田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

今年の歩道清掃ボランティア終了!

2020-10-31 14:46:03 | ボランティア

 私が「本日で11年目の今年の活動を終了します」と宣したとき、会員の方々から「へぇー」という声が上がった。誰もが「こうした活動が11年も続いてきたんだぁ…」という感慨に浸った時だった。私たちの活動はいつまで続くのだろうか?

   

   ※ 会員の方々が早朝に清掃活動に取り組んでいる様子です。

 私たちが北海道立近代美術館前の歩道を定期的に清掃活動をしていることは、拙ブログでも時折り触れている。今年も4月1日に第1回目の活動を始動したが、緊急事態宣言を受け、約2ヵ月の休止を挟んで昨日10月30日まで2週間に1度の割りで12回の清掃活動を行ってきた。(例年だと15~6回になるのだが…)

   

   ※ 事前は写真のように枯葉が路上に散乱しています。

 12回の活動に参加した総延べ人数は95人、1回あたり7.9人の方々に参加していただいた。

   

   ※ 事後はこのとおりスッキリとした路上となります。しかし今時期は“一瞬の美”ですぐに枯葉が散乱した状態となります。

 実はこの1回あたりの人数が8人を切った理由は私にあった。というのは、第11回目の活動を私は10月16日(金)に設定した。16日というのは、私が「白神山地の旅」に出発する日だった。この日は朝6時に外に出た時は雲が重く垂れこめてはいたものの実施できると踏んで掃除用具を外へ出したのだが、その直後からポツリポツリと雨が降り始め止む無く中止を決めたのだ。通常はその場合翌日に実施するのだが、私は予定通り出発しなければならないため、第11回目の活動は中止だなと思いながら出発した。ところが、翌日有志4人で第11回目の活動を行ったという嬉しいニュースを聞いた。 この第11回目の活動は、私が過去11年間で初めて清掃活動に参加しないという記念すべき(?)日となってしまった…。

   

   ※ ART文字の枝先を縛る前の状態です。

 私たちが清掃活動に取り組む近代美術館前の歩道は美術館前庭に生える木々が覆いかぶさっていて、その落葉、枯葉が絶えず路上に散乱するところである。特に深秋のこの時期は掃いても掃いてもすぐその後から落ち葉が散乱する。私は会員の方々に“一瞬の美”を求めて清掃活動に取り組みましょう!と呼びかけて最後の清掃活動を行った。

   

   ※ 皆さんで手分けして棕櫚縄を使いクサツゲの枝先を結わえます。

 この日は併せて、今年最後の活動ということもありART文字などを象っているクサツゲの雪害から護るため枝を棕櫚縄で結わえる作業も行った。

   

   ※ するとこのような状態となり、雪害からクサツゲを護ることになります。

 いつもはこの後、年に一度の反省交流会を催しているのだが、コロナ禍のためそれも中止として、活動後に温かい飲み物を用意して、その場で簡単な終了のセレモニーを行った。その中で私は「ここ数年は、いつまで活動を続けられるのかと思い悩んできました。しかし、今は体が動くかぎり頑張りたいと思いますので、皆さまも無理をしない範囲で協力ください」とお願いしてセレモニーを終えた。いつまで続けられるか分からない。しかし、体を動かせ続けられるうちは活動を継続したいと今思っている。

 私が発行する会報「近美を愛するブリリアの会」の発行も№213を数えるまでになった…。   


白神山地の旅 回想編⑥ 車旅 & 車中泊

2020-10-30 19:50:56 | 道外の旅

 いつまでも旅の余韻に浸ってもいられない。このあたりで最終回にしようと思う。今回の旅の特徴は何といっても車を駆って出かけたことである。こうした長旅に車を使ったのは初めての経験だったし、車中泊もこれほどたくさんしたことはなかった。そんな旅を振り返ってみたい。

   

   ※ 函館⇔青森間を結ぶ青函フェリー「はやぶさ」です。

 今回の9日間の旅で私が走った距離の合計は1,257Kmと出た。この数字はプロの長距離ドライバーの方たちにとってはどうということのない数字かもしれないが、私のように普段あまり運転をしない者にとっては大変な数字である。よくも走ったものというのが偽らざる思いである。

   

   ※ そのフェリーに車が積まれたところです。

 今回の旅を計画するにあたって効率的に旅するには?と考えた時、白神山地の地形的特徴が課題となった。というのも、白神山地の見どころはこれまでも触れてきたように大きく日本海側(深浦町)と西目屋村側に分かれている。その間を繋ぐのは「白神ライン」という細く曲がりくねったジャリ道しか存在しない。その間に公共交通は走っていない。そのことだけでなく、白神岳の登山口に向かったり、ブナ林を観察するために津軽峠を目ざしたりするには、自家用車を使うしかない、と判断した。

   

   ※ 車中泊で2泊した「道の駅津軽白神ビーチにしめや」の駐車場です。

 結果としては正解だったと振り返っている。大まかな計画は立てたものの、現地に入って交通事情が分かり、細かな修正をしなくてはならなかったこと。例えば白神ラインについては地元の人に尋ねると、「とても通行することはお勧めできない」と言われ、岩木山を巻いて遠回りして安全優先で弘前市を目ざした。また、旅程に多少の余裕が生まれたことから当初予定になかった「奥入瀬渓流」を目ざすことができたことなど、車旅だったからこそ可能だった。   

 もちろん運転には慎重の上にも、慎重を期した。事故など起こしては元も子もない。北海道と比べ細い道が多かったことも慎重に運転するうえでは幸いしたかもしれない。おかげさまで“ヒャッとした”ということも一度もなく1,257Kmを走り終えることができた。しかし、免許証の返上も視野に入ってきた年代としては最初で最後の車旅となるであろう。

   

