田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

梅沢俊氏から高山植物のお話を聴く

2023-09-30 19:14:04 | 講演・講義・フォーラム等
 この方が梅沢俊氏かぁ…。夏山をよく登っていた頃、大変お世話になった北海道新聞社刊の「夏山ガイド」の著者である。梅沢氏はもちろん北海道の山々の全てを知り尽くした方であるが、それ以上に高山植物の著書を数多く世に出されている方として有名である。その梅沢氏から、氏が撮り貯めた高山植物の数々を紹介いただいた。

 どこにでもどん欲に顔を出す私である。昨日(9月29日)午後、道新プラザDO-BOXで行われた「野生動物基金ネイチャーフォーラム」に顔を出した。この日のテーマは「アナログで見ましょう!北海道の高山植物」と題して植物写真家の梅沢俊氏が講師を務められた。
  
 梅沢氏は私と同年代の方で、北大農学部を卒業した後に職には就かずに山に登り、植物の写真を撮り、それに関連する著書を出すことで植物写真家として今日第一人者と言われるまでなった方である。氏によると大学時代は指導教官から「蛾」の研究を指示され研究に没頭したが、本来の山好きから対象を高山植物に絞ったということだった。
  
 梅沢氏のお話は冒頭にNHKの朝ドラで放送を終えたばかりの「らんまん」についてのお話に終始された。というのも題材が植物学者として名を成した牧野富太郎博士のことだから、朝ドラ好きの主婦の方、植物好きの方には格好の話題だったからである。私は?というと全く朝ドラを見ていないので、梅沢氏の話はちんぷんかんぷんであった。
 その中で唯一、牧野博士が明治36年に北海道の利尻山に登った話が興味深かった。まだまだ登山道も整備されていない明治時代に利尻山を三日間もかけて登り、植物採集に熱心なあまり危うく遭難しかけたそうだ。NHKのドラマでも描かれていたというが…。
 講演の後半は梅沢氏が撮り貯めた高山植物をスライドで映写し、その際のエピソードを披露されるというものだった。そのスライドが文字どおり昔のスライド映写機での映写だったのだ。先述したように梅沢氏は私と同年代である。現代の映写機器であるスライドプロジェクターは使いこなせないという。また、カメラの方もいつまでもフィルムカメラにこだわっていたという。(現在は現像、プリントアウトが困難となりデジカメに切り替えたという)そうしたことでスライド映写機を使用しての映写会だったために講演テーマも「アナログで見ましょう!……」としたそうだ。
 数多くの高山植物を紹介いただいたが、その中からスクリーンに映った中から何種かをカメラに収めたので紹介したい。
◇ミヤマアズマギク(深山東菊)
  
  写真は徳舜瞥山で撮った一枚だそうだ。
◇ミヤマオグルマ(深山小車)
  
  牧野富太郎博士が利尻山で見つけた植物の一つだそうだ。
◇ゴゼンタチバナ(御前橘)の実
  
◇チョウノスケソウ(長之助草)
  
  ロシアの植物学者のマキシモヴィッチを手伝ううちに国内有数のプラントハンターと なった須川長之助が発見した高山植物で、チョウノスケの名が付けたられ植物だそうだ。
◇サンカヨウ(山荷葉)
  

  
 ご存じ春の山野草として私が恋求めている花である。いつか雨に濡れて透明となった花をこの目で見てみたいと思っている花である。 
 もはや山からも離れてしまった私にとって、高山植物は遠い世界の花々である。盛んに登山をしていた頃も、代表的な山野草については何種か憶えることができたが、とてもとても何百、何千とある花や植物を覚えることなど無理な話だった。そう考えると、梅沢俊氏の高山植物に懸ける情熱には頭が下がる思いである。何事も一芸に秀でた方の実績は素晴らしいものである。

鮮やか先制!逃げ切り成功!日本ラグビー!

