田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

若さ弾ける春高バレー北海道大会

2010-01-31 19:50:43 | スポーツ & スポーツ観戦
 “若さは素晴らしい!”と単純に礼賛するつもりはないけれど、コート上を飛び跳ねる彼らの肉体はやはり若さが漲っているように映った・・・。
 
 「春高バレー」(正式には全国高等学校バレーボール選抜優勝大会)は、今年から全道一区域となり(昨年までは南と北に分かれていた)全国大会には2校が進出できる規定となりました。
 その大会が28日から道立総合体育センター(通称:きたえーる)で行われていましたが、全国大会進出がかかる準決勝が最も面白いということで今日(31日)の午前観戦に行ってきました。

            

 結果は男子が東海大四校と札幌第一高が、女子は札幌大谷と帯広南商業がそれぞれ代表権を獲得しました。詳しい試合結果をお知りになりたい方は、ウェブ上か、新聞をご覧いただければと思います。

 試合を見ていて、私が感じたのは「高校バレーの勢力図も変わりつつあるのかなぁ」ということでした。
 北海道の高校バレーというと、長い間男子は東海大四高、女子は旭川実業が北海道内では覇権を握っていたように思います。(ちょっと古い話なんですかねぇ?)
 今回男子は東海大四校はかろうじて面目を保ちましたが、準決勝の対札幌藻岩戦は瀬戸際まで追い詰められての逆転劇でした。札幌藻岩の試合運びがもう少し上手ければ結果はどうなっていたか分からないほどの戦いでした。一時は圧倒的な力を誇っていた東海大四校にも翳りが見えてきたのかなぁ、と思われた一戦でした。

        
        ※ 東海大四校をもう一歩のところまで追い詰めた札幌藻岩
         高校のベンチで監督の指示を聞く選手たちです。        

 女子の旭川実業はさらに力の衰えを見てしまったように思います。
 準決勝には進出し、帯広南商業と戦ったのですが、一時の上手さ、力強さは感じられず、終始リードされ続け、2対0のストレート負けでした。
 「旭川実業もずいぶん弱くなったなぁ」と思い、過去の実績を見てみるとここ数年は帯広南商業が旭川実業を凌駕していることが分かりました。

        
        ※ バレー界の名門富士フィルムでもプレーした出倉監督率
         いる旭川実業高校なのですが…。

 こうして見ると、高校スポーツは選手が替わり、指導者が替わりますから、いつまでも勢力図が変わらないと思うほうがおかしいのかもしれません。そんなことをあらためて気づかされた春高バレーでした。

 しかし、いつ見ても高校スポーツはいいですねぇ。
 技術的には多少稚拙な部分があったとしても、躍動する“若さ”は見ていて眩しいほどです。
 単純に“若さ”を礼賛するつもりはないけれど・・・。

さっぽろ雪まつり 大雪像制作ボラ №3

2010-01-30 20:04:21 | ボランティア
 好天のもと、三回目の雪像制作のボランティアに参加してきました。傍らでは市民雪像の制作も始まっていました。

 「どこまで雪像は出来上がっているだろうか?」と期待しながら、朝8時45分制作現場に向かいました。
 行ってみたところ、まだ足場が組まれていたために外目にはあまり変わらなく見えましたが、側に寄ってみるとやはりそれぞれの部分がかなり出来上がってきていました。

        
      ※ ご覧のようにまだ足場が組まれているため全体像が見えません。        

 今日割り当てられたのは、「みぎわさん」の上着の部分に化粧雪を貼り付けることでした。

        
        ※ 右側が化粧雪を貼り付けたところ、左側がこれからのと
         ころです。上の部分もこれからですね。

 すでに形は出来上がっているのですが、〔ケレン棒〕といわれる大工道具のノミの大きなようなもので薄汚れた雪や凸凹になっている部分を削ります。
それから白いきれいに化粧雪を貼っていきます。およそ1cmの厚さに手作業で貼り付けます。そこを〔バカ棒〕 と呼ばれる木片で表面をならし、さらに最後はゴム手袋で表面を滑らかにします。

        
        ※ 右側が〔バカ棒〕、真ん中が〔ケレン棒〕と呼ばれる整形
         の道具です。左側のものはベテランのボランティアさんも
         呼び名が分かりませんでした。
         
