定山渓自然の村 ⇒ 豊平峡ダム
定山渓自然の村を後にした私はいよいよ豊平峡の奥深くに踏み入った。V字峡の谷はいよいよ深く、はるか下方に眺めるだけだった。そしていよいよ豊平峡ダムに近づいた…。
「定山渓自然の村」はかなり大きな敷地に広がっていた。敷地の外側を歩いたのだが、次々といろいろな施設が散在しているようだった。
※ 定山渓自然の村には、こうした施設がいたるとこに建てられていました。
一つ私が肝心なことをレポートしていないことに気付いた。私が豊平川沿いを歩いたのは、ずーっと右岸を歩いていたのである。つまり、私は絶えず右手に豊平渓谷を見ながら歩いていたのだ。(豊平川全体で見ると、河口からずっと私は左岸を歩いた上流を目ざしていたが、河岸の状況から藤野の白川橋あたりから右岸の切り替えている)
したがって、私は豊平川を絶えず右手に見ながら歩いたということである。
※ 自然の村近くの右手に見えた豊平川の流れです。もう川と認めるのが難しくなっていますね。
自然の村を後にしてどれくらい経ったころだったろうか?左手から豊平川に流れ込む谷が現れ前進を阻まれた。しかたなく、左手上方に上がり谷を乗り越えるポイントを探そうと思った。
上の方へ上がっていくと、そこに雪は被っているけれど道路状のところが現れた。半信半疑にそこを進むうちに「ここは豊平峡ダムの建設の際の作業道路ではなかったのか!」との思いに至った。
実際、その道路状の平らな部分はその後も続いた。
しかし、豊平峡谷も奥深く踏み入ったこともあって、積雪が一段と多くなっていた。私のスノーシューは踏み出すごとに私の膝頭近くまで埋めるようになった。
困難なラッセルに私の前進は20歩と続かず、休み休みの前進となった。
そんな前進を続けているときだった。何かがピカッと光った。一瞬たじろいだが、落ち着いて見ると、それはクマなどが通過したときに自動記録する観察装置のようだった。おそらく研究用のものと思われるが、私はクマと間違えられたのだろうか?
※ ヒグマの観察装置かと思われる自動の撮影装置が私を捉えてピカッと光りました。
私が歩いていた作業用道路(?)は現在使われていないのだろう。途中に倒木が往く手を遮っているところが何ヵ所かあった。しかし、それも私の前進を阻めるほどのものではなかった。最終盤に現れた倒木とは違って…。
※ こうした倒木がいたるところで私の前進を困難としました。それでもこれは後半のに比べれば…。
困難なラッセルを続けること1時間20分。周囲に相応しくない表示板が現れた。そのには「定山渓自然の村」と「ダムサイト園地」への案内板だった。私の読みどおり、作業用に利用された道路が遊歩道のような役割をしているようだった。(ただし、現在は崩落などの危険もあり通行禁止の措置がとられているとか…)
※ 私はここから右手の谷に降りて行ったのですが…。案内板から雪の深さを想像してください。
ここで私は一瞬迷った。というのも案内板どおりに進むと、豊平峡ダムの上部にでることになる。しかし、私が目的としたところはダムの下部から見上げてみたいとものだった。その案内板のところから下のほうへ行けそうなところが見えたのだ。
一瞬迷ったが、ダムを目前にして最終目的地を変えるわけにはいかない。私は旧遊歩道を外れ、ダム下部を目ざしてラッセルを続けた。
※ 林間から微かに豊平峡ダムの本体が見えます。私が最初に認めることができたものです。
木の間からダムの姿も確認できるようになってきた。大きな躯体である。私の目線のはるか上にダムの上部が見える。
分岐点から30分も進んだろうか。前にトンネル状の物が見えた。トンネル状の物の横は切り立った崖である。ところがトンネルとなっているところには柵が巡らされており、「この先へ行くことは禁ずる」という旨の表示があった。
管理者の指示を無視するほどの“若さ”も“無謀さ”も持ち合わせてはいなかった。残念ながら指示には従わざるを得ない。私は来たところを分岐点まで引き返した。
※ 左手にトンネルの穴、右手は絶壁です。そしてトンネルの穴の中には…。
※ トンネルの穴の中には柵があって、そこには無情な注意書きが…。
※ その地点から谷あいを流れる豊平川の最後の流れの様子です。
ダムの最も下部から見上げたいという思いは叶わなかったのだから、あとはダム園地を目ざして旧遊歩道のラッセルを続けるだけだった。ところがこれが…。
ダム園地を目ざしてのラッセルは、困難を極めた。上りに加えて、ますます深くなった雪、疲労した私の身体のために2~3歩進んでは一呼吸入れるほどにスピード落ちた。幸い時計はまだ13時30分を回ったあたりで時間的な焦りがなかった。
※ 旧遊歩道に戻り、この日最も豊平峡ダムが見えた地点からの一枚です。
そしてこの日最大のピンチが訪れた!