2023-09-29 19:21:19 | スポーツ & スポーツ観戦
 本日未明(日本時間)に対戦したWCラグビー日本 vs サモア戦は、日本がたえずリードする展開で、後半サモアの猛迫を受けながらも凌ぎきった。これで予選プール2勝1敗とし、8日後の10月8日(日)準々決勝戦進出をかけて格上アルゼンチンと対戦する。
 
※ サモアの猛攻を懸命にしのぐ日本の守備です。
 本日朝、午前4時キックオフの対サモア戦をテレビ観戦するため眠い目をこすりながらテレビの前に座った。
 今大会前における日本ラグビーは大会直前のテストマッチなどで1勝5敗とあまり芳しくない戦績に終わり、WCラグビーフランス大会を前に暗雲が立ち込めていたように見えた。
 しかし、日本(世界ランキング14位)は本番にきっちりと調整してきたようである。世界戦ランキング下位のチリ(22位)にはきっちりと勝利し、強国イングランド(5位)には一時あわやという試合展開で善戦していた。今朝のサモアはランキング上では12位と日本より上位であり体格も日本を上回っていたが、日本は臆することなく3トライをゲットして28対22で勝利した。
  
※ ベテランのリーチ・マイケルはまだまだチームの中心として奮闘していました。
 ラグビーという競技について、レフリーが仲介する場面が多く、私は良く理解しているとは言い難い競技である。もちろんコンタクトスポーツであるラグビーの場合、怪我をする危険性が多く、レフリーが介在しないと成り立たない競技であることも事実である。
 今回の対サモア戦について、ラグビー経験者の某解説者が「事前の対策、そしてチームとしての意思統一」が勝因だと語っていた。試合後半、サモアは一人が退場処分となって14人で戦っていたにも関わらず日本を圧していた。日本選手のスタミナがやや心配である。
 さて、準々決勝進出がかかった次戦対アルゼンチン戦であるがランキングは9位と格上であり、WCの実績でも日本よりもずっと上である(過去に3位になったこともある)。苦戦は免れまい。しかし、相手を研究し、対策を十分に練ったうえでチームとして戦術を統一して当たることで道が開けないことはない。ここは善戦ではなく、日本の勝利を期待したい。
 ラグビーという競技を良く理解していないと前述した。しかし、ラグビーのようなコンタクトスポーツは観ている者の血を熱くする。手に汗握る大一番をできれば多くの人たちと一緒に応援したいと思う。札幌では次戦の対アルゼンチン戦を札幌ドームでパブリックビューイングを行うという。そこへ出かけて札幌の人たちと一緒に応援したいと思うのだが、時間を考えると「どうしょうかなぁ…」と迷うところである。10月8日まで大いに迷おうと思っている。
 ※ 掲載した写真は全てウェブ上から拝借したものである。

初めて聞いた! 初めて体験した!3B体操

2023-09-28 16:20:12 | 講演・講義・フォーラム等
 えっ!?「3B(さんびー)体操」?何それ?という感じだった。シニア向けの体操と聞いていたが、これがけっこう効果がありそうな体操だった。道具を使っての体操だったが、この道具が3Bの由縁ということだった…。

 昨日午前、連続受講している「中央区いきいき講座(高齢者講座)の第14回講座が開講された。今回のテーマは「3B体操で仲間と一緒に楽しく健康づくり」と題して、日本3B体操協会の公認指導者という方たち3名の方が指導してくれた。
  
 ※ 3人の指導者の方です。さすがに体操で鍛えているから立ち姿がきれいですね。
 さて問題の「3B」という意味だが、講師の方は特に触れなかったが、いただいたパンフレットによると3B体操は「ボール(Ball)」、「ベル(ell)」、「ベルタ―(Belter)」の三つの道具を使って行う体操ということだという。その三つの道具の頭文字がBであることから「3B体操」と呼称したようだ。
 その「ボール」、「ベル」、「ベルタ―」の三つの道具だが、空気の入った柔らかい「ボール」は分かるとしても、「ベル」という道具は一般的とはいえない空気が入った特殊な形をしたもので、文字での説明は難しく下の写真を参考にしてほしい。「ベルタ―」も同様である。長いゴム製の紐とでも表現できようか?
     