 作業は制作隊長のもと、4班に分かれて各班にリーダー、サブリーダーが配され、その人たちの指示によって作業が進められていきます。
 今日目立ったのは、道教育大岩見沢校の美術コースの学生です。メジャーをもち、各所をチェックしながら修正点をリーダーに伝えていました。
 こうした方々の共同作業でもって、あの巨大な雪像が徐々に、徐々に完成に向かっているのです。

        
        ※ ヘルメットに赤の二本線があるのがリーダー、一本線が
         サブリーダーです。ちなみに制作隊長は三本線です。

 一方、今日から市民グループによる小雪像の制作も始まりました。たくさんのグループが制作に取り組んでいましたが、好天ということもありみなさん楽しみながら雪像づくりに取り組んでいたようでした。

        
        ※ 小雪像の制作に取り組んでいる市民グループの人たちです。

 今日、大雪像の制作に参加していたボランティアは12~13名ですが、一日参加する人もいます。しかし、私には半日が精一杯です。午前の作業終了とともに失礼しました。
 これで私の今年のボランティア参加はおしまい。
 2月5日、「さっぽろ雪まつり」の開幕の日に、完成した「ちびまる子ちゃんと3年4組の仲間」に会うのが楽しみです。

        
      ※ ボランティア参加記念としていただいた記念のマグカップです。

ソングふ~ゆ~円山

2010-01-29 19:29:04 | ステージ & エンターテイメント
 「また、冬の円山の街にあったかい音が舞い降りる・・・」、「寒い冬の夜もスローな音楽でほっこりと!」のキャッチフレーズで、1月24日の夕刻、「冬の円山音楽祭」が円山の街の各所で行われました。
 
 キャッチフレーズにある「また、~」とあるのは、これまで毎年夏(7月)に「まるやまミュージックソン」として4回の開催実績がありましたが、その冬バージョンを初めて開催するにあたって「また、~」としたのでしょう。
 「ソングふ~ゆ~円山」には、円山地区の11のライブハウス、喫茶店が参加して15時~21時(終わりの時間は店によってさまざま)まで、合計70組のミュージシャンが出演して開催されました。

            
 
 主催者の謳い文句は、プロもアマも、上手いも下手も、ジャンルを問わず、弾きたい人、歌いたい人大集合!
 一人1,500円の出演料を払いさえすれば誰でも参加でき、客からはミュージックチャージは取らず、店の飲み物代だけでOKというきわめてオープンな音楽会です。

 私はHBCラジオ歩くスキー大会に参加し疲れていたのですが、「どんなんかなぁ?」という興味が勝って一休みした後、いそいそと出かけました。
 出かけた先はトップバッターが[フォルクローレ]を演奏すると案内のあった「ハイ・ビーンズ・カフェ」でした。
 ここでは、フォルクローレを演奏する「楽団ひとり」さん、主にシャンソンの弾き語りを披露した「於熊」さんの二人の演奏を聴きました。
 二人とも中年の女性(於熊さんの方が年上かな?)で、純粋のアマチュアといった感じでした。

        
        ※ 最初に訪れた「ハイ・ビーンズ・カフェ」のエントランスです。        

 一杯のコーヒーで長居もしずらく、聴き馴染みがあった「福寿草」が演奏するという「Dip café(ディップカフェ)」へ向かいました。
 お馴染みの「福寿草」の二人はセミプロとあって安定した演奏と歌声で楽しませてくれました。その後、「Kanade_yasu」さんの独り弾き語り、「クローバー」の三人組の演奏を楽しみました。

        
        ※ 2店目の「Dip cafe(ディップカフェ)」です。

 二つの会場で違っていたのは、「ハイ・ビーンズ・カフェ」は生の音を聴かせていたのに対して、「Dip café(ディップカフェ)」では小型ながらPA(拡声装置)を使用していたことです。
 それぞれ考え方があるのだとは思いますが、どちらもそう広くはない喫茶店です。私としてはPAを使わずに純粋の生の音を聴きたかったと思いました。ただ、「Kanade_yasu」さんのようにマイク効果を意識した音づくりをしている人には、PAは欠かせないものなのかもしれませんが…。