   ※ 日本海側の深浦町の海岸で出会った「千畳敷」です。

 車旅をすることに伴って浮上したのが車中泊である。これまでも山旅や歩き旅の際に車中泊を利用してきた。理由はもちろん旅のコスト削減である。快適なホテルに宿泊することが旅の目的であるなら車中泊はそぐわないが、私の旅はあくまで山に登ったり、トレッキングしたりすることが第一の目的である。だとしたら、宿泊に対する快適さを犠牲にすることに躊躇はしない。   

 私の車の場合は、車中泊仕様にはなっていないので必ずしも快適とは言い難い。後部座席を折りたたんだだけなので、フラットになる部分が少ないが、全身を伸ばすことができ睡眠をとるのに不自由はしない。それでも車中泊だけだと疲れが溜まるのではと考え、間にホテル泊を挟みながら旅を続けた。

   

   ※ 西目屋村のビジターセンター近くの岩穴に造られた名所「岩戸観音」です。

 最近は車中泊が可能な道の駅や駐車場も快適性を追求しているようだ。車中泊に必要不可欠なのが水道の設備とトイレである。今回私が利用したところはいずれもトイレはシャワー式トイレが完備していた。

   

   ※ 「ブナ巨木「ふれあいの径」の途中、朴ノ木の葉で埋め尽くされた散策道です。

 車中泊はまた臨機応変に対処できる点が有利な点である。当初計画では道の駅を中心に計画を立てていた。しかし、日本海側は道の駅が少なく目的地からかなり離れたところにしかなかった。現地へ行ってみて、ちょっと休んだ「十二湖海浜公園」の駐車場に多くの車が車中泊していることが分かった。この駐車場からは「十二湖」も「白神岳」も近い。私は計画を変更してこの「十二湖海浜公園駐車場」に二泊もした。また、「道の駅なみおかアップルヒル」も予定外だった。この道の駅もたまたま寄ったところ利便性に富んでいると判断して車中泊の地に選んだところだった。

   

   ※ 「白神ライン」のジャリ道の一部です。

 旅を終えた時、こうした旅のお師匠さんである函館市在住のS氏より次のようなコメントをいただいた。「臨機応変ながらも、計画通りに行動できたのは、マイカー利用と車中泊の強みだと思います。」まさにその通りである。車旅だからこそ、車中泊だったからこそ、臨機応変に対処することができた旅だった。

   

   ※ 青森市「ねぶたの家 ワ・ラッセ」内に展示されていた実物の青森ねぶたです。

初めて尽くしの旅だったが、白神山地の魅力と車旅の楽しさを満喫することができた 今回の「白神山地の秋を味わい尽くす旅」だった。長々綴ってきた旅シリーズも今回でお終いとします。

   

   ※ 青森港に係留されいる「メモリアルシップ八甲田丸」です。

※ なお、車旅や車中泊に関する写真は撮っていなかった。そこで今回の旅で撮り貯めた中から、これまで未公開の写真をカット代わりに掲載することにします。          


白神山地の旅 回想編⑤ 弘前市 & 青森市他の観光

2020-10-29 16:27:01 | 道外の旅

 青森まで出かけて登山やトレッキングばかりでは芸が無かろうと考え、ちょっぴり観光も楽しんだ。本編ではその印象記を綴りたい。

斜陽館(五所川原市)

   

   ※ 「斜陽館」の全貌です。周りはレンガの塀で囲まれていました。

 作家・太宰治の生家として有名な「斜陽館」は五所川原市の金木町というところにあった。「斜陽館」の印象については旅日記でも触れたが、想像以上に広壮な豪邸であったことに驚いた。明治46年に東北の片田舎に階下に11室、278坪、二階に8室、116坪、付属建物や庭園などを合わせ宅地約680坪という豪邸である。しかし、このような豪邸で生まれ育ったがゆえに太宰治は悩み苦しんだというのだから人は分からない。当時の文学界にはプロレタリア旋風が吹き荒れていたこともその要因なのだとは思われるが…。

           

           ※ 太宰治の代表的なポートレートです。

 太宰は父のこと、生家のことを著書『苦悩の年鑑』の中で次のように触れているという。「この父は、ひどく大きい家を建てた。風情も何も無い、ただ大きいのである」と…。

   

   ※ 2階への階段も豪壮なものでした。

   

   ※ 廊下から見た庭園です。

弘前公園(弘前城)(弘前市)

        

 弘前市では一日休みを取って弘前市観光に充てた。そしてまず向かったのが弘前市の中心に位置する「弘前公園」である。これも旅日記で触れたが、本州の各地では弘前市のように市の中心に広大な城跡が残っているところが多く、そこが公園化して市民の文化を育み、憩いの場となっていることに憧れを抱いていると…。北海道人にとっては無いものねだりの思いなのではあるが羨ましい。公園内には天守をはじめとして、城門や隅櫓、水濠が現存し往時を偲ばせている一方、植物園や市立博物館、市民会館としても利用されている。

   

   ※ 城跡の南端に位置する「追手門」です。

   

   ※ 白の南東を警備した「辰巳櫓」です。

   

   ※ 城内本丸に築かれた「天守」です。

   

   ※ 本丸の広場からは岩木山で遠望できました。

 私が訪れたのは比較的朝早かったのだが、公園内をウォーキングする人も目立ち、市民の健康づくりの場としても利用されていることを伺えた。天守は意外に小ぶりであったが、これは津軽藩が往時としてはけっして有力な藩ではなかったこともあり控えめな規模にしたのでは、とうがった見方をしたのだが…。

 弘前公園は桜の名所としても名高いところである。津軽藩当時、城内はけっして桜の木が多かったわけではないようだ。廃藩後の明治末期になってから市民たちが積極的に桜の苗を移植したことによる、と城内の「弘前城情報館」の映像が伝えていた。

