田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

大学連携コンサート 札幌大谷大学

2024-10-31 11:39:41 | ステージ & エンターテイメント
 やはり大学生ともなると、高校生と比べてそのレベルが1段も2段も向上するんだなぁ、ということを実感させられた。ステージに登場した3人の奏者のレベルはかなりのものと私はみた。
       
 昨夜、市民交流プラザSCARTSにおいて、札幌市芸術文化財団と芸術系大学(教育大岩見沢校と札幌大谷大学)が連携して開催する「大学連携コンサート」の札幌大谷大学の学生のコンサート「色づく旋律」と題するコンサートが開催され参加した。
 登場した奏者は、大学内のオーディションを通ったというソプラノの芦野結菜さん、フルートの佐藤由渚さん、ピアノの三上慎太郎さんの3人だった。
 演奏した曲目は、
 ◆ソプラノ独唱 芦野結菜さん(ピアノ伴奏 村松萌乃さん)
  ◇トレッリ/あなたは知っている
  ◇ロッシーニ/フィレンツェの花売り娘
  ◇プッチーニ/歌劇「ラ・ボエーム」より 私が街を歩けば
     

 ◆フルート独奏 佐藤由渚さん(ピアノ伴奏 中村 結さん)
  ◇ファンタジー・ソナタ Op.17 第一、第三楽章
    

 ◆ピアノ独奏 三上慎太郎さん
  ◇バルトーク/舞踏組曲 BB 86b Sz77
    

 ソプラノのロッシーニやプッチーニの曲は多少聴いたことのある曲目だったが、他の曲はまったく初耳といってよく、難解な曲といった印象だった。
 前述したように演奏した3人はいずれもが相当に実力のある方、といった印象だった。その中、最初の芦野さんのソプラノを聴いたとき「あゝ、高校生とはかなりレベルが違うなぁ…」といった印象を抱いた。というのも、先に市内の音楽科高校生のソプラノを何人か聴いていたが、明らかにそのレベルの違いを感じさせられた。それは研鑽の長さの違いもあるのだろうが、声を発する肉体的な成長も影響しているものと思われた。特に芦野さんの高音の響きには将来性を感じさせるものだった。
   
   ※ ウェブ上で見つけた三上慎太郎さんのステージの写真だと思われます。

 佐藤さんのフルート、三上さんのピアノは、二人共に私には難解な曲で、私には評することもできないようなレベルの曲に聴こえた。特に三上さんのバルトークの舞踏組曲は私には不協和音のように聴こえる部分が多く、曲の良さを感ずることはできなかったが、新進気鋭のプレイヤーはこうした曲目に積極的に挑むことで新たな境地を見出そうとしているのかもしれない…。
 才能のある芸術家たちの若々しい演奏を聴くことができる「大学連携コンサート」をこれからも追いかけてみたい。

金剛山歌劇団札幌公演

2024-10-30 21:26:52 | ステージ & エンターテイメント
 控えめ(だったかな?)とはいえ、故国礼賛に終始した演目はどうかな?と思われたが、エンターテイメントとしてみるかぎり、鍛えられた演舞、華やかな舞台や衣装など、十分に楽しめた公演だった。

    

 本日午後、改装なった札幌市教育文化会館において創立50周年記念と銘打った「金剛山歌劇団」の公演があった。観覧を希望したところ招待券が舞込んだので観劇することができた。
 「金剛山歌劇団」についての知識がなかったのでネットで調べてみると、1955年に「在日朝鮮中央芸術団」として創立されたのが始まりだということが分かった。そして1974年に「金剛山歌劇団」と改称されてから50周年ということのようだ。
 つまり歌劇団は在日の朝鮮籍の方々で構成されていることを初めて理解した。ステージに登場した団員はオーケストラビットの演奏陣を含めて50名弱という構成だった。
 記録のためにプログラムを記すと…
《第1部》
 1 オープニング「道」
 2 女声重唱「りんごの木を植えました」
 3 舞踊「山河を舞う」
 4 男声独唱「母よ」(人民俳優 李栄守)
 5 舞踊「あの空の向こうへ」
   