 今回の講座では、そのうち「ベル」と「ベルタ―」を使っての体操を指導された。
 まずは「ベル」を両手に持ち、手足の筋肉を伸ばしたり、収縮させたりする動きを一つ一つ分解して説明してくれた後、その動きを個々人が確認するのだがけっして難しい動きではないので全員が難なくこなしていたようだ。その後、音楽に乗って連続して一連の動きを行うというものである。その連続して動くときには、ちょうどラジオ体操のように指導者がその動きを声で案内してくれるのでスムーズに体操することができた。
  
  ※ 指導者の中のりーだーの方です。お名前が「黄金(こがね)」さんという忘れ難いお名前の方でした。
 「ベルタ―」を使っての体操も伸び縮みする長いゴム製の紐を使って、さまざまな運動をするもので、これもまた体中の筋肉を伸ばしたり、収縮させたりする運動だった。
 一つ一つの運動はけっして難しくはない。ただ、道具を使うことによって筋肉を伸ばしたり、収縮させたりする際により大きな運動となるようである。2時間の講座の中で私はかなりの筋肉運動を繰り返したようである。今朝起床する際に全身の筋肉の痛みを感じた。
  
  ※ ベルを使った体操に参加者が取り組んでいるところです。
 パンフレットには「誰でもできる楽しい体操です」と謳っている。確かに誰にでもできそうである。参加した方々も嬉々として取り組んでいたようである。しかし、運動効果は予想外に大きいようである。参加者の中からも「これは良い!」といった声が聞こえてきた。
 確かに効果があることは分かった。その上、シニアの我々にとって取り組みやすいという印象も抱いた。それじゃ始めてみるか!?というと話は別だ。受講している「いきいき講座」では「あへあほ体操」などというのも紹介された。シニア向けのさまざまな運動方法(体操)があるようだ。いろいろな運動を試してみて、自分に最もフイットする運動(体操)を探し求める旅(?)を続けたい。今、私に最もフイットしている運動は「ヘルシーウォーキング」だが、それが無理となった時に果たして何を選択しようか???


歩いて巡ろう札幌の公園 Vol. 6 円山公園 & 円山動物園

2023-09-27 18:52:40 | 「めだかの学校」関連
 円山動物園、円山球場、そして札幌市の桜の花見会場として市民に親しまれている円山公園であるが、案外知られていない殉難碑や慰霊碑が立ち並ぶ一角がある。そうしたところを中心に巡り歩いた。
   
  ※ 最初に訪れた石碑「通信従業員殉難碑」です。
 9月25日(月)午後、私が所属する「めだかの学校」の「歩いて巡ろう札幌の公園」の第6弾として「円山公園」「円山動物園」を巡り歩いた。実は、第5弾として8月25日(金)午後に「西岡公園(水源池)」を公園事務所のスタッフがガイドする「おさんぽガイド」に相乗りする形で予定していたのだが、公園事務所側から猛暑のために熱中症が心配されるとして中止連絡があり、私たちの計画も中止をせざるを得なかった。ということで今回は2ヵ月ぶりの開催となった。
  
  ※ 「北海道鉄道殉難碑」の前で私の説明に耳を傾ける会員の皆さんです。
 この回は私が企画し、ガイドを担当することになっていたので、事前に何度か下見を繰り返して会員の負担にならない程度(何せ平均年齢75歳超のグループである)の計画を立てた。
  
  ※ このような山道もありましたが、蚊が多くて皆さんを悩ませました。
 計画は桜の花見会場として知られる「自由広場」でまず「島判官の紀功碑」を見た後に、「自由広場」の南側の天然記念物に指定されている「円山原始林」と接するところに立ち並ぶ各種団体の慰霊碑や殉難碑を見学し、その後に円山動物園に向かう計画を立てた。その順は次のとおりである。
  