 公園の外にも見どころはあった。弘前市は多くの歴史的建造物が残されている。「旧市立図書館」、「旧東奥義塾外人教師館」、「青森銀行記念館」等々…。

   

   ※ 「旧東奥義塾外人教師館」です。

   

   ※ 「青森銀行記念館」です。

三内丸山遺跡(青森市)

   

   ※ あまりにも有名な三内丸山遺跡の「大型掘立柱建物」(右)と「大型竪穴建物」です。

 青森市郊外に位置する「三内丸山遺跡」も私の想像を超える規模と整備の良さで広がっていた。「三内丸山遺跡」は「北海道・北東北の縄文遺跡群」として世界遺産登録を目指す中心的な遺跡である。北海道内の遺跡の状況をある程度把握している(実際に訪れたことはないが、各種の講演会などで紹介され概要を把握している)私には「それほどでもないのだろう」という予想があった。ところが実際に訪れてみて、そのエントランスから力の入れようが違っていた。

   

           ※ 三内丸山遺跡のエントランス「縄文時遊館」の建物です。

 まず「縄文時遊館」という立派な施設が迎え入れてくれた。「縄文時遊館」は、シアター、展示室、収蔵庫、整理作業室(研究室?)などが一体となった大きな建物だった。

   

   ※ この道幅は当時と同じ道幅だそうです。

 そして遺跡はその「縄文時遊館」の奥に広がっていた。遺跡は発掘跡をそのまま保存したところ、そして研究の成果から往時の建物を復元した各種の建物からなっていた。特に巨大な柱を使った「大型掘立柱建物」や「大型竪穴建物」は縄文人たちが機械などもないなかでどのような工夫をしながら巨大な構造物を建てたのか、非常に想像を掻き立ててくれる規模であった。ボランティアガイドの丁寧な説明も私に一層の興趣を与えてくれた。

   

   ※ 縄文人の住宅は、写真の茅葺から、木の皮、土製と様々だったようです。

 

   

   ※ 高床式であることから貯蔵庫として使われていたのでは、という説明でした。

   

   ※ 「大型掘立柱建物」の柱跡の穴は発掘された状態で保存されていました。

        

    ※ 三内丸山遺跡から発掘された「大型板状土偶」が展示室に展示されていました。

 

奥入瀬渓流(十和田市)

   

   ※ 「奥入瀬渓流」を象徴するような一枚です。

 予定していた観光先ではなかったが、私にとって二十数年ぶりに再訪した「奥入瀬渓流」は渓流に至るまでのエントランス部分の道路脇の紅葉も含めて印象深い観光先であった。

 私は前日青森市の郊外の浪岡というところに一泊した。そこから十和田湖を目ざしたのだが、どこをどう通って十和田湖に至ったのかはっきりと思い出せない。ナビにすっかり任せっきりだったのだ。十和田湖に至る細い道路は峠を越えて走った。かなりの標高があったためだろう、道路の両脇の木々が鮮やかに紅葉していた。車を停めて写真を撮る余裕がなったために残念ながら私の目にしかその鮮やかさは残っていない。

   

   ※ 十和田湖に向かう山道で一枚だけ紅葉の様子を写していました。

   

   ※ 十和田湖を見下ろす位置から一枚撮ることができました。

 「奥入瀬渓流」のトレッキングは楽しいものだった。次々と現われる滝や泡立つ渓流の流れは見ていて飽きることがなかった。また、これまでのトレッキングとは違いたくさんの渓流を楽しむ観光客と出会った。                                          

   

   ※ 小雨に煙る十和田湖です。

   

   ※ 奥入瀬渓流で最大の水量を誇る「銚子大滝」の様子です。

         

   ※ 奥入瀬渓流に数多く見られる滝の一つ「九段の滝」です。

   

   ※ 典型的な奥入瀬渓流の流れです。

 そして帰りの十和田湖から青森市への道路も八甲田山の麓を越え、酸ヶ湯を経由するまたまた紅葉の素晴らしい道路だった。 

   

   ※ 湯治で有名な酸ヶ湯温泉の旅館(ホテル?)です。  

 以上が、私が特に興味を抱いた観光先だった。その他には「弘前りんご公園」(弘前市)、「観光物産館アスパム」、「A-FACTORY」、「ねぶたの家 ワ・ラッセ」、「メモリアルシップ八甲田丸」、「アウガ生鮮市場」(以上青森市)などを訪れたが、八甲田丸が往時のままで係留されていて現役時には立ち入ることができなかった箇所まで覗かせてくれたのは興味深かったが、その他の施設は私に特別の興味を抱かせるものではなかった。

 

                                            


白神山地の旅 回想編④ トレッキングあれこれ

2020-10-28 16:09:59 | 道外の旅

 白神山地を楽しむにはトレッキングが不可欠であった、というのが旅を終えた私の率直な感想である。白神岳登山は別格としても、たくさん用意されたトレッキングコースを歩いて回ってこそ白神山地の魅力にふれることができる。私は今回できるかぎり多くのトレッキングコースを巡り歩いた。

 今回の旅を計画するとき、「白神山地ビジターセンター」のホームページを開いた時に、「あゝ、これはトレッキング主体の旅になるな」と悟った。そこには「散策 登山コース案内」というページがあった。私は自分の持ち時間を勘案しながら、登山は「白神岳登山」、そして散策の方はできれば全てのコースを踏破したいと思った。コースとしては①「世界遺産の径 ブナ林散策道」、②「暗門渓谷ルート」、③「ブナ遺伝資源保存林」、④「マザーツリー」、⑤「白神山地眺望コース」、⑥「十二湖散策コース」、⑦「くろしまの滝コース」の7ヵ所が紹介されていた。