なあ~んと、遊歩道を覆い尽くすように大木が倒れていたのだ。おそらくエゾ松ではと思われるのだが、枝が密生していて潜り抜けることはできそうもなかった。そして迂回しようにも左手は崖が切り立ち、右手は鋭く崖が切り落ちている。
高さ3メートルになろうかという倒木を乗り越えるしかない。しかし、私の見方では雪を被って大きく見えるが、それらのほとんどは松の枝と思われた。そんなところで足を踏み外したら…、そう思うと足が震えた。
おそる、おそる…。手足を使い、慎重に、慎重に…。時間も相当にかかったのではないか。なんとかクリアすることができた。
※ 痛恨のミスです。どれだけ困難な倒木だったか、写真に収めるのを忘れました。どう乗り越えるか、そのことだけで必死だったのですね。
※ 旧遊歩道の途中にあったトンネルですが、ここももちろん通過しました。
その後も深雪ラッセルは続いた。谷を大きく迂回するような旧遊歩道はなかなか前に進んでくれない。
分岐のところからラッセルすること50分、14時20分に旧遊歩道が繋がる冷水トンネルの入口に着いた。
そこからダムの上部のところまでは500m程度だったが、私にはもう目的を達成したとの思いがあったので、そこからダムへは向かわず、スノーシューを脱いだ。
そこからは約6キロの道路を、車を駐車した定山渓の駐車帯まで歩いて引き返したのだった。駐車場に着いたとき、時計は15時35分を指していた。
※ 冷水トンネルの袂、今日のスノーシートレッキングを終了しました。
※ かなり長く追われた冷水トンネル内です。
こうして私の長い長い「冬の豊平川河畔を遡る」旅は終結を迎えたのだが、特に今年に入って取り組んだ定山渓大橋から豊平峡ダムに至るルートは私の想像をはるかに超える困難なものとなった。№18に「私は豊平川峡谷を甘く見ていたようだ」と記したが、まさにその通りだった。
私のスノーシューに取り組む趣旨はもっともっと楽しいもの、と考えている。ただ、今回は一度取り組み始めたものを途中で投げ出したくはない、という思いが私は最終ゴール地点まで導いてくれた。
※ ウェブ上から拝借した写真です。私はこの角度から豊平峡ダムを見たいと思ったのですが…。
今回の豊平川遡行を、私は「冬の石狩川河岸を遡る」ためのトレーニングと位置づけていたが、トレーニングどころではなかった。石狩川よりはるかに難しく、過酷だった。石狩川はこれまでの経験から、豊平川のように難しくはないと思っている。問題は距離だけである。 体力をつけるということに関して今回は多少のトレーニングにはなったかな、と思っている。
さて、石狩川を何時にしょうか?思案中である。1月中は雪面が柔らかすぎて、スノーシューが埋まるため難しいかな?と考えているのだが…。
※ 同じくウェブ上の写真ですが、私は写真の右手に見える岩盤のところあたりまで辿り着いたと思われます。
新豊橋 ⇒ 定山渓自然の村
雪原にスノーシューを踏みだした私だったが、豊平川の上流は私の想像を超える険しさだった。奥に踏み入るごとに、そのV字谷は深く切れ込み、川辺へ近づこうとする私をせせら笑うかのように遠ざけるのだった…。
前回(1月5日)の遅出を反省した私は、今回7時30分に自宅を出発した。およそ1時間かかり定山渓市街地の外れ(中山峠側)の駐車帯に着いた。
準備、用便を済ませ、スノーシューを着けずに「新豊橋」脇まで移動し、そこでスノーシューを着けて8時55分、雪原に踏み出した。2日前に来たときのスノーシューの跡がわずかに認められるが、その後も雪が降り続いていたことを示していた。
スノーシューを踏みだすと、軽く30cmくらいは埋まりながら進まねばならなかった。
※ 定山渓市街地の西はずれにある駐車帯です。トイレ、休憩室完備です。
※ 遠くに「新豊橋」の表示が見えます。手前に私が2日前に歩いたスノーシューの跡が薄く見えます。
新豊橋の辺りは川辺に近づくことができないため、崖になった上部を移動していった。スタートから15分後、豊平川にかかる橋が見えた。この橋は地図上でも確認できる橋で、たまたま近くに住民がいたので、橋の名を聞くと「豊橋」だと教えてくれた。
ということは橋としては小さくとも「新豊橋」の兄貴分ということなのだろうか?