        
        ※ 私が最も気に入ったグループ「福寿草」の演奏です。

 今回は11ヶ所の会場のうち、わずか2ヶ所しか訪れることができませんでしたが、いろいろな店で、いろいろなミュージシャンの音をもっと聴いてみたいと思った「ソングふ~ゆ~

ひまわりおじさん物語 7

2010-01-28 19:23:46 | その他
中越大震災ボランティア
 

        
        ※ ひまわりおじさんの5冊目の著書「神戸から新潟へ 
         足跡がいつか道に」です。

 私Mとひまわりおじさんが会ったのは2004年だった。
 1995年に起きた阪神・淡路大震災からはすでに9年が経過していた。
 神戸の街は外から見たところ震災の傷跡は修復され、以前の街並みが甦っているように見えた。
 しかし人々の心に残った傷跡は癒しがたく、そうした人々の心を癒そうとひまわりおじさんは「ひまわりの夢企画」の仲間とさまざまな取り組みを地道に続けた。
 その取り組みとは、ひまわりの種の配付であり、ジャンボひまわりコンテストであり、人々を勇気付ける元気アップイベントの数々であった。中には「中年の主張大会」というユニークな取り組みもある。
 
 そうした活動を続けていた中、2004年10月、新潟県中越地方が強い地震に見舞われた。
 それはMが神戸を訪れて間もない時期であった。
 「これは中越に行くしかない!」ひまわりおじさんは「阪神大震災で全国から支援を受けたことへの恩返しをしなければ」という使命感のようなものを覚え中越(新潟)をめざしトラックに飛び乗った。
 中越支援のために最初に取り組んだのは、阪神・淡路大震災の経験から「被災者が欲しているものの一つにお茶わんがある。お茶わんを集めて被災地に贈ろう!」という「お茶わんプロジェクト」だった。そう発想はしたものの、それを実現するには幾多の困難な壁がある。その壁をおじさんは一つ一つ乗り越え、神戸をはじめ全国から食器類が集まり被災地に贈ることを実現させた。その数、ダンボールにして実に1,250個ということである。

 ひまわりおじさんの支援は「お茶わんプロジェクト」だけに止まらない。
 被災者を元気づけようと、「ネットアートプロジェクト」、「ひまわりプロジェクト」、「錦鯉プロジェクト」と、湧き出るようなアイデアを次々と実現させていった。
 結局、ひまわりおじさんは中越大震災が起こってから一年間被災地と係わり続け、その間神戸と中越を往復した回数が18回、滞在日数は延べ90日を超えたということである。

 活動が一区切りついたところで、ひまわりおじさんは一連の活動を記録に残そうと思いついた。
 神戸で受けた支援に対して、中越に感謝のボランティアのお返しができた。いつかまた起こる不幸な震災に中越の人たちが感謝のボランティアでお返ししてくれるだろう。そのための足跡を記しておきたい。
 そんな思いが「神戸から新潟へ 足跡がいつか道に」という一冊の本に結実した。

 実はひまわりおじさんはその本の著述にあたって、Mに原稿を依頼した。
 Mに断る理由もなく、喜んで寄稿させていただき、Mの一文が本の一頁を汚すこととなった。
 次回はその原稿を・・・。

※ №8に続きます。


さっぽろ雪まつり 大雪像制作ボラ №2

2010-01-27 20:22:06 | ボランティア
 ちびまるこちゃんの雪像はかなり出来上がってきていました。私はちびまる子ちゃんのほっぺをなでなでしながら、頬の整形(?)に汗を流してきました。

        
        ※ ボランティアの控え室に置いてあった粘土で作られたち
         びまる子ちゃんたちキャラクターの雪像完成予想図です。
                         
 25日(月)、勤務を終えてから今年2回目の雪像制作ボランティアに参加してきました。
 昨年もそうでしたが、夜間のボランティアは人が少なく、今回もボランティアは私一人でした。(専任の制作団の人たちはたくさんいましたよ)