  ※ 土台の部分が改修された「殉難消防員之碑」です。
 ①島判官の紀功碑 → ②通信従業員殉難碑 → ③北海道鉄道殉難碑 → ④北海道方面委員慰霊碑 → ⑤山下秀之助歌碑 → ⑥殉難消防員之碑 → ⑦巨大カツラの樹 → ⑧動物園に向かう木道 → ⑨円山動物園、という順であった。
 ガイドとはいっても、ネット上で検索できる程度のことを会員の皆さんに紹介する程度で難しいものではなかったが、北海道は冬の厳しい自然と立ち向かわねばならないために犠牲になる方も多かったことをうかがい知ることができた思いだった。先人の苦労に思いをはせたひと時だった。
  
  ※ 円山原始林の中でも最も巨大と言われているカツラの樹の幹の部分です。
 一帯はブログ情報などによると、エゾリスやシマリスの生息地として知られているのだが、残念ながら遭遇することはなかった。また、「円山原始林」は特に巨大なカツラの樹が生い茂るところとして知られているが、その中でも最も巨大といわれているカツラの樹を眺めながら「円山動物園」に向かった。
  
  ※ 木道を通って円山動物園に向かいました。
 円山動物園は今、8月19日に誕生したゾウの赤ちゃんを一目見ようと大変なこととなっている、と聞いていた。私たちはゾウ舎に入場するのに行列に並ぶことを覚悟して向かったのだが、月曜日とあって聞いていたほどではなく待つことなく入場することができたのは幸運だった。とはいっても、観察窓にはたくさんの人たちが詰めかけていて、肩越しから見ることを強いられた。そこから見えた、生まれて間もないゾウの赤ちゃんは聞いていたとおりにとても可愛らしい姿だった。
  
  ※ 母さんゾウからお乳をねだっている子ゾウです。
  
  ※ 日に日に大きくなっているという子ゾウです。今が見ごろかも?
 と今期前半の学習の一つとして札幌市内の主な公園を巡り歩いたのだが、それぞれ公園によってさまざまな顔があった。参加した会員の皆さんもきっとそれぞれの公園の特徴を掴んでくれた思う公園巡りだった。

国を応援するのではない!困っている人を応援するのだ!

2023-09-26 14:08:49 | イベント
 札幌弁護士会主催の「平和のとりでを築く講演&コンサート」の閉会あいさつが印象的だった。「国を応援するのではない!困っている人を応援するのだ!」と…。戦争放棄を謳う日本国憲法を護ろうとする札幌弁護士会の思いが凝縮された言葉だと受け止めた。
     
 9月23日(土)午後に札幌エルプラザで開催された「平和のとりでを築く講演&コンサート」のコンサートの印象についてはすでにレポしたが、講演の部のレポはまだだった。
 講演のことについては後述するとして、イベントの全てが終了する際に閉会のあいさつをされた札幌弁護士会の憲法委員会委員長代行の方の挨拶が印象に残った。その挨拶の要旨は、今回のイベントの開催にあたってウクライナ人であるナターシャさんを招聘することに異論を挟む弁護士会の会員の声があったという。(ナターシャさんのことについては9月24日付拙ブログで投稿済み)その声とは「弁護士会としてウクライナという国を応援するのか?」という疑問だったという。それは戦争状態にある一方の国に肩入れすることに繋がるのではないかという指摘である。それに対して弁護士会としては、「戦争状態にある一方の国を応援するのではない。その戦争で一方的に困っているウクライナの人たちを助ける」ということで意見の一致を見てナターシャさんの招聘が実現した、と事情を語ってくれた。「戦争は最大の人権侵害」と考える札幌弁護士会らしい内実を語ってくれた配慮が嬉しかった。
 講演の方であるが、こちらは決して “講演” という堅いイメージではなく、弁護士会の若手のお二人が「憲法って、何だろう?」、「へいわとせんそう」という二つの絵本を読み聴かせるという内容だった。
 「憲法って、何だろう?」の方は、日本弁護士会が制作したもので、憲法の趣旨を分かりやすく小学生でも理解できる内容で解説したものだった。こちらの絵本は参加者全員に配布された。
 そしてもう一方の「へいわとせんそう」は、たにかわしゅたろうさんが詩を書き、Noritakeさんが作画した絵本を女性の弁護士がNoritakeさんの画を大写ししながら朗読した。
  
