霧多布湿原は海(太平洋)と湿原が隣り合う珍しい湿原である。琵琶瀬展望台からの眺めは息を飲むほど美しい光景だった。また、厚岸の名刹「国泰寺」は長い歴史を感じさせる重厚な雰囲気に満ちていた。
霧多布湿原
※ 「琵琶瀬展望台」から眺めた霧多布湿原の中を悠々と流れる琵琶瀬川の流れです。
根室方面から「霧多布湿原」に向かうには、海沿いの「なぎさのドライブウェイ」を走るコースと、「霧多布湿原センター」に立ち寄り、湿原を意味するMarshy Grasslandの頭文字から、「MGロード」の呼称される道路を通って向かうコースがあるが、私は後者を選択し「霧多布湿原」を目ざした。
※ 「霧多布湿原センター」の建物です。
「霧多布湿原センター」は湿原が始まる小高い丘の上に位置していた。そこからは湿原が一望できたのだが、それを目にした私には正直言って茫洋と草原が広がっているようにしか見えず、格別感激はしなかった。
※ 湿原センターの展望フロアから「霧多布湿原」わ撮ったものです。ガラス面が写り込んでいます。遠くに見える扁平な細長い島が、今から考えると「嶮暮帰島」でした。
そして湿原を横切るように「MGロード」が走っていた。そこも北海道の田舎育ちの私にはただ草原の中を走る道路のようにしか思えなかった。やはりこうした広大な湿原を把握するためには上空から眺めることが一番なのかもしれないと思ったのだが…。
※ 湿原を横切って走る道々808号線は「M・Gロード」と呼ばれていました。(その表示です)
※ MGロードの横には写真のような光景が広がっていました。
※ MGロード上には、写真のような霧多布湿原を説明する看板もありました。
「MGロード」が終わり道路は海岸に出た。私は浜中町本町には向かわず、霧多布湿原が一望できるという「琵琶瀬展望台」の方に向かった。
海岸を見るといくつかの島が見えた。ここには畑正憲さんの「ムツゴロウの無人島記」で有名になった「嶮暮帰島(けんぼっきとう)」が横たわっていた。私はたいして調べもせずに特異な形をした島が「嶮暮帰島」だと思い込んで写真を撮ったのだが、それはどうやら「嶮暮帰島」の隣にあった「小島」だったようだ。その横に細長く扁平に横たわっていたのが「嶮暮帰島」だった。(トホホッ…)さらなる私の失敗は、「琵琶瀬展望台」の前にあるはずだった「琵琶瀬木道」を見逃したことだった。私はこの木道を歩いて霧多布湿原を体感したかったのだが…。
※ 私が「嶮暮帰島」と勘違いしてしまった太平洋上に浮かぶ「小島」です。
「琵琶瀬木道」を探しているうちに「琵琶瀬展望台」の標識が目に入り「あれっ?」と思ったのだが、どうやら見逃したまま通り過ぎてしまったようだ。
さて、その「琵琶瀬展望台」であるが、「霧多布湿原」を見渡すには絶好のポイントだった。湿原の中をゆったりと大きく湾曲しながら流れる琵琶瀬川の様子は「霧多布湿原」を象徴するような素晴らしい光景だった。
※ この光景は何度見てもため息の出るような素晴らしい光景です。
※ 同じく「琵琶瀬展望台」から湿原の向こうに望見できる浜中町の街並みです。
私は「琵琶瀬展望台」からの景色にすっかり満足し、「霧多布湿原」を後にした。しかし、今になって考えると札幌からかなり遠隔地となる霧多布まで行ったのだから、もう少し丁寧に「霧多布湿原」を味わうべきだったかな?と反省している。
国泰寺
※ 「国泰寺」の本堂です。逆光だったのが残念です。
「国泰寺」は文化元(1804)年、江戸幕府が蝦夷地に幕府自らが管理・運営する “官寺” ということで他の2寺と共に、「蝦夷三官寺」として「北海道遺産」に選定された。他の2寺とは、伊達市有珠の「善光寺」、様似町の「等じゅ院」である。“官寺”とは、和人の葬儀・祈祷を行う一方、ロシアの南下が懸念されるなか、キリスト教の広がり対して先手を打つねらいもあったとされている。
「国泰寺」は厚岸本町(役場がある側)とは「厚岸湖」を挟んで対岸に位置していた。お寺の前には「北海道遺産」に選定されたことを大きな看板で表示されていた。そして境内に進むと、いかにも歴史を感じさせる山門、そして本堂が建っていた。ただ、お寺の建物そのものは創建当時のものではなく明治年間に建て直されたものだという。
※ 「北海道遺産」に選定されたことを大きく伝える看板です。
帰宅して関係するマップなどで確かめると「国泰寺跡」と表記されているのが気になった。そこで厚岸町観光協会に問い合わせてみると、やはり “官寺” に指定された当時の建物ではないことから「国泰寺跡」という表記になったということだった。
※ 質素ながらも風格を感じさせる山門です。
※ 山門から本堂に通ずる道は苔むした通路になっていました。
「国泰寺」は桜の名所としても知られ、境内には「老桜樹」と表記された老木が立っていた。その傍に「天保元(1830)年、国泰寺の本堂と庫裏を修復する際に、当時のアッケシ場所請負人である山田文右衛門が奥州石巻からオオヤマザクラを移植したと伝えられる古木である。高さ10m、幹周約3m、樹齢180年を超える。春には淡紅色に咲いた老桜樹を境内で観賞できる」と書かれてあった。
※ 樹齢180年を超えるという「老桜樹」です。
以上、5回にわたって道東地方に点在する「北海道遺産」についてレポしてきた。やや駆け足の感はあるが、初めて訪れたところ、再訪したところと、多くの「北海道遺産」を直接目にできたことは私にとって収穫だった。来る今年度後半期の「めだかの学校」の学習において、その成果をみなさんに還元出来たらと思っている。