        
     ※ ヘルメット、ゴム手袋、安全ベルトはボランティアの三種の神器です。

 制作現場へ行くと、作業はかなり進んでいました。
 足場がまだ組まれたままなので遠くからはその進み具合が良く見えなかったのですが、傍に寄ってみるとちびまる子ちゃんや丸尾くんの特徴のある髪の毛や目、眼鏡などがはっきりと浮き上がっています。
 作業は残るキャラクターの細部の彫り込みや、化粧雪を使って各所を整える段階に入っていました。

        
        ※ かなり姿が見えてきたちびまる子ちゃんの像なのですが、
         足場が組み立てられているのではっきりしませんね。

 私に与えられた任務は、「化粧雪」を運ぶ役目です。
 現場の下で作られる化粧雪は簡易クレーンで上へ運ばれます。私はバケツに入れた化粧雪をそのクレーンのところまで運ぶ役目です。単純な作業ですが、何度も何度も行き来するのはけっこう骨が折れるものです。

 ここで雪像表面に使う化粧雪の作り方を説明しましょう。
 化粧雪づくりには汚れのないきれいな雪を使います。
 その雪に僅かな水分を含ませ、雪像に貼り付けやすくします。その水分の量、水分を含ませてもなお柔らかさを保つためには少しの経験が必要のようでした。

        
        ※ 汚れのない雪に適度の水分を含ませて化粧雪を作って
         いるところです。

 作業の後半、リーダーが「化粧雪の貼り付け作業をしますか?」と問われたので、私は喜んで「します。します」と答え、作業現場に上りました。そこはちびまるこちゃんの頬の部分でした。
 ちびまる子ちゃんの頬はまだ荒削りが終わったところで、あばたが目立ちましたが、そこへ化粧雪を擦り込むようにして貼り付けます。貼り付けた後に表面をなめらかするために、ゴム手袋でなでなでします。
 もちろん整形するためのさまざまな道具はあるのですが、最後はこうして人手による作業なんですね。

        
        ※ ちびまる子ちゃんの目の辺りに化粧雪を貼り付けています。        

 ところで「さっぽろ雪まつり」のHPを見ると、大雪像の制作は私たちのところを除いて他は全て自衛隊の方々が担当しているようです。私たちのところは「札幌市大雪像制作団」という団体が制作にあたっています。この制作団とはいろいろなところから集まってきた人たちの集団のようです。
 化粧雪づくりをしていた二人は、一人はイベント屋さん、もう一人はバーテンさんだということでした。つまりみなさん職場も違えば、ふだんの付き合いもない方々が集まって制作しているらしいのです。
 それを束ねる団長さんは苦労も多いのではと予想するのですが、かなりのベテランのように見える団長は若い集団を見事に統率しているように見えます。
 あるリーダーに制作の進行具合を尋ねたところ「おおよそ予定通りに進んでいる」とのことでした。
 午後8時、作業は終了しました。

        
     ※ こんなに近くからちびまる子ちゃんを撮るとかえって分かりませんねぇ。

 私の雪像づくりボランティアはあと一度。完成間近の30日(土)の午前です。完成間近の雪像の様子をレポートします。

ひまわりおじさん物語 6

2010-01-26 19:57:06 | その他
※ 「ひまわりおじさん物語」の中に一部不適切な表現があったために一時投稿を休止していました。これまでの掲載文も修正加除しております。関係者にご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げ、今後十分注意しながら連載をあと数回投稿したいと思います。

ひまわりおじさんの本拠地を訪問

        
        ※ ひまわりおじさんの5冊目の著作「神戸から新潟へ 
         足跡がいつか道に」です。        

 Mは集落ぐるみでジャンボひまわりコンテストを催した学校に3年間勤務した。その間ずーっとひまわりの花を中心にした学校づくりを展開した。
 例えば、学校のスローガンは「あふれる笑顔 ひまわりの花咲く OO小」というように・・・。

 そしてMはオホーツク地方では中規模に属する海辺の学校に転任した。
 その学校でももちろんジャンボひまわりを栽培した。しかし海辺ゆえ風が強く、なかなか大きく成長するひまわりを育てることができなかった。
 そんな中、2004年9月にMは和歌山県白浜町に行く用務ができた。「和歌山だと神戸に近い!ひまわりおじさんに会いたい!」とMは思った。
 早速連絡を取ったところ、ひまわりおじさんは快諾してくれ、Mは神戸市を訪れることになった。