 とてもシンプルな詩とシンプルな画、それが聴いている者に非常に浸みてきた。
 その一部を紹介すると…。それは「へいわのぼく」、「せんそうのぼく」あるいは、「へいわのわたし」、「せんそうのわたし」と対比させた画が次々と映し出される。そして「へいわのちち」、「せんそうのちち」の画が下のような画である。
  
 そして「へいわのぎょうれつ」、「せんそうのぎょうれつ」である。

 次の「へいわのどうぐ」、「せんそうのどうぐ」を見せられた時は「ギョッ!」とした。やはりピストルの画は強烈である。

 最後の画の「みかたのあさ」、「てきのあさ」も一枚の画で見せるところが印象的である。
  
 説得力のある絵本を紹介していただいた思いである。
 難しい時代になってきている。人々を不幸にする “戦争” という行為がこの地球から無くなる日は来ないのだろうか??? 

ヘルシーウォーキング⑰ in青葉公園とインディアン水車をめぐる、千歳ウォーク

2023-09-25 16:38:12 | JRヘルシーウォーキング
 秋の朝らしい冷気を感じながらスタートし、陽が上がってからはちょっぴり暖かさも感ずる中で、千歳市内を巡り歩いた。勢いに乗る千歳市らしい街の様子をあちこちで感ずることができたウォーキングだった。
     
 昨日9月24日(日)、私にとっては9回目となる「いつでもウォーク」で千歳市内を巡り歩いた。千歳駅南口に立ったのは朝の8時25分だった。まだ朝の冷気が残る中、街中は日曜日とあって人影は少なかった。
  
  ※ 千歳駅南口の広場は現在工事中でした。
 まずは駅の南口から駅前に通ずる道を真っすぐに南下する。周囲にはホテルが目立ち、工場群が集積する千歳市には出張客がきっと多いためなのでは、と想像させられた。
  
  ※ 日曜日とあって駅前の街はまだ目覚めていない様子でした。
 南下した道は、千歳市が誇る(?)「青葉公園」へと導かれる。この公園が素晴らしかった。広大な公園の一部が今回のウォーキングのコースとなっていたが、いたずらに手を加えることなく自然がたっぷりと残されている中を歩くのはとても気持ちがよかった。散策路はもちろん舗装などはしていない。春先や雨の日は歩きづらいかもしれないが、それがまた良いのではないだろうか?
  
 ※ 「青葉公園」に沿って走るサイクリングロードがウォーキングのコースでした。
  
  ※ 青葉公園内の千歳川を渡る人道専用の「おはよう橋」です。
  
  ※ その「おはよう橋」の上から見た千歳川の流れです。
  
  ※ 「青葉公園」内の散策路は未舗装ですが、多くのランナーが走っていました。
 公園内には豊かな樹々の間に陸上競技場、市民球場、テニスコートなどのスポーツ施設の他、冒険の森、バーベキュー広場などファミリーで楽しめるところ、あるいは図書館、公民館なども点在していて全ての市民が楽しめるところとなっている。
 コース上から見えた陸上競技場を覗いてみたが青色のタータントラックが敷設されていて第3種公認競技場の指定を受けているそうだ。この競技場は確か毎年夏に日本陸上界の長距離陣が強化の一環として競技会が開催されている競技場の一つのはずである。
  
  ※ 青いタータントラックが印象的な千歳市陸上競技場です。
 青葉公園は千歳市の総合公園として市民も誇りに思っている公園のようだ。公園入口には「入口広場」があり、そこには大きなモニュメントが建っていた。
  