※ トレッキングの始まりに、こんな斜面を転げ落ちる洗礼を受けました。
※ 「新豊橋」からそう遠く離れていないところに「豊橋」がありました。
「豊橋」を超えてしばらくは豊平川へ鋭く切れ込んだ崖の上を歩いた。しかし、私は川辺を歩くことを今回のコンセプトとしている。どこか川辺に下りるところはないかと探しながらのスノーシュートレッキングが続いた。
すると、一ヵ所だけ川辺へ通じるような下り口が現れた。私は迷わずそちらへ歩を進めた。
川辺に下りた私に姿を見せた豊平川は静かに佇んでいるようだった。上流に来たという証しだろうか?川中に大きな石がゴロンゴロンと転がっていて、そこに雪が積もっている。
そんな静かな豊平川沿いを上流に向けて歩を進めたが、間もなく私の前進を阻むように水面が現れた。状況を良く観察してみると、どうやら小さな流れが豊平川に注いでいて、そこを乗り越えていくのは危険だと感じられた。
私は地図上で確認したときは、一ヵ所だけ豊平川に注ぐ流れがあるので、そこは迂回しなければと思っていたが、どうやら豊平川にはそれ以外にも小さな流れはいくつも存在しているようだった。
※ 川辺まで下りると、写真のような素晴らしい光景が広がっていました。
※ でも少し進むと、このようにどこに落とし穴があるか分からない危険な状況になってきました。
前進を阻まれた私は崖の上部に避難しなければならない。しかし、崖が急なため避難できそうなところが簡単には見つからないのだ。あちこちと探すうちに一ヵ所だけ何とかなりそうなところを見つけた。しかし、雪が深いためにストックの助けだけではずり落ちてしまい、もんどりうって雪の中に転がった。
窮地を脱してくれたのは、崖のような斜面にもけなげに生えている小さな木だった。私は小枝にもたれかかりながら、一歩一歩上がり続けた。高低差20mもあったろうか、私はようやくのことで崖上に出ることができた。
※ この斜面は私が上った斜面かどうか記憶がはっきりしないのですが同じような斜面をよじ登りました。
崖の上に出ることができた私は、「もうこんな苦労はしたくない」と思いながら、崖上から豊平川が望められるところを歩き続けた。途中、2ヵ所ほど豊平川に向って谷が大きく切れ込んでいるところがあり、そこは橋の架かっている道路まで迂回した。
※ 崖上に出た私のスノーシュートレッキングで進んだ跡です。
そうしたことを続けているうちに、先ほどの苦労を忘れたかのように「やはり川辺に出たい」という思いが私の中に芽生えてきた。
すると、またまた一ヵ所、川辺に下りられそうなところが目に入った。どうしようかな?と思いつつ、足はそちらを向いていた。
再び川辺まで下りることができた。しかし、今度は慎重に川辺から付かず離れずの距離をとりながら前へ進んだ。だからといって自然は許してはくれない。とうとうまた私は前進を阻まれた。
さあ、今度はどうしよう?と思案をしていたところ、崖の上から水が流れて雪が薄くなっているところがあった。足元が水に濡れる心配があったが、ひっかかりがあるので何とかなるのではと考えのだ。その読みは正解だった。実はその部分は何の動物か分からないが動物たちもその斜面を上っているようだった。
私は獣道を辿りながら、再度窮地を脱したのだった。
その際に気付いたのだが、その獣道を辿ったときに強烈な獣臭が漂っていたのだ。彼らは雪の上にも自らの臭いを残しながら移動するのだろうか?
※ 崖上の所々にこうしたテープがぶら下がっていました。遠くからはテープの先に何か説明が書か
れてあるものと、期待したのですが単にテープに雪が纏わり付いただけののでした。
二度の窮地に私は懲りた。それからはもう二度と川辺に下りようとは思わなかった。川は上流になるに従い、V字峡谷の様相をますます示し始めていたのだった。その深さは、私の恐怖心も加わってはいるが30~50mくらいはあったのではないか?
※ 崖上から豊平川の流れを覗いたところです。
私は深雪のラッセル、そして二度の崖登りの格闘でかなり疲労をおぼえるようになっていた。進むスピードががくんと落ちた。スピードは落ちても、この日は早い時間にスタートしたので、時間は気にならなかった。
崖の上の切り落ちているところには何の動物かは判然としないが、足跡がずーっと続いていて、私もその跡を辿るように歩を前へ進めた。
※ この跡は私のスノーシューの跡ではありせん。動物が通った跡です。(何でしょうね?)
すると、遠くから人の声が聞こえてきた。
行く先にある「定山渓自然の村」で学習している子どもたちの声だった。
※ 雪原の中に突如現れた自然の村の宿泊施設です。煙突からは煙が出ていた?
どうやら私はこの日の行程の中間地点となる「定山渓自然の村」の端の地点に到達したようだった。
時計を見ると11時40分、私は昼食休憩をとることにした。昼食と云っても立ったまま、ミニのカップラーメンに熱湯(ステンレスボトルにタオルを巻きつけ保温したもの)を注いだものである。
ここで私は温かいカップラーメンを頬張り、午後の行動に備えたのだった。
(後半の様子は明日レポートします)
新豊橋 ⇒ 豊平峡ダム
妻は年寄りのプチ冒険と揶揄するが、私にはマジ冒険だった。崖をよじ登り、雪に隠れた小川を飛び越え、おまけに深雪である。心底疲労困憊である。私は豊平川峡谷を甘く見ていたようだ…。
※ 豊平川から豊平峡ダム(右側)に最も近づいた一枚です。左側トンネルに「この先には行けません」という掲示があった。