《第2部》
 6 舞踊「月灯りの下で」
 7 チャンセナブ独奏「われら幸せを歌う」(功勲俳優 崔栄徳)
 8 混声重唱「ウリハッキョ、ウリ未来」、「海に伝える想い」
 9 舞踊「朝鮮相撲」
 10 舞踊「チャンゴの舞」
 11 男声独唱「ニルリリ打令」  混声重唱「黄金山打令」
 12 民俗舞踊「農楽舞2024」
   
という内容で、主に歌と舞踊の構成となっていた。(  )内に特に人民俳優とか、功勲俳優について特記したが、おそらく長年の活動に対して本国(北朝鮮)から授与された勲章のようなものなのではないだろうか、と私は思ったのだが…。
 ステージに登場した23名の中、男性は5名程度で他は女性だったが、その女性たち全ての容貌、スタイルが抜群で、まさに選び抜かれた人たちの集団のように思えた。その彼女たちが色彩鮮やかな衣装で登場し、かつ良く鍛えられた歌や舞踊を披露するのだから、ステージが映えないはずがない。華やかな舞台に多くの観衆は酔ったことだろう。
   
 ただ、と私はここで但し書きを加えねばならない。演目の一つ一つが祖国を憧れ、祖国に想いを馳せる内容だったことにどこか冷めた思いで見ていたことも事実だった。
 「金剛山歌劇団」が劇団の性格上、そうなることは致し方ない面もあるが、観衆である私たちはステージから発せられるメッセージ的なことを冷静に判断しながら観る必要があのではないか、と思いながらエンターテイメントを楽しませてもらった。

※ なお、掲載した写真は撮影がNGだったため、雰囲気を伝えるためウェブ上から拝借したが、札幌公演では衣装が一層鮮やかな印象を与えるものだった。

血管の老化を予防するには?

2024-10-29 14:08:54 | 講演・講義・フォーラム等
 血管の老化、すなわち動脈硬化はあらゆる死因に直結するやっかいな老化だという。その血管の老化の進行を止める(遅らせる)ためには、私たち自身が日常生活に気を付けながら生活することが大切であると講師は強調された。

 昨日(10月27日)午後、共済フォーラムにおいて(一財)北海道心臓協会の主催で「北海道心臓協会市民フォーラム2024」が開催され参加した。
 フォーラムは二つの講演から成っていた。
講演第一部は「血管の老化(動脈硬化)を予防する生活習慣」と題して札幌医大の循環器・腎臓・代謝内分泌内科学教室の古橋眞人教授が講演された。
講演第二部は「心臓拍動のしくみ」と題して札幌医大の當瀬規嗣名誉教授が講演された。
 當瀬氏はコロナが蔓延したころからTVのコメンテイターとして出演され、その病態について分かり易く、かつ軽妙な語ることで人気の方である。今回のお話は當瀬氏の専門である心臓が動く仕組みについて、マウス(ねずみ)の心臓を用いてそのメカニズムを明らかにするということについてお話された。実際にマウスの心臓を取り出し、それが動いている画像を見せていただきながらのお話は、當瀬氏の話術の巧みさも伴い興味深いものだった。しかし、内容的には医学生向けともとれる専門的な内容だったことから、そのお話を私が再現するには荷が重いと感ずるので申し訳ないが割愛させてもらい、古橋氏のお話に限ってレポすることにする。
        
        ※ 當瀬規嗣札幌医大名誉教授です。

 古橋氏はまず下図のようなグラフを示し、日本人の死因で心疾患はガンに次いで多く、日本人の死因の1/4は心疾患によると強調された。
    

その心疾患であるが、患う遠因として「加齢」、「運動不足」、「生活習慣の乱れ」、「食生活の乱れ」などがあるという。
 そもそも心疾患とは、心筋梗塞、狭心症、突然死などを指すが、その主たる原因は高血圧・糖尿病・脂質異常症・肥満などの生活習慣病や喫煙によって生じる動脈硬化であるとし、特に「肥満」については、「肥満」に伴うさまざまな病気を引き起こす元凶になるとして「メタボリック・ドミノ」という言葉を紹介され、下図のよう図を示された。つまり「肥満」がさまざまな病気の元凶として、次々といろいろな病気を誘発するということで生まれた言葉である。   