  ※ 「青葉公園」の入口広場に立つモニュメントです。
 公園の入り口近くには「千歳神社」があり、長いエントランスから小高い丘に続く階段を上ったところ本殿(拝殿)があった。
  
  ※ 「千歳神社」は長い導入路の後に、写真のような急階段を上がると本殿(拝殿)がありました。
 神社を終えると再び千歳市内へと戻っていく。駅からやや離れていることもあり住宅と事務所、小さな工場のような建物が混在している中を進んだ。途中、千歳市役所の建物が目に入った。近代的な大きな建物だったが、建築後に耐震補強工事がなされた跡があることから、ある程度の年数が経っているのかなと思われた。
  
  ※ ウォーキングコースは交通量の多い国道36号線を跨いで続いていました。
  
  ※ 耐震補強工事をした壁際が目立つ千歳市庁舎です。
 JR室蘭本線の高架橋を潜り、千歳川沿いの遊歩道に導かれる。千歳川は支笏湖を源として江別市で石狩川と合流する支流なのだが、千歳市内でも大きな川の流れとなっているのが印象的だった。
  
  ※ インディアン水車や水族館が近い千歳川対岸の遊歩道です。(遠くに水族館が見えます)
  
  ※ 千歳川の設けられた堰はインディアン水車(樹の影になった)にサケを導く堰です。その上には「インディアン橋」が架かって、その向こうの白い建物は「千歳市水族館」の建物です。
 コースはそのまま名物の「インディアン水車」のあるところに導かれる。
「インディアン水車」とは、遡上してきたサケを捕獲する装置(捕魚車)のことなのだが、千歳川に設置されたのは1896(明治29)年と古くから活躍している装置のようだ。私が訪れた時にはちょうど捕獲されたサケがトラックで処理場に運ばれるところを見ることができた。
  
  ※ これがサケの捕魚車「インディアン水車」です。
  
  ※ インディアン水車で捕獲したサケを処理場に運ぶためトラックに積んでいるところです。
 インディアン水車のすぐ横には「サケのふるさと 千歳水族館」がある。淡水魚を中心として飼育展示している施設であるが、私は過去に2度ほど見学していたのでパスして前へ進んだ。
  
  ※ 「サケのふるさと 千歳水族館」の入口です。
 そしてその先にあったのは、水族館と併設するように建てられている道の駅「サーモンパーク千歳」だった。この道の駅は施設管理者が代わることなどから入居していた店主らとトラブルになったとニュースで報じられ、どうなっているのだろうと内部を覗いたところ、なんと大盛況の様相を呈していた。日曜日、そして秋日和とあって多くの観光客が押し寄せていたようだ。
  
  ※ 道の駅「サーモンパーク千歳」の外観です。
  
  ※ 道の駅の店内はご覧のような賑わいでした。
 そしてコースはさらに千歳川沿いを下流へと進む。そうすると、ちょうどコースを左折する角で「遺跡公園」に行き当たった。マップでは何の説明もなかったが、私は「きっと、遺跡を発掘した跡が残されているのでは?」と考えた。そこで公園内に造成されていたパークゴルフ場でプレイをしている老婦人に尋ねた。「公園内のどこかに遺跡を発掘した跡があるのでしょうか?」と…。そうすると、その方は「聞いたことがない」という。傍にいた男性の方も同様の反応だった。がっかりしながらさらに公園内を歩いていると公園案内の看板があった。それを見るなんと公園内はパークゴルフ場や球技場など全てがスポーツ関連の場として整備されていた。「遺跡公園」という名はいったい何なのだろうか?
  