 全てを踏破したいと思って現地に赴いたが、③の「ブナ遺伝資源保存林」はビジターセンターで「現在立ち入れ禁止措置が取られている」と聞いて断念した。また、⑤の「白神山地眺望コース」はトレッキングではなくジャリ道の白神ラインを車で走りところどころの展望台から眺望するということで、純粋のトレッキングとは言いかねた。そこでその他のトレッキングルートについて、それぞれの体験ルポを記すことにしたい。(「十二湖散策コース」はルポ済みである)

世界遺産の径 ブナ林散策道

この散策道は「白神山地ビジターセンター」から山に向かって約17キロ、車で約30分走ったところにある「アクアグリーンビレッジANNMON」という、いわばトレッキング基地のようなところを発着点とした散策道である。一周約2キロ、1~2時間ほどかけて周るコースが設定されていた。比較的容易なコースであることから多くの人たちがガイド付きで回っていた。私はガイドには頼らずおよそ1時間程度で一周した。確かにブナの木は目立ったが、それほど大木には出会わず、印象的にはイマイチのコースだった。

    

    ※ 散策道の入口に立てられていた案内柱。

    

    ※ 巨木と比べるとまだまだ若いブナの木が目立ちました。

    

    ※ 中にはこうしてやや太くなったブナもありました。

暗門渓谷ルート

   

  ※ 「暗門渓谷」と「ブナ林散策道」のマップです。

この「暗門渓谷ルート」も発着点は「アクアグリーンビレッジANNMON」である。暗門渓谷とは、岩木川の支流「暗門川」を遡っていくことでその渓谷部に第一、第二、第三と次々と大きな滝に遭遇するコースである。現在一番奥の第一の滝は立ち入り禁止措置が取られていて、私たちは第三、第二の滝までしか行かれなかった。その第二の滝まで往復5キロ、約2時間を要した。こちらは先のブナ林散策道とは違い、ヘルメットの装着を要請されるなど本格的なトレッキングの心構えが必要なコースだった。旅日記で「深山幽谷に立ち入る気分」などと記したが、両側を高い崖壁に囲まれ、流れる川の脇に設けられた細い山道を歩いているとそんな気分にさせられたのは事実である。その先で見た、見上げるような二つの滝は気分をスカッとさせるに十分だった。

   

   ※ 暗門渓谷の案内標識です。

   

   ※ 入り口から間もないところの散策道はまだまだ広かったですが…。

   

   ※ 奥へ進むと徐々に道が細くなっていきました。(川の向こうの崖沿いに道があります)

   

   ※ そしてとうとう道自体が分かりません。(川の左側の崖の中腹に道があります)

   

   ※ そして目にした「暗門第三の滝」です。

   

   ※ 続いて「暗門第二の滝」です。

   

   ※ ウェブ上から拝借した「暗門第一の滝」です。

マザーツリー

 「マザーツリー」とは、母なる木ということだが、つまり白神山地に生えるブナたちにとって母なる存在のような木という意味なのだろう。このマザーツリーを鑑賞するためには「アクアグリーンビレッジANNMON」からジャリ道の曲がりくねった道を緊張しながら走ること約30分(私には1時間にも2時間にも思えた)「津軽峠」に到着する。そこの駐車場に車を置き、そこから歩くことわずか10分で到達した。ところが!旅日記でもレポしたが、マザーツリーと呼ばれるブナの大木は、平成30年の台風でその上部が折れてしまい、下の幹の部分しか残っていなかった。樹齢が400年ともいわれるマザーツリーは老木となってしまい強い風に耐えられなかったのだろう。残念!

 津軽峠からは先に登った白神岳など白神山群を遠望できた。

   

   

   ※ 津軽峠から見た白神山地の山群です。正面に小さくポツンと出た山が「白神岳」です。

        

   ※ 台風のために無残にも途中から折れてしまったマザーツリーです。

   

   ※ 残ったブナの横には折れて落ちた枝がそのままの状態で横たわっていました。

         

   ※ ウェブ上から拝借した元気だったころのマザーツリーです。

くろくまの滝 

「くろくまの滝」は、暗門の「第三の滝」、「第二の滝」より規模が大きく落差85mほどあるという「日本の滝100選」に選定されている滝である。ここへ至るまでが大変だった。「津軽峠」よりさらにジャリ道を行くこと20キロ、私は緊張にため何度もため息をつきながらの運転となった。(ガイドブックなどではこの道は危険なため、反対側の鯵ヶ沢町側から入るのが良いと記されている)時折り行き交う乗用車やトラックとの交差に神経をすり減らしながら、なんとか「くろくまの滝駐車場」に着いた。駐車場からは約15分ほど山道を上がると滝が見えるところに着いた。特に展望台のような設備もないところだったが、沢の水が落差85mを滑り落ちる様は豪快だった。

   

   ※ 白神ラインの道幅を表す一枚です。    

   

   ※ 白神ラインの道端にくろくまの滝に向かう小さな看板がありました。

   

   ※ 落差85mの「くろくまの滝」です。

                                                                                              

ブナ巨木ふれあいの径

   

   ※ ブナ巨木ふれあいの径マップです。

 先の散策コース7つの中には入っていなかったが、ビジターセンターで紹介され、白神山地最後の日(10月22日)に訪れた。ここも発着点は津軽峠である。つまり私は津軽ラインのジャリ道を二日も運転したのだった。

 コースは津軽峠から片道2キロ、高低差100mのトレッキングだった。ふれあいの径に入るとなるほど先の「ブナ林散策道」とは違い、大きなブナの木があちこちに目に付いた。ちなみに「巨木とは胸高直径が1m以上の樹木を指す」ということだ。樹齢が300年にも達する巨木を何本も目前にすることができ、この旅の最後を飾るに相応しい満足感を得ることができたトレッキングだった。