 そうした「肥満」の状態を避けるためには、上記のように日常の運動、生活習慣の乱れを正す、食生活を適正にする、などが必要であると強調された。

        
        ※ 古橋眞人札幌医大教授です。

 「肥満」については心疾患のみならず「万病の元」とも云われることが多い。そしてその予防のためには、①日常の運動の必要性。②生活習慣を正す。③食生活を適正にする。の3点については、いろいろな専門医が共通して強調されることでもある。私も日常生活においてはそれなりに気を付けて生活してきたつもりであるが、今後はさらにそのことを強く意識しながら少しでも「健康寿命」を永らえたいものと思いながらお聴きした古橋教授の講演だった。

さっぽろラウンドウォーク反省会 & 懇親会

2024-10-28 20:13:41 | さっぽろラウンドウォーク
 札幌の周囲をグルっと一周する「さっぽろラウンドウォーク」140キロを完歩したと先にレポートした(10月14日)が、本日その達成を記念しての反省会と懇親会を開催した。静かな反省会 & 懇親会だったが、それぞれの中で達成感を噛みしめていたようだった。

 「めだかの学校」の有志による「さっぽろラウンドウォーク踏破クラブ」が10回に分けて140キロを完歩したことは先に報告したが、その達成を記念して本日午後、本家の「めだかの学校」のプログラムが終了後に反省会 & 懇親会を行った。そもそもはクラブの相談役的立場のN氏が発案したのを受けて、私が準備して実現したものだ。
 まず第一部を中央区民センターの一室をお借りして、ラウンドウォーク全体を振り返るパワーポイントを私が作成したものを全員で視聴することにした。私は慣れない資料作成に苦労したが、なんとか37頁の画面を作成した。ところがアクシデントが発生した。私の持参したノートPCと区民センターが貸し出してくれたプロジェクターの接続がどうしてもできなかったのだ。仕方なく、みんなでPCの小さな画面を見ながらの反省となった。苦労して作成した私としては残念無念な思いだった…。
    
 ※ 私が作成したパワーポイントの資料の第1頁です。「140キロの軌跡」と題しました。

 続いて、各人から感想を伺ったが、総じて「長距離ウォークで苦労はしたが、満足感を味わっている」的な感想が大半を占めていた。何せ平均年齢が76.2歳のグランドシニアが10回に分けたとはいえ、総計140キロを歩きぬいたのだから…。ルートの中には山あり、背丈以上の草叢を掻い潜るなどの難路も乗り越えながらの140キロだったのだから、そうした感想が述べられるのも当然といえば当然である。

    
  ※ 各セクションの実施日と参加者数です。

 ただ、問題は都合で日程が合わずに全区間を完歩できていない会員もいる。その方々を今後どう救済していくかが私たちの課題ではある。今年中とは言わず、互いに声かけあってなんとか完成できるよう応援したいと考えている。また、今回の反省会において具体的な提案はなかったが、皆さんが元気であれば、来年また何らかの別の提案があるかもしれない。それが楽しみでもある。

    
     ※ 各セクションの撮り貯めた写真を映し出しました。

 1時間程度で反省会を終え、場所を地下鉄「西11丁目駅」直結の「カフェ & バル ゆう」に移動して懇親会の席を持った。ところがなんとメンバーの半数がアルコールを口にしないという真面目(?)集団だった。黙々と料理(つまみ?)を口にするだけで、なんとも話題が広がらない。「めだかの学校」ではかなり長く交流を持っているのだが、飲食を伴う会合は稀なので、それも致し方がないのかもしれない。

    
    ※ 懇親会の始まりの乾杯の場面です。フラッシュを失念しました。

 ともかく、それぞれの中に苦労を乗り越えてやり遂げたという満足感を漂わせてくれていたようなので、主導した私としては一つのことに終止符を打てたことに別の意味の満足感を感じながら散会を告げたのだった…。

ヘルシーウォーキング㊻ 発寒鉄工団地から宮の沢をめぐる、白い恋人パーク&宮丘公園・発寒ウォーク

2024-10-27 17:10:43 | JRヘルシーウォーキング
 「この日のような天気を小春日和と云うんだろうなぁ…」という心地良い中でスタートしたが、後半は厚い雲が垂れ込める天気となるなど不安定なところもあったが、概ね良いコンデションの中でウォーキングを楽しんだ??