  ※ 公園名を表示する石(?)はそれなりの雰囲気を感ずるのですが…。
 辺り一帯は千歳駅からもかなり離れ、新たな住宅街として開発されたり、まだ未開発の地が混在したりしているようなやや寂しいところだった。その先に大きな建物が目に入った。「千歳市総合武道館」だという。窺うと和式の屋根を付けた大きな建物が二つも見えた。建物の傍で芝生の整備作業をしていた管理人のような方に伺った。「武道館としては大きな建物ですね」と…。すると「ここは柔剣道などの武道だけではなく、球技などにも広く活用されています」とのことだった。私が「では、総合体育館ですね」と話すと「スポーツセンターは別にあるのです」とのことだった。
  
  ※ 手前の建物はアリーナ、遠方に屋根だけ見える方が柔剣道の体育館ということでした。
 帰宅して調べてみると、「総合武道館」は千歳市の開基110年の記念施設として建てられ、アリーナ(競技場)、剣道場、柔道場、弓道場、相撲場、トレーニング室などを備えているということだ。つまり、武道競技場を中心として、その他のスポーツの競技場(アリーナ)としても対応できるように建てられたものであるらしいことが判明した。納得。
 武道館の後は、ひたすら街の中心である千歳駅を目ざすウォーキングとなった。まったくの住宅街で特に目を惹く施設などはなかった。やがてJR室蘭本線の高架橋と交差するところに至り、その高架橋の脇を千歳駅へ向かって最後のウォーキングを続けた。
  
  ※ JRの高架下を通って一路ゴールの千歳駅へゴーです。
 そしてスタートしてから2時間半後、スタートした時とは反対の千歳駅北口にゴールした。
  
  ※ 千歳駅北口前は南口と違い整備されていました。
 新千歳国際空港を抱え、工場団地にはたくさんの工場群が立地して活気のある千歳市である。そのうえ、今般半導体メーカー・ラピダスの進出が決定し、いよいよ意気盛んである。街の中にもそうした活気に満ちていたように思えた。これまで私にとって千歳市は通過街でしかなかったが、今回じっくりと街を見ることができ千歳市の活気を感ずることができたヘルシーウォーキングだった。
 往復約2千円を消費してわざわざ千歳市まで出向き、JRヘルシーウォーキングの1ポイントをいただくために11キロをウォーキングをするなんて、「なんて酔狂な!」と思われる方もいるかもしれない。しかし、「2千円をかけて健康を買っているんだ」という考え方もあるのではないか、と私は思っている。その上、これまで知らなかった街を詳しく知ることができるおまけまで付いてくる。これこそ「一石二鳥」の例えと言えるのでは?
 そんな思いでこれからもJRヘルシーウォーキングに取り組みたいと思っている。

感動!ウクライナの歌姫 ナターシャの歌声に酔う

2023-09-24 18:36:43 | ステージ & エンターテイメント
 「歌姫」と表現するのが相応しいのかどうか迷いながら表現したが、ウクライナの民族楽器バンドゥーラを奏でながら、抜群の歌唱力、透き通るような高音の響きは満員の聴衆を魅了し続けた。これほど感動させられたステージは記憶にないほど素晴らしいステージだった。
  
  ※ ナターシャさんが抱えているのがウクライナの民族楽器バンドゥーラです。弦の数が63弦もあるそうです。
 昨日(9月23日)午後、札幌エルプラザホールにおいて札幌弁護士会主催「平和のとりでを築く講演&コンサート」が開催され参加した。
 私は当初、コンサートは講演の添え物的存在なのでは?と思いながら参加した。しかし、内実はむしろコンサートがメインだったのではと思えるような時間配分で、なんとナターシャ・グジーさんのステージは90分間という本格的なステージだった。
  