 それよりお笑い種は、ふれあいの径の途中でたくさんの栗の実が落ちているのを目にした時だった。北海道人にとって栗の実は珍しい。私は巨木の観察も忘れて栗拾いに夢中になった。おそらく100個以上拾ったのではないだろうか?私は大切に家に持ち帰った。ところが、調べたところ野生の栗の実は虫に食われているものが多いという。なるほど子細に見てみると虫に食われているものもかなり見つかった。それ以外の栗の実を軽く湯がいて現在冷蔵庫に保存している。約4週間ほど冷蔵保存することで糖度が4倍くらいに増すらしい。4週間後に栗ご飯を楽しみたいと思っている。

                                                        

    ※ こうした巨木が何本も見られました。(資料によると約30本とか)

   

        

   

    ※ 一方で生まれたばかり(10年程度?)の若木が巨木の傍から育っていました。

         

    

    ※ こちらもに命尽き横たわっていたブナの老木が目に入りました。

 以上、短い時間の中でより多く白神山地の魅力に触れようと巡り回ってきた。しかし、私が触れたのは白神山地の魅力のほんの一端なのだと思う。じっくりと落ち着いてみればまだまだたくさんの魅力が隠されているはずである。特に自然遺産の場合はそうした傾向が強いのではないだろうか?しかし、私のように遠くに住んでいる者にとってはかなわぬ夢であることも事実だ。今回の旅は限られた条件の中でベストを尽くすことができた、ということで私は私自身に及第点を与えたいと思っている。

                                                              

 

 


白神山地の旅 回想編③ 白神岳登山

2020-10-27 17:16:02 | 道外の旅

 白神山地の盟主とも称される白神岳は標高1,235m、日本二百名山にも選定されている白神山地を代表する山である。私もその名から今回の白神山地を巡る旅で迷うことなくスケジュールに組み込んだ山だった。しかし、白神岳は甘くはなかった。体力に劣る私を容赦なく痛めつけた…。

 私のブログのコアな読者の一人である息子から「登山のブログを書くとき、苦しかった、辛かったという表現はしないでほしい」ときつく厳命されているのだが、ついつい本音を吐露してきた経緯がある。息子の言いたいことは理解できる。ブログを読む方の身になってみれば、読んでいて苦しいとか、つらいと言われて楽しいはずはないからである。今回レポでも気を付けたいと思っているが…。

   

   ※ 偵察に訪れた前日の日曜日の登山口駐車場はこの盛況でした。

    

   ※ 登山口駐車場にある休憩舎兼トイレの建物です。  

 今回の旅の中で「白神岳登山」が旅のハイライトと考えていた私は天気予報を睨みながら慎重に予定を立てた。当初は西目屋村側から入り、「暗門の滝」や「黒熊の滝」、「ブナの林」などのトレッキングをした後、日本海側に回り「十二湖巡り」や「白神岳登山」を考え、フェリーやホテルの予約をした。しかし、旅が近づくにつれ旅の日程の前半の方が好天が続きそうだと判明した。そこで予約したフェリーやホテルの日程を変えることなく、日本海側を先に訪れ、その後西目屋村側に回る日程に変更した。結論を先に言えば、この変更は功を奏した結果となった。

   

   ※ 白神岳登山口です。

 7月20日(月)、あまり眠れぬ夜を過ごした十二湖海浜公園の駐車場から5時半過ぎ白神岳登山口の駐車場を目ざした。駐車場にはすでに2台の車が駐車していた。そして登山の準備をし、ちょうど午前6時まだ空が明けきらぬ中、登山を開始した。

   

   ※ 最初のチェックポイント「二股分岐」です。

 白神岳にはチェックポイントが大きく4か所ある。その4ヵ所とは「二股分岐」、「最後の水場」、「マテ山分岐」、「大峰分岐」の4ヵ所である。

   

   ※ 山の下部はまだまだ木々は色付いていませんでした。

「二股分岐」まではいわば助走区間といった感じで登山口からおよそ1時間かかって通過した。鬱蒼としたブナの森が広がっていたが、この辺りでは紅葉(黄葉)の時期はまだ先のようだった。二股分岐を過ぎると徐々に登山路もところどころ険しさを増してきた。それでも休むことなくおよそ50分で「最後の水場」に到達した。この時点で私はすでにかなりの疲れを感じていた。そこで最後の水場のところが大休止(約15分間)を取ることにした。案内ではここから急登が続くとなっていた。

   

   ※ 「最後の水場」です。

 最後の水場からは案内どおりにかなりの急登が続いた。途中で女性3人組に遭遇した。「早くも下山?」と思って話を聞いてみると前日に登って、避難小屋で一泊して下山中とのことだった。(さらに男性の二人組にも出会ったが、彼らも避難小屋一泊組だった)彼女たちは私の疲れ具合を見て取ったのだろうか?「この区間が最も険しいところです。頑張ってください」と激励された。

   

   ※ 写真では分かりませんが、かなりの急登が続きました。

 急登との格闘を続けること約1時間、ようやく急登を登り終え尾根状のところに出た。そこが「マテ山分岐」だった。   

 しかしここからが長い。次のチェックポイントの「大峰分岐」までは標準時間で2時間を要するという。尾根とはいってもアップダウンの続く険しい登山路だった。この辺りから私の体力は限界に近付きつつあったようだ。私が急激に疲れを感じ、さらには眩暈まいを覚えた。眩暈などこれまで感じたことがなかったので不安になり、体を休めた。しばらく休み行動を開始すると、また眩暈が襲ってくる。そうしたことを3度くらい繰り返しただろうか?私はすっかり弱気になった。加えて辺りは霧に覆われ、好天が見込めそうもない。「止めようか」という考えが頭をもたげ始めた。そう思い足を止めていた時だった。旅日記でも記したように私と同年代の救世主が現れた。旅日記では「ホワイトナイトの出現!」と記したが、調べてみるとホワイトナイトとは株式取引の際に現れる救世主のことらしい。ここでは素直に救世主(これもキリスト用語?)と改めることにする。