 和歌山県での用務を終えた後、Mは神戸に向かい、私たちは神戸市の「人と未来防災センター」で落ち合うことになった。
 「人と未来防災センター」は阪神・淡路大震災を記念して建てられたセンターであるが、そこには大震災の記憶が余すところなく詰め込まれていた。特にジオラマによって地震直後の様子を再現したところはその衝撃を十分に伝えるものであった。
 ひまわりおじさんはちょうど来館者に震災の様子を伝える「語り部」の当番に当たっていて、再会をしたのも束の間、ひまわりおじさんの語りを聴くことになった。ユーモアを交えながら、しかし真剣に震災を後世に伝えようとする気持ちが伝わってくるお話だった。

 センターではまた、ちょうど「ジャンボひまわりコンテスト」も開催されていて、私が写真と共に書き送ったものも掲示されていた。私の育てたひまわりは他の参加者のものに比べるぐっと小さいものだったが、北海道からの参加ということでコンテストが全国的な広がりをもたせることには役立ったのかな?と思って観ていた。
 会場には4m以上にも伸びたジャンボひまわりの本物も持ち込まれていました。

 その後、ひまわりおじさんはMをポートアイランドにあるひまわりなどを栽培している「ひまわりの夢企画」の本拠地に案内してくれた。
 当時はまだポートアイランドも未整備の土地が多く、そうしたところに「ひまわりの夢企画」の方々は積極的にひまわりを植えていたようであった。

 私を案内するひまわりおじさんはとても生き生きとしていて、自分たちがやっていることが楽しくて仕方がない、といった表情が印象的だった。

※ この跡、№7に続く。



北海道のポテンシャル

2010-01-25 21:02:16 | 札幌学 & ほっかいどう学
 北海道が大きなポテンシャル(可能性)を秘めた大地だということを小樽商科大学の海老名教授は強調した。外から見ると、北海道は私たちが感じている以上に魅力に満ちているようだ・・・。

 最近はいろいろな講演や試写会に応募しても、当選する確率が下がってきたように感じていた。
 そんな中、北海道新聞と小樽商科大学が共催する1月23日(土)開催の「時代が読める経済・ビジネス講座」の招待券が舞い込んだ。
 テーマは「アジアと共に、これからの北海道を考える」と題して、小樽商科大学ビジネスセンター長を務める海老名誠教授が務めた。

        

 今、アジアが元気である(経済的に)と海老原教授は言う。
 その象徴が中国であり、インドの発展である。
 中国、インド以外にも台湾、韓国を始めとするアジアNIESの国々、マレーシア、タイを始めとするASEAN諸国も堅調な伸びを示している。
 これからの日本は、これからの北海道は、アジアとともに発展する道を見出すべきである海老原教授は主張する。

 その北海道の秘めたるポテンシャルとは・・・、海老原教授は4点にわたって北海道のもつ可能性を指摘した。
 ①肥沃な大地(高品質農産品の産出)、②良質な漁場(豊富な海産物)、③広大な大地・観光資源(北海道がブランドそのもの)、④過去にとらわれない気質(異文化交流の素地)を挙げた。

        
        ※ 分かりやすく北海道のポテンシャルを説く海老名教授です。   

 多岐にわたった話の中から、ここでは③の観光資源としての北海道に絞ってレポートする。
 渡された新聞資料の中で次のような記事が目を惹いた。
 中国の若手経済人が北海道を訪れて「アフリカ以外の世界中を旅したが、北海道の大自然はニュージーランドと同じくらい素晴らしい」、また別の一人は「中国に最も近い最高級リゾートが北海道です」と・・・。これほど北海道が絶賛されている。北海道への憧れは中国にかぎらずアジア全域に広がっているともいわれている。
 そのアジア諸国のGDP(国内総生産)、並びに一人当たりGDPが共に右肩上がりで伸び続けている。ということは、国民ひとり一人の生活も次第に豊かになり、海外旅行へ出かけるアジア各国の人たちも飛躍的に増大すると予想されている。
 そうした時代を間近に控えた中で、躍進国の筆頭である中国人が評する北海道観は心強いし、私たち北海道人はもっと自分たちが暮らす北海道に自信を持って良いのかもしれない。また、そうした人たちを受け容れるあらゆる環境整備の必要があると海老原氏は指摘する。