「鉄は熱いうちに打て」という例えが、私のスノーシューに当てはまるがどうか分からないが、「ゴールが直ぐ近く」という思いが、一昨日に続いて定山渓に向かわせた。
直線距離にして約3キロ、「まあ、なんとかなるだろう」という私の甘い考えはもろくも打ち砕かれた。
豊平峡ダムからの帰路も含めて、雪と格闘すること6時間50分。なんとか目的の豊平峡ダムの下には着くことができたけど、私は身も心も疲労困憊である。
とても詳しいレポートを綴る気力が起きない。
本日はこれで失礼して、明日・明後日に詳しくレポートすることにする。
二見吊橋 ⇒ 新豊橋
豊平川上流のイレギュラーな河岸は私をスムーズには前へ進めてくれなかった。スノーシューの醍醐味を味わえるのはほんの少しだけで、さまざまな難関が私を待ち構えていた。それでもなんとかこの日の目標地点までは到達することができた。
「二見吊橋」を渡ることができず、「月見橋」まで戻った私は、結局川沿いを歩く道を閉ざされ、国道230号線に出ざるを得なかった。
国道の歩道を、スノーシューを片手に歩く姿はお世辞にも格好良いとはいえなかったが仕方がない。
私は昨年末に下見で確認していた、定山渓温泉の最奥部にかかる「いこい橋」を目ざした。定山渓小学校を通り過ぎたところに「いこい橋」に下るルートがあるのだが、踏み跡は皆無だったが下見をしていたおかげで無事に「いこい橋」に到達することができた。
※ すっぽりと雪に覆われた中に「いこい橋」はありました。
「いこい橋」から上流にはホテルや民家などはなく、いわば自然のままの豊平川が流れている。川沿いには歩くルートが見つけられず、いわゆる崖の上の部分を歩かねばならなかった。灌木の間を縫うように歩くスノーシューは昨年、一昨年の石狩川沿いを歩く気分だった。とは言っても、平坦ではなく絶えず上り下りを強いられた。
13時を過ぎていたので樹間で立ったまま菓子パンを温かい紅茶で流し込んだ。
※ 「いこい橋」の上流はこのような灌木の間を縫って進みました。
※ 灌木の間から見えた豊平川です。水面は凍っていました。
※ 灌木の中にはこのような歓迎(?)アーチ風のところもあり、和ませてくれました。
途中で一ヵ所だけ川岸に下りられるところがあった。川岸まで下りてみると、流れの緩やかなところでは川の水が凍り、流れの速いところは凍らずに水の流れを見せていた。
その流れの中で、雪の季節ならではの面白い光景に出会った。
しばらく川沿いを進んだが、やがて川沿いを進むルートは崖で遮られ、崖上に出なければならなかった。
※ 川岸まで下りられたところですが、豊平川は手前から左側に直角に折れ曲がっていました。
※ この不思議な光景は雪の季節ならではの光景です。ちょっと幻想的ですよね。
※ この写真がこの日のベストショットではと思うのですが、どうでしょうか?
※ ここから先は川岸を進めず、止むなく崖上に上がらざるを得ませんでした。
※ 崖上へ上がろうとしてルートを探しているとき、獣たちの崖上へ上がるルートを見つけ、そこを辿りました。
そこで目にしたのは網状の塀に囲まれた北海道電力の施設だった。何の施設なのか判別はつかなかったが、崖を背にして建てられているので、そこを巻いて進むより方法がなかった。さらに進むともう一ヵ所、やはり豊平川沿いの崖上に北電の施設があり、豊平川に近づくことはできなかった。
※ 崖上に無事上がった後の見た豊平川の流れです。
※ 行く先にこのような施設が2ヶ所あり、私はスノーシュー脱いで、道路に上がらざるを得なくなりました。
またしても国道230号線に押し上げられ、私はスノーシューを脱がざるを得ない羽目になった。そこからは国道を歩いて「新豊橋」を目ざした。
その間、およそ500m。豊平川を跨ぐ新豊橋は想像していたより立派なコンクリート橋だった。また、そこに見えた豊平川もかなり上流にいたっているにも関わらず、かなりの大きさの川に映った。
※ 国道に架かる「新豊橋」は想像以上に大きく立派な橋でした。
※ 「新豊橋」の横から上流を見たところです。次回はここがスタート地点となります。
この日(1月5日)は、豊平川の距離にしてわずか 3キロ弱、そこを進むのに4時間弱を要した。この間のルートがいかに困難なルートだったかを物語っているような気がする。
ちなみに、私の歩数計によると、進んだ距離は11.5km、歩数は15,487歩を示していた。この日は他に全く行動していないので、実質距離、歩数に近い数字である。ずいぶん往ったり来たりを繰り返していたことになる。
それでも「冬の石狩川河岸を遡る」ためのトレーニングとしては良いトレーニングとなった。さて、豊平峡ダムまで残りおよそ3キロである。なんとか近いうちに、と思っているのだが…。
定山渓大橋 ⇒ 二見吊橋
本日のタイトルを見て「あれっ?」と訝る向きがあるのではないだろうか?「なんでいきなり16なの?」と…。いやいや、これにはそれほど深くない訳があるのです。ということで、今日(5日)私は定山渓の温泉街を通過するのに四苦八苦したのだった。
まず、№16について説明せねばなるまい。
私は過去、2011~2012年にかけて、豊平川河口から定山渓まで川沿いに遡った経験がある。それで私は豊平川を遡行することは終了と考えていた。その際の投稿は下欄のそれぞれをクリックください。
◇冬の豊平川河畔を遡る 1
◇冬の豊平川河畔を遡る 2
◇冬の豊平川河畔を遡る 3
◇冬の豊平川河畔を遡る 4
◇冬の豊平川河畔を遡る 5
◇冬の豊平川河畔を遡る 6