   

   ※ 中腹以降になると、木々は徐々に色付いてきました。

 救世主は弱っている私を見て「ゆっくり私たちと一緒に山頂を目指しましょう!」と誘いの言葉をかけてくれた。私は彼の後について登ることにした。彼の登り方はけっして急がずゆっくりゆっくり歩を進めるものだった。それでいてイーブンペースを崩さず、というおそらく老年登山の極意なのだろう。彼は二人組で登っていたのだが、ずーっと後に続く男性に話しかけながらの登山だった。私はその話に耳を傾けることで苦しさから逃れ、彼らに付いていくことができた。

    

   ※ 尾根道です。周りはまだ霧に包まれていました。 

 標高1,000mくらいまで登ったときだったろうか、視界が開けてきた。すると先ほどまでの霧が晴れ、遠くまで見渡せるようになっていた。天気予報は外れていたわけではなかった。眺望が開けてきたこともあり、気持ちも晴れてきて、苦しさはあるもののマテ山分岐から2時間数十分かかって「大峰分岐」に到達した。ここまで来ると山頂までは標準時間で約20分。山頂直下の「避難小屋」も視界に入ってきた。もう大丈夫!気持ちも晴れやかになり、一気に白神岳山頂に立つことができた。

   

   ※ 1,000m付近の眺望が効いたところです。紅葉も霧に包まれています。

   

   ※ 眼下には日本海も望めました。

 山頂は風もなく穏やかな気温で気持ち良く、視界も全方向を見渡せる最高のコンディションで、周りの山々は紅葉(黄葉)に包まれ、見事なグラデーションを呈していた。 

   

   ※ 山頂直下の避難小屋です。なかなか立派でした。

   

   ※ 山頂から見た紅葉です。

   

   ※ 私をリードしてくれた二人組です。特に左の男性がリードしてくれました。

   

   ※ 山頂に立つ私です。

 下山の様子については省略することにする。下山も先の救世主二人組に同行し、彼らの好リードもあり無事に午後3時30分、登山口駐車場に帰り着いた。

 そんな救世主が教えてくれた名言がある。それは「ちりも積もればチョモランマ」という言葉である。老年登山の極意を言い表した言葉である。

 登山時間5時間15分。下山時間4時間15分。今の私の体力には荷が勝ち過ぎた登山だったかもしれない。しかし、今回の旅「白神山地の秋を味わい尽くす旅」には欠かせないピースだったことも間違いない。曲がりなりにも目的を達成できたことに大きな安堵感を覚えている。

 この日(10月20日)のデータ

 ◇距離 22.1キロ ◇上がった階段 73階 ◇歩数 30,529歩


白神山地の旅 回想編② 十二湖散策 & 日本キャニオン

2020-10-26 17:07:16 | 道外の旅

 白神山地の西側に位置する「十二湖」は実際には三十三の沼が存在するが名称は「十二湖」である。その命名の由来は諸説あるらしいが、私はそのうち二十の沼を訪れることができた。一方、日本キャニオンの方は旅日記でも触れたが、緑一色の光景の中に突如あられわれた白い針峰が連続する様は素晴らしかったがネーミングに一工夫ほしいと思った。

 三十三の沼がありながら「十二湖」と命名されたことについて、「十二湖ビジターセンター」のスタッフに伺ったところ、諸説あるらしいが最も有力に説として「宝永元年(1704年)にこの地を襲った大地震によって沢がせき止められ、地盤が陥没してそこに水が溜まりたくさんの沼が形成されたが、その際崩れた山の中腹(現在大崩と呼ばれている)から眺めたときに大きな沼が十二見えたことから命名されたという説が有力です」とのことだった。その際に小さな沼は森の中に隠れて見えなかったということだ。

   

 ※ 十二湖散策の出発点とした「十二湖ビジターセンター」です。ここでマップを入手した。

 私はこの日(10月18日)、「十二湖ビジターセンター」で入手した「十二湖散策マップ」を参考にして、ビジターセンターを出発点にして数種ある散策コースの中からできるだけ多くの沼を訪れるコースを選択してトレッキングに出発した。

   

   ※ 「王池東湖」です。

 ビジターセンターに至るまで車を停め①「王池東湖」、②「王池西湖」、③「越口の池」(ビジターセンターの脇にある)を写真に収めた。ここからはトレッキングで車道を歩き④「中の池」、⑤「落口の池」、⑥「がま池」、⑦「鶏頭場の池」を訪れた。続いては澄み渡る美しいブルー色の水面が広がっていることから十二湖の中でも最も有名な⑧「青池」に至った。青池の手前には駐車場(有料)があり、そこからは簡易舗装もされていることから多くの観光客が訪れていた。私が訪れた時は晴れてはいたのだが、池を囲む木々の葉が太陽光を遮っていたためか、思ったほど鮮やかさには欠けるかなぁ、というのが率直な印象だった。ここまでは主として車道脇に池が広がっていることから、多くの人が目にする池である。

   

   ※ ビジターセンターの横にあった「越口の池」です。

   

   ※ 水たまりと見紛う「がま池」です。

   

   ※ ここが有名な「青池」です。

 しかし、青池を過ぎると俄然登山モードの山道となる。前後には誰一人として歩いている者はいない。そんな山奥深くにあったのが⑨「四五郎の池」である。しかし、この「四五郎の池」には水が溜まっていなかった。融雪期とか大雨のときだけ現れる池なのだろうか?続いて現れた⑩「長池」は文字通り川のように長い池だった。次々と池が現れる。⑪「子宝の池」、⑫「埋釜の池」、⑬「石穀の池」と続く。これらの池はいずれも散策道の脇に現れたが、次の⑭「道芝の池」、⑮「小夜の池」は散策道を外れたところに存在した。特に「小夜の池」はいつになったら池が現れるのか山坂を上り下りした末にようやく到達したが、この「小夜の池」は私の目には「青池」以上に鮮やかなブルー色に映った。