    

 昨日(10月26日)、JRヘルシーウォーキングイベントウォークの「発寒コース」(約11.0km)に参加した。
 ずいぶん長いコース名であるが、穿って考えるとコース自体にあまり特色がないためにこうした名にせざるを得なかった?それはともかく、前半は発寒の工場が立ち並ぶ鉄工団地の中を直線状にひたすら歩くコースだったが、最近体調のすぐれない私は早くも疲労を覚え始めた。
    
    ※ 今回のスタート&ゴールとなったJR「発寒駅」です。空は晴れています。
    
    ※ スタート直後はこのように工場群が立ち並んでいました。

 新川まで北上した後、新川沿いを少し歩いて折り返したところの公園(発寒西稜公園)で少年たちが野球の練習をしていたので、その様子を眺めながら早くも休憩する羽目となった。

    
    ※ 秋色が濃い新川の川沿いです。
    
    ※ 少年たちのはつらつとした姿はいつ見てもいいものです。

 一休みして今度はひたすら南下するコースだったが、その距離3キロ以上あったのではないだろうか?その直線状のコースはさまざまな建物が混在する特色のないコースだった。

    
    ※ 札幌市内を取り巻くように走る高速道「札幌新道」を下を潜って進みます。

 その直線状のコースの最後にある「札幌市生涯学習センター(通称:ちえりあ)のところを右折し「北5条手稲通(旧国道6号線)」を往くと札幌市の観光名所の一つ「白い恋人パーク」に建つチョコレートファクトリーのメルヘンチックな建物が目に入ってくる。

    
    ※ 私も時折り利用する「札幌市生涯学習総合センター」(ちえりあ)です。
    
    ※ 「白い恋人パーク」内に立つチョコレートファクトリーの建物です。

 建物の角を今度は左折し、「さっぽろラウンドウォーク」のセクション2のゴールだった「宮の沢ふれあい公園」の横を通り、「宮丘公園」を目ざす。「宮丘公園」は小高い丘の上に位置するため、疲れた足でここを上るのがこの日一番つらかった。

    
    ※ 秋色を纏った「宮丘公園」内に光景です。

 「宮丘公園」の高台を上り切ったベンチのところでたまらずこの日2回目の休みを取った。この頃からだったろうか?スタート時には「小春日和か?」と思われたような天気が、気が付くと空一杯に雲が覆い始めていたことに気付いた。
 コースは残り4キロを切って、「宮丘公園」からは坂を下るだけのコースだったこともあり、疲れていたが脚は比較的スムーズに動いた。
 私の中でマイブームだった時には何度か訪れたこともある「丸亀製麺宮の沢店」の前を通り過ぎ、「追分通」を北上して「DCMホームセンター」のところから右折してゴールの「発寒駅」に着いたのは11時35分だった。

    
    ※ ルートの終盤、お馴染みの「丸亀製麺」です。空の色が激変しています。

 前述したが、コースとしてはやや平凡かな?と思えた11キロだった。札幌も宮の沢まで都心から離れると(地下鉄「東西線」の終着駅である)特色ある建物とか、施設、史跡などが少ないのは致し方のないことか?
 それより私が今回痛感したのは、私自身の体力がかなり老化してきたことを自覚せざるを得なかったことだ。先週日曜日に富良野市を15キロ歩いたときは3日間くらい疲れが取れなかった。この日も歩き出して1時間も経たないうちに休憩を取らざるを得なかった。これまでの私は自分の体力を過信し、ふだんの体力維持を疎かにしてきたところがあった。もうそうした無理が効かなくありつつあることを痛感し、自分の老化と真剣に向き合う必要性を感じさせてもらった今年の秋である。
◇ウォーク実施日  2024年10月26(土)
◇歩いた距離    約11.0 km

学習成果実践講座 in 十勝

2024-10-26 15:31:00 | 講演・講義・フォーラム等
 いろいろな形の生涯学習があることを知った。特に「儲けるための生涯学習」という言葉は新鮮であり、ある種衝撃的でもあった。そうした中、私も「めだかの学校」の代表として私たち「めだかの学校」の実践を発表させてもらった。

 昨日(10月25日)、帯広市において道民カレッジが主催した「学習成果実践講座」において「めだかの学校」の実践を発表してほしいという依頼があり、帯広市まで出向いた。
 実践講座の内容は、
 ①「フレンズ十勝塾」というシニアのグループの学習の実際を見学
 ②内閣府地域活性化伝道師の福留強氏による講義
 ③そして、私たち「めだかの学校」の実践発表
という構成だった。