◇冬の豊平川河畔を遡る 7
◇冬の豊平川河畔を遡る 8
◇冬の豊平川河畔を遡る 9
◇冬の豊平川河畔を遡る 10
◇冬の豊平川河畔を遡る 11
◇冬の豊平川河畔を遡る 12
◇冬の豊平川河畔を遡る 13
◇冬の豊平川河畔を遡る 14
◇冬の豊平川河畔を遡る 15
◇冬の豊平川河畔を遡る エピローグ編
ところが昨年、NHK・TVが「豊平川を遡る」という趣旨の番組を放映したのだが、その時はタレントを河口から豊平峡ダム(定山湖)まで案内していた。そのときは「ふ~ん。そんなものか…」と思っただけだったのだが…。
昨年末、定山渓の奥の迷沢山をスノーシューで攻めようとして敢え無く敗退した帰り道、スノーシューのトレーニングを兼ねて、定山渓から豊平峡ダムまで行くというものいいなぁ、というアイデアが浮かんだ。そしてその帰り道、その可能性を探るため、「定山渓大橋」と定山渓の奥に架かる「いこい橋」を偵察し、なんとかなりそうだという感触を掴んでいたのだ。
そこで、今日は2012年の続編ということで16としたのである。
※ 今回のスタート地点となった「定山渓大橋」とその下に架かる人道橋です。
※ 同じくスタート地点から豊平川上流の温泉街を写したものです。
朝、出遅れてしまったのはまずかった。
スタート地点、つまり2012年のときの終点となった「定山渓大橋」のところに着いたのが10時30分だった。用意を整え、行動を開始したのは10時45分、すでに昼近かった。
定山渓の温泉街は、「定山渓大橋」と「月見吊橋」の間約500mに主なホテルが林立するいわば中心街といってもよい地域である。私はこの間を、ぜひとも川沿いを歩いてみたいと思った。天気は雪が降ったり止んだり、はっきりしない天気だった。
「定山渓大橋」から川沿いに歩こうとすると、ちょっと行っただけで行き止まりになってしまった。ホテルの湯揚げポンプ小屋らしきところ先は崖になっていて進めないのだ。
しかたなく戻って、崖状の上を歩くことにした。しかし、そこも困難が伴った。何せ各ホテルが豊平川を望むギリギリのところに建物を建てているのだ。私は土止めを施してあるところを慎重に横切るように進んだ。
※ 川沿いをあきらめ崖の上に出てから豊平川を望んだところです。
※ この斜面を横切るときはこの日一番緊張した瞬間でした。
※ 写真のように土止めをした個所が何か所もありました。
そこを無事に越えると、再び川岸に導かれた。「今度は川沿いを進めるかもしれない」と思う間もなく、またまた崖と水面に遮られてしまった。残念だったが、私はスノーシューを脱いで、道路に出るより他に選択肢はなかった。
道路に出ると、直ぐに「月見橋」に至る道路に導かれた。「月見橋」の袂には「定山源泉公園」という公園が川沿いに造成されている。私はそこから「月見橋」をくぐり上流へ行けるのでは、と目論みを立てたのだが川沿いに歩けるようなとこは見当たらなかった。
※ 川沿いに出ることができ、間近に真駒内川を見たところです。
※ この箇所から前へ進むことはできませでした。
そこで、以前に定山渓ウォーキングコースとして紹介され、私も実際に歩いた「月見橋」から「二見吊橋」を経由して「いこい橋」に至る森林浴コースを辿ることにした。
かつて知ったる森林浴コースは冬も歩いている人がいるようで、スノーシューは必要なくツボ足で歩くことができた。
ところが!「二見吊橋」のところまで来ると、「橋の補修工事のため、この先通行禁止」となっているではないか!手の施しようがない。私は来た道約500mをとぼとぼと引き返すのだった。
※ 雪の中で目立ちませんが、白いテントに包まれた「二見吊橋」が見えるでしょうか?
※ 無情な掲示が行く先を閉ざされてしまいました。
イレギュラーなこの日のコースに私は一日中苦しめられることになった。
結局、私は「月見橋」まで戻ったのだから、スタートからわずか500m進むのに1時間半くらいかかってしまったことになる。
この後もなかなか手ごわいコースだったが、明日レポートすることにする。
ちょっとした思いつきから始めた冬の豊平川河畔の遡行だったが、思っていたよりははるかに重く、バカバカしい企みだったと云える。しかし、私にとってその企みをやり遂げた今、一人充実感に浸っているのも事実である。重く、バカバカしかった5日間を振り返ってみたい。
冬の運動不足解消のためにクロカンスキーを楽しんでいたのだが、大会などに出場するとつい無理してしまいかえって体に悪いのではと考え、人と競うことのないスノーシューを楽しもうとマイスノーシューを購入した。
それで自由に雪上を歩きたいと考えたが、山野はもし迷ったりしたら大変なことになると考えた。そこで浮上してきたのが河畔を川に沿って歩くというアイデアだった。たいして深く考えることもなく、札幌市内を流れる豊平川を遡行してみようと思い立ち、早速実行に移した私だった。
◇第一日目 豊平川河口 → 豊水大橋 (‘11/02/06)
豊平川河口付近は広々とした河原が広がっていた。
私の企画(私はプロジェクトと称しているが)は快適なスノーシュートレッキングで始まった。しかし、悲しいかな体力に応じたペース配分をまったく考えていなかった。雪上を歩くのに適しているスノーシューとはいえ、一歩一歩雪に埋まりつつ進むのだからそれなりに体力が消耗する。私は午前中に私の持てる体力を使い果たしてしまった。
午後からは広々とした河原ではなく、行く手を阻む背の低い灌木の間を縫って進むようなトレッキングになってしまった。体力を使い果たしてしまった私には難行苦行の午後のトレッキングだった。