 北海道が産する高品質の農畜産漁業の産品をもってアジアに打って出るのも良し、北海道にアジア人を呼び込むのも良し、北海道のもつポテンシャルには大きなものがあるようだ。

 ただ、海老原氏は最後に次のように指摘した。
 少子高齢化が進むなかにあって、北海道を北海道の人たちだけで支え続けることには無理がある。これからはアジアの人々を受け容れ、アジアの人たちと共に生きていこうとする覚悟が必要である、と・・・。
        
 海老原氏のお話は、私たち一般人にも理解できるようにと分かりやすくお話いただいたことで有意義な講演会となりました。

楽しんだ?HBCラジオ歩くスキー大会

2010-01-24 22:03:15 | スポーツ & スポーツ観戦
 2週間ぶりのクロスカントリースキーを楽しんで(?苦しんで)きました。地形的に最もきつい白旗山競技場のコースと思っていたのですが・・・。
 
 昨日のリュージュに続き、ウインタースポーツ二連戦です。
 肘と膝に打ち身の痛みはあったものの、予定通りの参戦となりました。

 天候は晴れ。
 参加者はおよそ2,000人とか。
 滝野公園の大会とは違い非常に参加者の多い大会となりました。

        
        ※ およそ2,000人が参加した大会のスタート前の様子です。

 5kmの部、15kmの部、10kmの部の順にスタートしました。私は10kmの部のエントリーです。
 最もきついと思っていた白旗山のコースですが、前半は記憶とは違いそれほどきついコースとは映りませんでした。
 とはいっても、辛いことには変わりありません。私もようやく自分の体力のなさを自覚し始めたのでしょうか。ときおり写真を撮るふりをして、休みを適度に入れながらスキーを滑らせ(走らせ)続けました。

        
      ※ 疲れたときにはコース横で休んで先行く人たちを写す時間です。

 白旗山をきついと私に思わせたのは、後半の長い上り坂です。延々と続く上り坂はコース横にいた役員に伺うと約1kmとか…。誰もが驚く壁のような上り坂に17~8分要したのではないでしょうか。
 私たちはヨタヨタと上るのが精一杯ですが、距離競技の選手たちはその壁も必死にこぎながら上り続けると思うと、その体力はやはり普通人とは違うのですね。

        
        ※ コース後半にある延々と続く上り坂を必死に上る参加者です。

 長~い上り坂を上り切った後はゴールまで緩やかな下り坂が続き、歓喜のゴールです。
 大して頑張ったつもりはなかったのですが、滝野公園の大会と比較するとおよそ13分ほど早くゴールすることができました。コースの形状が違うので単純に比較はできませんが、少しはペース配分のようなことが分かってきたのでしょうか?

 疲れきった体に、協賛・協力したコープさっぽろからの冷たい飲料と、ハウス食品からの温かいスープで癒し、ホッと一息ついて今日の競技を終えました。

スリル満点!リュージュ初体験

2010-01-23 22:55:30 | スポーツ & スポーツ観戦
 昨年来の念願をとうとう果たすことができました。
 今晩、フッズスノーエリアのリュージュ体験教室でワクワク、ドキドキの体験をしてきました! 

        
        ※ フッズスノーエリア全体の様子です。リュージュコースは
         このスキー場の左側に位置しています。

 おーっ左の壁が近づいた、と思う間もなくガツン!
 するとそりは右を向いて、今度は右の壁にガツン!
 そうしているうちに、コースが大きく湾曲する大壁に突入する。
 ワーッ、ヒヤーッと思っているうちにゴールに達していた。

 年間に何度もないリュージュ体験教室なのですが、私自身のスケジュールと相談して唯一ナイターで行われる今日の午後6時30分からのコースを受講することにしました。
 「そんなにたくさんの受講者はいないだろう」という私の予想は覆されて21名もの物好き(?)が集まりました。女性も子どももたくさん参加していたのには驚きました。
        