   
   ※ 「学習成果実践講座」の趣旨について説明する道民カレッジの生涯学習推進課長さんです。(右に座っている方が金田英雄さんです)

 「フレンズ十勝」の学習は、会長の金田英男さんという方が講師となり、金田さんが日本中を見聞して歩いたことを、特に歴史的視点から考察しまとめたことを受講者に伝える形の講座を続けているグループで、今回が実に175回目ということで、今回のテーマは「街道をゆく 長州(山口県と島根県)」編だった。詳しくはお聞きできなかったが、市民の誰もが参加できる塾のようだが、今や固定客のような形で10数名の方が受講されているようで、この日も10名前後の方が受講されていた。

    
    ※ 講義をされる金田英男さんです。

 続いて福留氏が「生涯学習・まちづくりはいま~学習成果を活かし、まちづくりを楽しむ~」と題してお話された。実は、私は福留氏とは若い頃に一度お会いしたことがある方だった。というのも、私が一時社会教育の仕事をしていたとき(1982年の話である)、東京・上野にある「国立社会教育研修所」において一か月間の研修を受けたことがあった。その際、福留氏は主任指導教官だった方なのだ。私の記憶にあった当時の面影はすでになく(お互いさまだが…)白髪のお爺さんになられていた。
 福留氏は全国の生涯学習の事情やまちづくりに精通していて、各地の事例をたくさん紹介してくれた。そのお話の中で出てきたのが「儲けるための生涯学習」という言葉だった。私などは生涯学習というと、「自らを高める、深めるための生涯学習」と捉えていたのだが、 福留氏はそれでは限界があると述べられた。つまり、学んだことをもとに “利益を得る” ことを考えようというのである。そうすることが “まちづくり” にも繋がると主張された。その事例として、九州において生涯学習で学んだ集団が独自に焼酎のブランドを起ち上げ、それを販売し、地域に貢献している事例を紹介された。う~ん。目から鱗が落ちるような話だったが、今後ますます高齢者が増える中においては、そうしたことも視野に入れながら生涯学習に励む必要があるのかもしれない。

   
   ※ 講演をされる、私が若い頃にお世話になった福留強氏です。

 最後に私の方から、「めだかの学校」の現状や実践についてお話させてもらった。「フレンズ十勝塾」とは違った形の実践を続けてきた「めだかの学校」であるが、「フレンズ十勝塾」に集う方々にはどう映っただろうか?
 生涯学習にはきまった形があるわけではなく、その土地や集う人たちによって、さまざまな形があって良いのだと思う。あるいは北海道内ではいろいろな形態で実践しているグループがあると思われるが、それらの方々と今後機会があれば交流してみたいと思わせてくれた「学習成果実践講座」だった。

松前神楽国重要無形民俗文化財指定記念公演会

2024-10-25 20:28:51 | 講演・講義・フォーラム等
 「神楽」などは私にとって全く無縁の世界のものだが、怖いもの見たさ(?)に会場に足を運んでみた。舞っている意味はほとんど解せなかったが、古来から神を尊ぶ日本民族の奥に深さに触れた思いだった。

     

 10月22日(火)夜、かでるホールにおいて表記「松前神楽国重要無形民俗文化財指定記念公演会」が開催された。観覧料が高価ではなかった(1,000円)こともあって、これまで神楽などには全く無縁だった私は「いったいどんなものなのか?」という興味も手伝って観覧することにした。
 いただいたパンフレットによると、松前神楽は松前藩5代藩主の松前矩廣の時に松前地方の各神社で行われていた神楽の演目を統一して自らが祭主となって、松前城内で始められるようになったが始まりとされている。時に延宝2(1674)年とされているそうだ。その城内神楽が松前藩廃藩後も道南及び北海道の日本海側の神社によって継承されて今に至っているとのことだ。その「松前神楽」が平成30(2018)年に国の重要無形民俗文化財に指定されたことを記念して開催されたのが10月22日の公演会だという。記念公演がこの日まで延びたのは他でもないコロナ禍のせいだそうだ。
 今回の公演は、「松前神楽小樽ブロック保存会」、「福島町松前神楽保存会」、「松前神楽函館連合保存会」、「松前神楽松前ブロック連合保存会」、そしてそれらを束ねる「松前神楽北海道連合保存会」総出の公演会だった。
 公演会では合計15の舞が披露された。記録のためにそれらを列挙してみると…、
 ① 爽神拝(そうしんぱい)
 ② 神楽初(かぐらぞめ)
 ③ 榊舞(さかきまい)
 ④ 福田舞(ふくだまい)
 ⑤ 鈴上舞(すずあげまい)
 ⑥ 二羽散米舞(にわさごまい)
 ⑦ 荒馬舞(あらうままい)
 ⑧ 千歳舞(せんざいまい)
 ⑨ 翁舞(おきなまい)
    