家に帰り着いた時には疲労困憊、口をきくのも億劫なほどだった。
※ このプロジェクトのスタート地点の豊平川河口です。向こうの白く凍っている部分が石狩川です。
◇第二日目 豊水大橋 → 五輪大橋 (‘11/02/13)
この日は主に札幌の市街地のトレッキングだった。
河畔は公園化されているので割りあい歩きやすい。そしてこの日のトレッキングは次から次へと現れる豊平川に架かる橋を下から仰ぎ見る形でのトレッキングだった。
数えてみるとこの日だけで20の橋の下をくぐったことになる。
第一日目ほどの疲れは感じなかったものの、条件が良かったこともあっておよそ15~6キロのトレッキングとなり、それなりの疲労感だった。
※ ともかく橋、橋、橋の一日だった。写真は幹線の「南大橋」です。
◇第三日目 五輪大橋 → 白川橋 (‘11/02/17)
このプロジェクトの最大のハイライトがこの日だった。
何せ河原に雪が無くなり、岩肌ゴツゴツのところをスノーシューを脱いで、恐る恐る渡らねばならないところが2か所も現れたのだ。さらには行く手を遮る小川がいたるところに現れて、そこを飛び越えねばならないところも数か所あった。
それはもうスノーシュートレッキングなどというお気楽なものではなく、冒険を試みている気分だった。
「どうしてこんなことを…」と呪っても自分自身で企画したものである。自らの力で自らの企画を完成させるだけである。
※ この年に定山渓まで辿り着きプロジェクトを完成させる予定だったが、体調やスケジュールの関係でためらっているうちに春の到来となり、2年越しのプロジェクトとなってしまった。
※ この日は写真のような崖と川の間をいくつも通らねばなりませんでした。
◇第四日目 白川橋 → 小金湯温泉 (‘12/02/16)
昨年の苦労を思うとなかなか重い腰が上がらなかったが、春の足音が近づきつつあることに焦りを感じてようやく重い腰を上げた。
昨年の三日目のことを思うと、もうとても河原は難しいと考え、この日は豊平川の近くを走る路上を川に沿ってトレッキングすることにした。
したがって、この日は道路と川が交差する橋の上から数か所から豊平川を見るだけとなった。
路上トレッキングはスノーシューよりはるかに楽だったが、やはり物足りなさが残ったのも事実だった。
※ 豊平川を堰き止める最初ダムの「藻岩ダム」です。
◇第五日目 小金湯温泉 → 定山渓大橋 (‘12/02/25)
最後はたとえ困難でもできるだけスノーシューで行こうと決めてスタートした。そうしたところ河原にはもちろん降りられなかったが、豊平川が絶えず見えるポジションでトレッキングすることができた。河岸の雑木林が以外にも人が通るには邪魔にならない生え方だったのだ。
豊平川は上流でもあるにかかわらず水量が豊富だった。その理由は本文でも記したが、二カ所のダムが水を堰き止めていたため人工的につくられた水量だった。
ゴール地点の定山渓大橋付近の川底に岩が目立つ水量の少ない流れが豊平川上流の流れなのだろう。こうして私は私が決めた定山渓大橋の下のゴール地点に立ったのだった。
※ 最後は「定山渓大橋」と私の愛機のスノーシューを一緒の画面で。
で、それがどうだったの?と突っ込まれるかもしれない。
そのことに対して私の答えは「な~んにもないよ」というのがその答えだ。
いい歳をした男が真冬の時期にこんなことを企画すること自体バカバカしいことだと言われそうだ。その上多少の危険も伴いながら…。
そのバカバカしいことを敢えて(?)やってしまった自分にあきれながらも、そのことをやり遂げた自分に多少の自己満足のようなものは感じてはいるのだが…。
一の沢ダム → 定山渓大橋(ゴール)
いよいよスノーシューを脱ぐときがきた。昨年2月6日、石狩川との合流点の豊平川河口から遡行を開始し、合せて5日間を費やした「冬の豊平川河畔を遡る」旅は2月25日、目的の定山渓温泉に辿り着き私のプロジェクトの完成とした。
一の沢ダムのダム部分を見ると、大きなプール状になっていた。
ある知人が定山渓の川でカヌーで遊んだと聞いていた。私の定山渓市街地付近の豊平川のイメージは底が浅くところどころ岩も出ていて、とてもカヌーなど無理ではないかと思っていたが、一の沢ダム付近であればカヌーも十分に可能と思われた。
※ 一の沢ダムに堰き止められてできたプール状の水溜りです。
一の沢ダムを過ぎると住宅も増え始め、川を見ながらのトレッキングが徐々に困難になり始めた。
それでもできるだけ川から離れないように努めながら歩いた。
やがて定山渓の市街地の端に架かる「錦橋」が見えた。錦橋に通ずる道路を渡り、さらに豊平川沿いを歩いた。川を見ると一の沢ダムで堰き止められているため砥山ダムの上流と同じような光景が見えた。
※ 定山渓温泉街の端に架かる「錦橋」です。
※ 錦橋の近くから撮った豊平川の様子です。
川沿いのトレッキングはここまでだった。川沿いに住宅が増えたこと、さらには川に流れ込む沢が頻繁に現れたことで私は路上に追いやられてしまった。
そして気づくと国道沿いに建っている閉館してしまった「北海道秘宝館」のところに出てしまった。もはやこれまで、私はスノーシューを脱ぐことにした。
※ スノーシューを脱ぐことになった閉館中の秘宝館の前です。
そして道路上を歩き、定山渓温泉街の中央に架かる「定山渓大橋」のところから豊平川沿いに降りて、今回の「冬の豊平川河畔を遡る」プロジェクトのゴールとした。
