と説いた。
その理由として、①人間の世界において、他者は決してなくならず、その他者は他者であるかぎり、自分と同じ(信念・利益・アイデンティティをもつわけ)ではない。
②その他者は神でなく人間であり、したがって時に悪を志向する。
③この世の資源(時間、空間、エネルギー等)は有限であるからだ。
放っておくと、有限資源を、優先順位の異なる人間同士が争う。それゆえ、その争いを一定程度緩和し、何かしらの了解可能なルール(法とは限らない)内でおさめるため、公的秩序を模索する動きが出てくる。「これが政治である」とした。
なるほど、地方政治、国内政治においても、そして国際政治においても遠藤教授の論は説得力を持つ考え方で納得した。
そうした前置きのもとで、話はテーマの「国際政治」に移っていった。
国際政治の中でも、現在日本において最もホットな話題は「安全保障」である。
国際間における安全保障の方法論は、①相手国を脅かす「抑止」と、②相手国を安心させて攻撃されないように仕向ける「安心供与」の二つの組み合わせしかないと遠藤教授は強調した。
そうした中で、日本はこれまで「安心供与」に軸足をおいた外交を展開していたといえる。
しかし、中国の軍事的な台頭、米国の地位が相対的に低下する中で、日本の政府が変化してきたと遠藤教授は云う。
つまり、現安倍政権が志向していることは「抑止一辺倒」で、日米一体で中国を威嚇しているような現状だと指摘した。
確かに隣国である中国の軍事的台頭、北朝鮮の国内政治の不安定など、日本の安全を脅かす要素が増してきているようにメディアを通じて感ずる昨今である。そのことに対してどのように対応し、国(国民)の安全を保っていくのかという問題は、政治の大きなテーマである。
このことに関しては、私の関心にも大きなものがあるが、拙ブログ上において政治的コミットメントは厳に慎むことを旨としている。
ということで、私の考えを表明することは差し控えるが、関心をもってこの問題を見守っていきたいと考えている。