 ⑩ 三番叟(さんばそうまい)
 ⑪ 八乙女舞(やおとめまい)
    

 ⑫ 神遊舞(かんあそびまい)
    

 ⑬ 七五三祓舞(しめはらいまい)
 ⑭ 獅子舞(五方獅子 ごほうしし)
 ⑮ 獅子舞(面足獅子 もたりしし)
    

以上、各演目間に休みなく2時間にわたって鉦、太鼓、笛などの拍子に合わせて舞った。
 前述したように神楽そのものを観るのも初めての私には、それぞれの舞が持つ意味は全くと言って良いほど理解はできなかったが、解説によるといずれの舞も五穀豊穣、領内平和、悪魔退散など民たちの安穏をお祈りするものであるとのことだ。
こうした我が国に古の昔から伝わる貴重な文化財を護り育てていくことは、私たちが意識する、しないに関わらず私たち日本人の精神文化を支えてくれているという意味からも保存会の皆さま方のご努力に敬意を表したいと思った。

※ 写真撮影はNGでしたが、入場者に記念ポストカードが配布されました。それを転写します。


ちょっと期待外れだったかな?興梠一郎氏の講演

2024-10-24 15:46:09 | 講演・講義・フォーラム等
 テレビなどでもお馴染みの中国研究家として知られる興梠一郎氏の講演を楽しみにしていたのだが、期待外れの感が強かったな?もう少し真剣に論じてくれると思っていたのだが…。

 一昨日(10月22日)午後、ニューオオタニインにおいて「エネ・フィール」という女性団体が主催する「エネ・バスケット学習会」に参加した。エネ・フィールとは、「北海道エナジートーク21」の趣旨に賛同する女性団体のようである。その団体が、神田外国語大学の興梠一郎教授を招請して「いま中国で何が起きているのか?~習近平体制と課題」と題して講演をするというので期待を抱いて参加した。

    
    ※ 講演をする興梠一郎氏です。

 ところが、お話は最初から興梠氏の宣伝めいたことから始まった。すなわち「私の言っていることを知りたかったら、私のOfficial You Tubeを見よ」と言っているかのごとく、興梠氏が作成しているページを映し出したり、ご自身の著書を紹介したり、まるで自身の宣伝のために演壇に登場したのかと聴いている者たちが錯覚するような出だしだった。

   
   ※ 興梠氏が発信するYou Tubeチャンネルのページを映し出しました。

 そして一応、次の3点についてお話したいと提示した。
 ① 日本人学校児童刺殺事件
 ② 日中の経済問題
 ③ 台湾問題に絡んだエネルギー関連問題
とした。
 しかし、内容的には私には空疎にしか映らなかった。
 興梠氏はお話しながら、なぜか絶えず笑いを交えながら話すのだが、会場は凍り付いたように誰一人笑う人がいなかったのを興梠氏はどう受け止めたのだろうか?私には興梠氏が中国の一般大衆を嘲笑する笑いだったのかな?と受け止めたのだが…。
 ① の日本人学校児童刺殺事件に関して、興梠氏は「中国政府の姿勢が中国の一般大衆を扇動している節がある」と指摘した。
そして中国は「報復社会」であるとも述べた。「報復社会」とは「低収入や失業中で社会的地位の低い男性が社会への報復をする」ことだとし、日本人学校児童刺殺事件もその一環だとの見方を示した。
② についてはほとんど触れなかったが、③ について、中国が台湾の周囲で軍事演習を繰り返しているのは、台湾への燃料輸入のルートを封鎖する狙いがあるとし、中国軍が台湾上陸をしなくとも台湾を窮地に陥れることができると指摘した。興梠氏によると台湾は一週間燃料の輸入がストップすると、国が立ち行かなくなると指摘した。