豊平川はわずかに間にすっかり様相を変え、水量も少なくところどころに岩が顔を出す川に変身していた。
※ 水量が少なく岩が顔を出している定山渓大橋付近の豊平川の流れです。
※ 「定山渓大橋」をバックにして我が愛機を写してこのプロジェクトを終えました。
石狩川との合流点の河口から定山渓まではたしてどれくらいの距離があるのだろう?私の地図上の計測では50キロ内外かと思うが、苦しくも楽しい50キロだった…。
明日の投稿でその50キロを振り返ってみたいと思う。
《トレッキング実施日 ‘12/02/25》
百松橋 → 一の沢ダム
深い切り込みのV字型の渓谷を横目にしながらのスノートレッキングが続いた…。その時思いがけないものに遭遇した。
「百松橋」を後にし、豊平川を眼下に見ながら国道230号線と崖との間の林間を進んだ。すると間もなく国道の二車線化工事のために崖を削り拡幅工事をしているところに出会いました。車で定山渓に向かう人たちは必ず目にする工事現場です。
そこから豊平川と国道は離れたが、私はもちろん川に沿って歩きます。
※ 道路の拡幅のため崖を掘削し、その崖が崩れないように固めるという難工事(?)です。
すると何やら豊平川に面して鉄柵が見えてきました。近寄ってみると、頑丈な扉に「立ち入り禁止」と書かれてありました。その鉄柵の奥を見ると、なにやら豊平川の川面に向かって階段が下の方へ伸びているようなのです。階段を上り下りした形跡も見えます。
私の好奇心が疼いた。しかし、鉄枠の中には容易に入れないように囲ってありました。階段を下りてみたい欲求にかられましたが、あきらめました。
※ このような頑丈の鉄柵が設けられ、注意書きが目を引きました。
※ 鉄柵の両サイドは写真のように尖った鉄棒が睨みを利かせていました。
※ 鉄柵の向こうには真下に向かって階段が伸びています。向こう先は見えません。
下りるのをあきらめた私は再び崖の上のスノーシュートレッキングを続けました。
崖の上は林間になっていたのですが、昨年の豊平川下流で見られたような背の低い灌木ではなく、ある程度木が成長した林のためそれほど歩きにくいということなく、快調にトレッキングは距離を稼ぎました。
豊平川の渓谷はますます深くなっていく様相です。傾斜がきつ過ぎて雪が載っかっていないような崖も見えます。
※ 対岸の崖の一部には急斜面のため(?)雪が載っていません。
延々と同じ光景が続き「かなり歩いたかなぁ」と思われたころ、再び横に国道が見え車で定山渓に入る際に最初に潜る「錦隧道」が見えました。その横には昔の旧道跡があり、私はそこを通り抜けました。
※ 錆びた道路標識がいかにも旧道跡だと示してくれています。
※ このあたりでも豊平川は深い峡谷を造っていました。
この時点でかなり定山渓に近づいたことを確信できましたが、豊平川の様子は依然として深い渓谷を形作っています。崖の上ギリギリに立つと、足がすくむ思いがします。
そうしているうちに豊平川が正面に見えるポイントに来ました。
はるか向こうに白い壁のようなものが見えました。どうやらダムから水が滑り降りている様子です。「一の沢ダム」が遠くに見えたのです。
※ 写真正面の上部に見える白い幕のようなものは「一の沢ダム」から水が滑り落ちる様子です。
一の沢ダムが見えてからスノーシュートレッキングはかなりの困難を伴い始めました。というのも、定山渓が近くなり人家も見え始め、崖の上ギリギリまで家屋が建っていたり、会社の敷地を示す囲いがあったりと複雑をきわめます。川に近づいたり、遠ざかったりしながら一の沢ダムを目ざしました。
会社の敷地の囲いを乗り越えるような形で一の沢ダムのところに辿り着きました。
一の沢ダムは、これまでの藻岩ダムや砥山ダムのようなものではなく、一種の堰のような形状でした。堰から溢れた水がダム(堰)全体から流れ出ていました。
※ ダムの近くから見ると、このように水が泡を立てて落ちていました。
※ この後、定山渓の市街地に入り豊平川もその河畔も複雑を極めます。その様子は次回に。
《トレッキング実施日 ‘12/02/25》
小金湯温泉 → 百松橋
「冬の豊平川を遡る」プロジェクトも昨年から継続して今回で第5日目。とうとう目的の定山渓温泉が目前となった。今回は積極的にスノーシューを多用することを心掛けたため、興味深い光景にも出会うことができた。
前回(2月16日)から9日経って、いよいよこのプロジェクトの最終日となった。前回の終着点小金湯まで約20kmを車で行き、そこから遡行を開始した。
前回、豊平川河畔近くの道路を歩くことがメインとなってしまい、物足りなさを感じたので、今回は少々困難でもできるだけスノーシューを使って川の近くを遡行することにした。
※ 小金湯温泉を出て直ぐ、このような道なき道を行った。
※ 比較的雪が少ないと言われている南区ですが、人がいない小屋はこのとおりの屋根の雪です。
小金湯温泉のすぐ上流に北海道電力が管理する「砥山ダム」がある。小金湯温泉側からダムに行く道は除雪されていなかった。さっそくスノーシューの登場である。
地図を頼りに道なき道である雪上を行くと、大きな建造物が見えてきた。前回見た「藻岩ダム」のようないかつい威容の「砥山ダム」が見えてきた。水量はそれほどでもなかったが、一つの堰から勢いよく水が放水されていた。
※ 「砥山ダム」を下流側から見たところです。