   

   ※ 青池を過ぎると道幅も狭く、上り下りがあり登山モードです。

   

   ※ 水が枯れてしまった「四五郎の池」です。

   

   ※ 細長い形をした「長池」です。

   

   ※ 苦労の末に辿り着いた「小夜の池」はきれいな群青色でした。

 その後も池は次々と現われた。⑯「八光の池」、⑰「日暮の池」、⑱「仲道の池」、この頃になると車道が近くなってきたせいか、トレッカーの方々とすれ違うことが多くなった。スタート地点の「十二湖ビジターセンター」に近くなったところには⑲「沸壺の池」があったが、この池の水の青さも印象的だった。

   

   ※ 特に説明はなかったが、間違いなくブナの巨木です。

   

   ※ 最も素晴らしい水の色に見えた「沸壺の池」です。

「沸壺の池」から車道に出ると、途中に「十二湖庵(茶屋)」があった。ここは訪れた人に無償で抹茶を提供していた。(協力金という名の募金を募っていたが)私も赤い緋毛氈に座り抹茶を一杯いただいた。(募金の方も心ばかり協力した)

   

   ※ トレッキング途中にあった「十二湖庵(茶屋)」です。

   

   ※ お茶うけまで用意された抹茶が提供されました。

 そこからビジターセンターに戻り、車をピックアップして「日本キャニオン」に向かった。日本キャニオンの入り口となる駐車場のところに私にとって最後となった⑳「八景の池」が広がっていた。

 結局、私は三十三の池があるうち、二十の池を目にすることができた。その印象としては確かに次々と現われる池の表情がそれぞれ違っていて興味深かった。しかし、「池」と称するようにその規模は総じて小さなものが多かったように感じた。唯一「湖」の名称を冠した「王池東湖・西湖」は確かに他の池よりは規模が大きく「湖」と称していることも分かるような気がした。心残りはできれば三十三の池を全て巡ってみたかったことだ。ビジターセンターには三十三の沼全てを訪れるマップが存在していなかったこともあり断念せざるを得なかった。

 次に「日本キャニオン」である。駐車場からは約15分ほど坂を上ったところに「日本キャニオン展望所」があった。深い森の中に突然現れた凝灰岩の白い岩肌は確かに奇観である。坂道を上ってきた誰もがその光景を見た時に「わー、きれい」と歓声を上げていたが、その気持ちは分かる気がした。しかし、旅日記でも触れたが奇観は奇観であるが、本物のグランドキャニオンと比較するとその規模があまりにも小さい。せめて視界に入る全てが白い岩肌というのであれば…。もう少し工夫を凝らしたネーミングにすべきでは、と考えるのは私だけだろうか?

   

   ※ 駐車場から急斜面を上って「日本キャニオン」に向かいます。

   

   ※ 日本キャニオンの二景です。

   

 「十二湖」と「日本キャニオン」……、それぞれの体力に応じて楽しみ方はいろいろ広がっている、という意味では多くの人たちを呼び込むことのできる観光地的要素を備えた地域だった。                                  


白神山地の旅 回想編① 世界自然遺産「白神山地」とは?

2020-10-25 16:42:19 | 道外の旅

 家に帰り着いた安堵感に体中が疲労感に包まれている。と同時に旅を満喫できた充足感が私を満たしている。本日から数日に分けて今回の白神山地の旅を振り返ってみたい。

   

   ※ 「ブナ巨木のふれあいの径」で出会った大きく枝を広げるブナの巨木です。

 「白神山地」は我が国で指定されている世界自然遺産4ヵ所の中で、屋久島と共に最も早く(1993年12月)に指定されている。私は幸いなことにこれで4ヵ所全てを訪れることができたが、今回旅しての正直な感想として4ヵ所の中では観光的な観点では最も地味な地域という印象を拭えなかった。そう感じた最大の理由は、一般の観光客にとっては公共交通機関などでは容易に近づけないところが多かった点である。つまり「白神山地」を訪れる多くの人はトレッキング仕様で歩いたり、登ったりしなければ「白神山地」の良さを感得することができないと思われた点だった。そうした意味では私の今回の旅のスタイルは正解だったといえると思う。

   

   ※ 「白神岳」の山頂から立ち入ることのではない核心地域を展望したところです。

 また今回改めて知ったことだが、世界自然遺産の場合指定されている核心地域には一般人は立ち入ることができず、私たちが立ち入ることができるのは緩衝地域という周縁部のみなのである。したがって、今回私が訪れた「十二湖」、「白神岳」は日本海側に位置し、「暗門滝」、「くろくまの滝」、「ブナ林散策道」などは核心地域を挟んだ内陸部と大きく離れていた。あるいは核心地域にはさらなる奇観や信じられないほどのブナの巨木が生育しているかもしれない。今回登った「白神岳」は核心地域に最も近づいた地点であることを地元登山者の方から聞くことができた。その方の話では、山頂標識が立てられている所は核心地域との境界線ということもあって、新しい山頂標識を立てることができないのだ、とも言っていた。

   

   ※ 「暗門滝」を目指すためにまるで深山幽谷に立ち入ったような山道です。

 観光的には地味な「白神山地」と前述したが、私にとっては魅力的ポイントに数々接することができた。自ら体を駆使し、辿り着くことができた数々のポイントは私の体に、そして心に深く刻むことができと思っている。次回からそれら個々の様子についてレポしてきたいと思っている。

   