         

 そして最後に興梠氏は「中国国家主席である習近平は比類なき存在となってしまい、大きな誤りを犯す可能性が一気に大きくなった」と指摘した。
凡そのお話は以上のようなことだった。しかし、この程度のことは私たち一般人もメディアを通じて、それとなく把握していることとそれほど変わらないのではと思った。
 問題は、そうした中国の現状に対して、私たち日本人はどう考え、どう対処すべきなのか示唆することが中国研究者としての在り方なのでは?と思うのだが、その必要はないのだろうか?それとも、それは氏自身のYou Tubeを見てくれ、ということなのだろうか??
 私にはやや期待外れに終わった感の強かった講演会だった…。


工藤じゅんきの十人十色

2024-10-23 12:59:53 | 講演・講義・フォーラム等
 北海道のSTVラジオが放送するバラエティ番組で「工藤じゅんきの十人十色」という長寿番組がある(らしい)。「らしい」ということは、私自身は聴いたことがないからだ。そのパーソナリティの工藤じゅんきのお話を聴いた。

   

 一昨日(10月21日)午後、かでる2・7において「北海道民放クラブ」が主催する講演会が開催され参加した。「北海道民放クラブ」とは、北海道内の民間放送会社に所属した経験のあるOB、OGたちで作る懇親会だそうだ。その民放クラブの中の「社会活動部会」が定期的に講演会を開催し、クラブ員以外にも聴講を呼び掛けている講演会なのだ。けっこう興味深い話題、人選なので私も時折顔を出している。
 今回はその一環として、まだ現役でマイクの前に立っている(現在72歳、STVを定年退職後も番組は担当している)工藤準基さんが招請し、「工藤じゅんきの人生いろいろ十人十色」と題する講演会が開催された。

        

 私は前述したようにラジオはほとんど聴かないので、番組自体も聴いたことがない。しかし、工藤じゅんきさんについては、その親しみやすいお顔と共に私の記憶の中にはあった人だ。
 お話はバラエティ番組のパーソナリティらしく、番組を通して出会った人、あるいは取材で知った人などのことをあれこれと紹介してくれたが、その中の一つのお話をレポしたい。
 それは旭川市のカレーの名店「クレージースパイス」の店主だった斉藤達哉さんを巡る人間模様についてだった。
 斉藤さんがつくるカレーは、徹底的に素材にこだわり、水分は玉ねぎを炒めることで抽出するそうだ。それと同時に斉藤さんは「男は生きざま」こそが全てという体育会系の生き方を標榜し、年中短パン、Tシャツで通していることなどから、旭川のみならずカレー通にとっては超有名店ということだ。

    
    ※ 「クレージースパイス」の店主:斉藤達哉さんの在りし日の姿です。

 そうした斉藤さんの店と、日本ハムのヒルマン監督時代に通訳を務めていた岩本賢一さんが繋がりがあったそうだ。岩本さんは旭川北高校時代に野球部に所属していたが腰を痛めて野球の道を諦めたが、斉藤さんの店でアルバイトをしていたという。その際に斉藤さんの生きざまに影響され、一念発起してスポーツトレーナーの道を志しアメリカの大学に留学しトレーナーへの道を歩んでいたところ、ニューヨークメッツの通訳に雇用され、そこで当時ニューヨークメッツの選手だった新庄剛志選手の通訳を務めることになったという。
 岩本さんは新庄選手より一足早く帰国し、日本ハム球団に採用されてヒルマン監督の通訳を務めるようになっていた。そこで、日本ハムが旭川で試合がある時には、自分がアルバイトをして心酔している斉藤さんが経営する「クレージースパイス」を日ハムの選手に紹介したところ、日ハムの選手たちには大好評で、当時日ハム選手だった大谷翔平選手も「クレージースパイス」のオムカレーにチーズと海老、マヨネーズとゆで卵をトッピングした「半熟オムのチーズカレー」が大好物だったそうだ。
   