      ※ 私たちが使用したそりです。小学生用のものだということでした。

 驚いたのは講習自体もです。
 簡単に乗り方、操作の説明を受けて、すぐに「さあ、乗りましょう」でした。
 最初はコースの途中の150m地点から、2回目は200m地点、3回目には250mコースのスタート地点からタイム計測されるのです。

        
        ※ リュージュはこのように仰向けになって滑ります。これが
         一層恐怖を煽ります。

 最初の描写は私の1回目の様子です。
 滑り終えた後、私の肘や膝は何度も氷の壁にぶつかり、かなりの痛みを覚えていました。
 2回目は200m地点からだったのですが、今度はなぜかスムーズに滑ることができました。「あれっ?私は上手になったんだろうか??」
 でもそれは幻想でした。
 3回目、250m地点まで上がりスタートのバーを握って自分でスタートします。
 タイムを計るというプレッシャーもあったのかもしれません。
 ちょっとそり操作も意識しました。それが素人の浅はかさです。そりは右にぶれ、左にぶれ、もう氷の壁にぶつかりまくりながらゴールしました。

        
      ※ この方のようにコース中央を滑ることができると良いのですが…

 最後の4回目です。
 私は開き直りました。「もう、へたな操作は止めてなりゆきに任せよう」と…。
 するとこれが大正解!2度ほどかすかに壁をこすったものの、かなりスムーズに滑り終えることができました。タイム23秒347。全体の中でもそれほど悪いタイムではありません。

 いゃ~、かなりのスリルですね。でもそのスリルが面白い!
 全国でも確かフッズスノーエリアでしか体験できないと思いますよ。
 ぜひお試しあれ!

        
        ※ 21名のタイムレースでベストスリーに輝いた三人です。

 家に帰って、痛みを覚える肘を見てみたら右ひじが赤く腫れ上がっていました。
 名誉の勲章かな??

映画 12 パラレル

2010-01-22 17:13:29 | 映画観賞・感想

 Jリーグジェフ千葉の選手だった京谷和幸選手は交通事故で下半身不随になるも、婚約者だった三木陽子さんの献身的な看護と励ましによって車いすバスケットに生きがいを見出したという実話をそのまま描いた映画「パラレル」を観たのですが・・・。

        
        ※ この映画のモデルであり、原案者としても名を連ね
         ていた京谷和幸さんです。
        
 パラレルとは直訳すると、平行とか、相似な関係とあります。
 この映画は、京谷選手の恋人であり、妻となった三木陽子さんという同伴者が障害を持つ前も、後も同じスタンス(そこに葛藤はあったが)で京谷選手を愛し続けた姿を「パラレル」という言葉で表したものです。

 1月17日(日)のスポーツトークショー&映画「パラレル」上映会は、前半の京谷選手、小谷野選手、そして岩本氏のトークショーに続き、登壇者の一人京谷選手をモデルにした映画「パラレル」上映会に移りました。
 京谷選手役を要潤(かなめ じゅん)、三木陽子役を島谷ひとみが演じ、脇を市毛良枝、泉谷しげる、秋吉久美子、細川茂樹といったベテラン陣で固めた本格的なもので、昨年3月に完成し首都圏では上映されていたようです。
 上映前にアナウンスが「北海道初上映です」ということを強調していましたが、「京谷選手が北海道出身なのになぜ一年近くも北海道では公開されていなかったの?」という思いを抱きながら映画を観ました。

 映画を見終えてなんとなく私の疑念の答えを得たような思いがしました。
 それは主役の二人が熱演はしているものの、どこかに演技の未熟さが見え隠れしていたように思われたのです。
 要潤さんはそれなりのキャリアはあるものの、若さが顔を出していたように思えます。また、島谷ひとみさんはご存知のようにシンガーが本職で、演技力は要求すること自体が違っているのかもしれません。
 こうしたシリアスな内容の演技は、演技派といわれる人でも難しいものです。私は少し辛口の評となりますが、キャスティングにやや難があったのではと思ってしまいました。
 ストーリーは感動的なものなのですから、いかにも惜しい気がしました。

 首都圏で上映されながら北海道の映画館での上映がなかったのは、あるいは首都圏での人気がはかばかしくなかったからでは、などと思ったのですが・・・、果たして真実は?