続いて雪上を回り込み、ダムの上部に行ってみた。貯水された水の一部は凍っていたものの大部分は氷結してはいなかった。こちらには北電の管理事務所のようなものがあり、国道から続く道路も除雪されていた。
※ 反対に上に回って貯水してあるダム側から撮った写真です。
そこで一度スノーシューを脱ぎ、国道に出ることにした。というのも、マップを見ると豊平川の周囲は崖に囲まれていて川には近づけないようだったからだ。
※ 国道230号線に架かる「一の沢橋」です。
国道に出て少し行くと「一の沢橋」という橋があり、一の沢川が豊平川に注いでいた。その流入口をチェックしようと再びスノーシューを履き、流入口に近づこうとした。ところが流入口は複雑な崖になっていて、近づくと危険そうな匂いがした。君子危うきに近寄らず、の例えに倣い流入口を遠望するに止めた。
※ 一の沢川が豊平川に流入する合流地点は怖くて近寄れませんでした。
そこから振り返り、上流のほうを見ると深い渓谷に橋が架かっていた。マップで確認すると「百松橋」ということだ。
百松橋は「神威岳」などの登山道に続く橋として知られている。私も今年の夏には神威岳に登りたいと思っているので、この橋のお世話になるかもしれない。
※ 雪模様のためちょっと霞んで見える「百松橋」です。(車一台が通れる幅です)
百松橋の中央に立って、豊平川の下流、上流に目をやった。
両岸は鋭く屹立してそのまま川に落ち込んでいる。人が近づくことを鋭く拒否しているように見える。
その表情とはまったく対するように、川面は豊平川もかなり上流であるのに流れの様子さえ見せぬように静かに佇んでいるかに見える。これは砥山ダムで水が堰き止められていることによる影響だろう。
※ 百松橋から下流の豊平川を見たところです。
※ 百松橋から上流の豊平川を見たところです。
私はここから眼下に豊平川を見下ろしながら定山渓を目ざしたのだった。(�14に続く)
《トレッキング実施日 ‘12/02/25》
砥山発電所 → 小金湯温泉
砥山発電所の脇を通り、一路目的地の小金湯温泉を目ざした。スノーシュートレッキングに比べて、道路上のトレッキングは楽チンではあるがやはりどこか味気ない。私は何度か豊平川河畔への接近を試みた…。
砥山橋を渡り、砥山発電所の脇を通ると、道路は豊平川から少し遠ざかる。
道路の名前はまたまた変わって「砥山 豊平川沿線」となっていた。
マップを見ると、途中で豊平川に近づく小路があったので、そこから一度豊平川に近づこうと思った。ところが冬季は除雪されておらず、その上立ち入り禁止の看板がかかっていて断念せざるを得なかった。
※ 北側から見た八剣山である。一つの頂しか見えません。
あきらめて道路に戻り、小金湯方面にトレッキングを続けると目の前に八剣山が現れた。しかし北側から見る八剣山は南側から見るような恐竜の背のような山容は見えず平凡な山に見える。
ここでもマップでは八剣山トンネルを通らずに旧道を行くと豊平川が直ぐ近くを流れているので旧道を行こうと思った。幸いなことに旧道が除雪されていた。
ところが旧道をかなり進んだ地点で突然道路が行き止まりになった。どうやら除雪されていたのは住宅が建てられているところまでだったようである。
そこからスノーシューで、という手段も考えられたのだが、昨年のトラウマからスノーシューを履く気になれず、もと来た道を引き返す私だった。
※ 八剣山トンネルの入り口です。左側が旧道に導かれる道だったのですが…。
※ 八剣山トンネルの中は光が届かないため凍りきっていました。寒い!
八剣山トンネル内を通り南側に出て振り返ると、あの特徴のある八剣山の山容が見えてきた。
さらに進むと豊平川と砥山豊平川沿線が交差する「砥山栄橋」に至る。このあたりの豊平川は川幅が割合広くなっていて、中洲のようところは雪が被っていたが流れる川面が顔を出していた。
※ 振り返ってみた南側から見る八剣山です。いくつもの頂が見えます。
※ 砥山栄橋の上から眺めた豊平川です。けっこう川幅があります。
ここで豊平川とは再び別れ、残るは小金湯温泉のところまで豊平川とは対面できない。
小金湯温泉まで約1.7キロ。昼も過ぎていたので先を急いだ。
小金湯温泉は小さな温泉場である。温泉ホテルが2軒と札幌市アイヌ文化交流センターが建っている。
そのアイヌ文化交流センターの裏手を豊平川が流れている。かなり上流にきたつもりだったが、川幅はまだけっこうある。豊平川も上流になると、ほとんど整備の手が入っていないためか、川幅は場所によってまちまちである。いわば生成時の姿を残しているともいえそうな流れである。
※ 小金湯のアイヌ文化交流センターの裏手で見た豊平川です。遠くにダムが見えました。(砥山ダム)
本日のトレッキングはスタート時が遅かったこともあってここまでにした。
私は入場料が無料であったことをいいことに、アイヌ文化交流センター内で昼食を摂らせてもらった。冬のトレッキングは腰をおろして休んだり、食事を摂るところがなかなかない。それもまた冬季トレッキングのある意味面白さだろうか。
※ 昼食休憩を取らせていただいた札幌市アイヌ文化交流センターの建物です。
ところで私のレポートの中に「マップ」という言葉がときどき出てくるが、今回のトレッキングでは1/4,000というゼンリンの住宅地図をコピーして使用している。私が知りたい情報は網羅されているので重宝している。
さて、次回は目ざす定山渓温泉まで辿り着けるはずである。実施日を何時にしようかと思案中である。
《トレッキング実施日 ‘12/02/16》