※ 大谷翔平選手の大好物だっという「半熟オムのチーズカレー」です。

 そして新庄選手の日本球界復帰であるが、その際に新庄選手が「日本球界に復帰するなら日本ハムしかないでしょ」と云った言葉が私には忘れられない。新庄選手が何故そう云ったのか?私にはよく理解できなかったが、その言葉の裏には岩本賢一通訳との強い絆があったのではないか、と工藤じゅんきさんは明言されなかったが、きっとそう言いたかったのだと思うし、私もそう思いたい。 

    
    ※ 日本ハム監督時代のヒルマン氏の通訳を務める岩本賢一氏です。

 なお、店主の斉藤達哉さんは昨年9月に59歳という若さでお亡くなりになってしまったそうだ…。きっと多くの人の涙を誘ったに違いない。
 その他にも工藤じゅんきさんは番組を通して知り合った方々との思い出話を披露してくれたが、ここでは割愛したい。
 「北海道民放クラブ」の講演会の人選は硬軟織り交ぜてなかなか興味深い。次回は元旭川動物園長の小菅正夫氏だという。氏の話もなかなか興味深い。楽しみに待ちたいと思う。

あゝ、懐かしきキハ40

2024-10-22 10:38:57 | その他
 え――――っ!こんなところで再会できるの!?あの朱色とクリーム色のツートンカラーのキハ40型気動車。私の高校時代3年間、列車通学でお世話になったキハ40型気動車。私はキハ40に乗車中、高校時代にタイムスリップしていた…。

    
    ※ こちらに「キハ40」はウェブ上に掲載されていた写真です。

 その懐かしき「キハ40型気動車」に再会できたのは、過日JRウォーキングで富良野に向かった「根室本線」乗車した時だった。滝川駅から富良野に向かう列車が「キハ40型気動車」だったのだ!
 あの特色ある車体を彩る朱色とクリーム色のツートンカラー、そして車内はダークブルーの座席、それは私が高校時代に通学時に利用した気動車そのままだった…。

    
    ※ 富良野駅に到着した「キハ40型気動車」です。

 私の高校時代は、遥か昔に遡る1961(昭和36)年4月から、1965(昭和40)年3月までである。当時私は道東の小さな町である津別町の北見相生という集落に住んでいた。
 高校は、当時北海道は小学区制だったため高校は町の唯一の高校「津別高校」に入学することが必然だった。「津別高校」は私が住んでいた北見相生から列車で30分ほど離れたところにあった。
 そこで通学には、当時周辺町村の中核町村であった美幌町から北見相生までに敷設されていた国鉄「相生線」を利用して「津別高校」に通学していた。その時走っていたのが「キハ40気動車」だったのだ。
 だから私にとって「キハ40気動車」は私の青春と共にあった列車だったといっても過言ではない。「キハ40気動車」での30分間は友人たちとの絶好のおしゃべりタイムだった。今のようにスマホがあるわけでない。かといって教科書を繰るほど勉強熱心でもなかった。それでも定期テストの前くらいは教科書を開いていた時もあったかなぁ…。

   
   ※ キハ40の社内です。当時とまったく同じでした。

 時には、寝坊をして朝食も摂れずに「キハ40気動車」に駆け込み、気動車内で弁当をかっ込んだ時もあった。
 「キハ40気動車」で忘れえぬ思い出は、1962(昭和3)年6月に十勝岳が大噴火をしたときだった。噴煙は道東一体に降り注ぎ、空は朝からどんよりと曇っていた。気動車は外気を車内に取り入れる方式だったらしい。車内は噴煙で真っ白になってしまったことを記憶している。
 「相生線」は当時の国鉄にとっても枝線の枝線で、当時から赤字路線だったのだろう。国鉄がJRに代わる前の1985(昭和60)年にいち早く廃線となってしまった。
 私は今夏、その「相生線」の終着駅「北見相生駅」に立ち寄ってみた。当時の駅舎が今なお保存されていたのを懐かしく、思い出深く眺めたのだった…。
 そんな思い出いっぱいの「キハ40気動車」に思わぬ形で再会できた奇跡(?)をブログに記さずにはいられなかった…。

    
    ※ 帰路、滝川駅に到着した「キハ40」のヘッド(運転席)です。

 なお、古き「キハ40気動車」がいまだに現役で走っていることは、撮り鉄のファンにとっても貴重な存在のようだ。沿線には何人もの撮り鉄ファンがカメラを抱えて「キハ40気動車」が通過するチャンスを狙っていたのが印象的だった…。