   ※ 十二湖で有名な「青池」より鮮やかに思えた「小夜の池」の群青色の水面です。 


白神山地旅日記⑨ 旅日記最終日

2020-10-24 08:02:17 | 道外の旅

いよいよ今回の白神山地の旅も最終日を迎えました。

現在、青森から函館に向かうフェリー「はやぶさ」の船上です。函館までの3時間半特にすることもないので明日からの「旅を振り返る」シリーズの構想を練りながら、今回の旅をざーっと振り返ってみようと思います。

まず全日程を振り返ってみます。

◇第1日(10月16日) 札幌市から函館市へ移動。夕刻、函館在住のS氏と一献

 青函フェリー駐車場で車中泊

◇第2日(10月17日) 函館市(フェリー)青森市、深浦町へ移動。

 移動途中、五所川原市で「斜陽館」見学 深浦町 十二湖海浜公園駐車場で車中泊

◇第3日(10月18日) 深浦町滞在 

 白神山地「十二湖」トレッキング 十二湖海浜公園駐車場で車中泊

◇第4日(10月19日) 深浦町から弘前市に移動

 白神岳登山  東横イン弘前駅前に宿泊

◇第5日(10月20日) 弘前市から西目屋村に移動

 弘前市内観光(弘前公園、弘前城、弘前りんご公園 他)

◇第6日(10月21日) 西目屋村滞在

 白神山地各所トレッキング(暗門の滝、世界遺産の径ブナ林散策道、くろくまの滝、マザーツリー)       道の駅津軽白神ビーチにしめや車中泊

◇第7日(10月22日)   西目屋村から青森市へ移動

 ブナ巨木ふれあいの径トレッキング、青森三内丸山遺跡見物

 道の駅なみおかアップルヒル車中泊

◇第8日(10月23日) 青森市から十和田湖を経て青森市内へ移動

 十和田湖 奥入瀬渓流をトレッキング、青森市内観光施設を見物(観光物産館アスパム、ねぶたの家ワ・ラッセ、A-FACTRY)  東横イン青森駅前に宿泊

◇第9日(10月24日) 青森市(フェリー)函館市を経て、札幌市に帰着(予定)

 メモリアルシップ八甲田丸見物

以上、全日程をざーっと振り返ってみました。私としてはけっこう内容の濃い9日間だったなぁ、と感じています。旅立つ前に計画したことをおおよそ実行することができたと思っています。併せて奥入瀬渓流トレッキングという当初計画に無かったことも繰り入れことができました。また、マイカーを伴ってのフェリー乗船、本州でのドライブ体験、これまで最長の車中泊とたくさんの初体験もすることができ、現在時点ではかなりの満足度で今回の旅を振り返っています。明日から個々の体験について少し詳しく振り返ってみたいと思っています。

写真は上から順に①弘前りんご公園から見た「岩木山」、②十二湖トレッキングで見た「日本キャニオン」、③十和田湖、④奥入瀬渓流の随一の滝「銚子大滝」の順です。

無事、北海道上陸です。これから札幌を目指します。

 

 

 


白神山地旅日記⑧ 奥入瀬渓流 & 青森市観光

2020-10-23 16:12:05 | 道外の旅

午前、予定には全く入っていなかった十和田湖の奥入瀬渓流をトレッキングしました。というのは、昨日青森市内の観光を考えていたとき、青森市内には私にとって魅力的な観光スポットがあまり見当たらなかったのです。そうした中で、遠回りにはなるけど奥入瀬渓流を歩いてみようという考えが浮上しました。十和田湖までの山道はまたまた細く、曲がりくねった道路でしたが、峠を越えるあたりの紅葉は見事でした。写真に収めたかったのですが、道路が細く停まるところを見つけられず、私の目に焼き付けることで納得しました。

奥入瀬渓流は渓流が始まる「子ノ口」から5キロほど下流までトレッキングをしました。小雨模様でしたが、所々で顔を出す滝や奥入瀬渓流独特の流れを楽しんだトレッキングでした。

十和田湖から八甲田山、酸ヶ湯を通過して青森市に入りました。青森市では当初計画していた「観光物産館アスパム」、「ねぶたの家 ワ・ラッセ」、りんごのシールド工房 A-FACTRY」、「メモリアルシップ 八甲田丸」などを見て回りましたが、私の興味を惹くものではありませんでした。予想はしていましたが、これら四つの施設は歩いて回ることができる範囲内にあるのは観光客にとってはありがたい配置のようです。

さて、私のスケジュールは残り、青森からフェリーで函館に渡り、一路札幌を目指すだけです。今夜はゆっくり休んで明日の英気を養うつもりです。

 

写真の建物は観光物産館アスパムです。頂点は展望台になっているそうです。


白神山地旅日記⑦ ブナ巨木ふれあいの径 & 三内丸山遺跡

2020-10-22 16:04:19 | 道外の旅

白神山地の旅7日目にして初めて雨にたたられました。しかし、小雨程度でトレッキングの支障にはなりませんでした。もし、晴れていたら密かに「岩木山」登山を考えていました。登山とはいっても、実は有料道路が8合目までできているので、私でもなんとかなるのでは?と考えていました。しかし、それも雨が降っていては断念せざるを得ませんでした。

ということで、本日もじゃり道のワインディングロードを走って、津軽峠まで登り、そこから伸びている「ブナ巨木ふれあいの径」往復4キロの山道を歩いてきました。樹齢200年から300年の巨木がいたるところに屹立している様はなかなか迫力がありました。これで、私の「白神山地の秋を味わい尽くす旅」には終止符を打つことにしました。

そこで午後から訪れたのが、青森市の郊外にある「三内丸山遺跡」でした。「三内丸山遺跡」は世界遺産登録を目指す「北海道・北東北縄文遺跡群」の中核的遺跡です。訪れてみて、その規模、整備の素晴らしさは想像以上でした。紹介映像を見、ボランティアガイドの説明をいただきながら、約2時間にわたって見学させてもらいました。

明日は一日、青森市内の観光に充てたいと思っています。