 ※ コンサートはもちろん写真NGでしたが、ネット上にコンサート時とまったく同じような写真が見つかりました。コンサートの雰囲気を想像していただけると思います。
 ナターシャさんは現在42歳ということだが、すでに来日23年ということで日本語がとても堪能であり、日本の歌のカバー曲もその内容を十分に理解したうえで情感たっぷりに歌う姿が印象的だった。90分間のステージで歌った曲は次のとおりである。
 ◆キエフの鳥の歌  ※ウクライナ民謡
 ◆踊る娘(ナターシャ作詞・作曲)
 ◆歌旅人(コブザーリ)
 ◆いつも何度でも(作詞:覚和歌子/作曲:木村弓)
 ◆防人の歌(さだまさし作詞・作曲)
 ◆シェドリク  ※ウクライナのクリスマスキャロル
 ◆秋桜(コスモス)(さだまさし作詞・作曲)
 ◆わがキエフ※日本の「ふるさと」に該当するウクライナ人の愛唱曲
 ◆鳥の歌(カタルーニャ民謡)
 どの歌も素晴らしかったが、私としては特に1977(昭和52)年、山口百恵さんが歌って大ヒットした「秋桜(コスモス)」が特に心に浸みた。山口百恵さんの素晴らしい表現力も記憶に残っているが、ナターシャさんのそれはまた全く違った魅力に満ちた「秋桜(コスモス)」を披露してくれた。
 彼女の歌に会場がどれだけ感動したかは、コンサート後のロビーにおいて彼女のCDが販売されていたが、黒山のような人だかりができていたことからも、いかに多くの方々が感動したのかが窺い知れた。
    
    ※ ナターシャさんは現在一生懸命母国を応援する活動を行っています。
 彼女の歌った「秋桜(コスモス)」がユーチューブで公開されている。ブログに張り付ける努力をしてみようと思うが、(https://youtu.be/3ci_J5894b0)上手くいかなかった場合はぜひご自身で検索してみて視聴してほしい。彼女の魅力を実感できると思います。
 なお、肝心の(?)の弁護士会の講演の方も考えさせられる内容だった。近日中にレポできたらと思っている。

映画 №364 Love Letter

2023-09-23 19:53:36 | 映画観賞・感想
 若い映画ファンから絶大な支持を得ているという俊英・岩井俊二監督の記念すべき第一作である。しかも舞台は小樽である。若くして散った恋人に寄せる思いを切なくも、美しく描いたストーリーはお爺の心にも確かに届いた。
     
 昨夜(9月22日)、アサヒファミリークラブ主催「映画と握手」の第4回目の上映会があり参加した。「映画と握手」で上映される映画は基本的に北海道を舞台とする映画を上映しているが、これまで私は「男はつらいよ 寅次郎忘れな草」、「幸せの黄色いハンカチ」と観賞してきたので、比較的ミドルやシニアを対象とした映画を上映するのかな?と思っていたが、今回はグッと若返って岩井俊二監督の「Love Letter」が取り上げられた。
     
 今回はこれまでとは異なり、岩井監督ご自身が来札しトークするということで期待していたのだが、岩井氏がコロナの陽性反応となったために来札が不可能となってしまったということで、残念ながら岩井氏のお話が聴けなかったのは残念だった。
 映画は1995(平成7)年の制作・公開だからけっして新しい映画ではない。ただ、内容としては恋愛ものと言えるだけに、一緒に観たK氏が鑑賞直後に「若い人向けの映画だね」と言った一言は私も同じ思いだったが、昔は若い人だったお爺にも十分に楽しめた映画だった。
主演は当時25歳だった中山美穂が二役を演じたことから、前半は内容把握にやや手間取ったが、後半はストーリーの中にすっかりはまり込んで若い恋人たちの心情の機微を追い続けることができた。中山美穂はその難しい二役を見事に演じていたが、その脇を固めた豊川悦司、酒井美紀、柏原崇らが良い味を出していたように思えた。
 今回もストーリーの紹介は割愛するが、映画の最後に中学生役を演じた奇しくも同姓同名(藤井樹)の酒井美紀と柏原崇の二人の間に芽生えた淡い恋愛感情が思わぬ形から明らかになったラストシーンが多くの観衆の涙を誘ったのではないだろうか?
  
※ 映画の伏線となる中学生時代の二人の藤井樹を演じた酒井美紀と柏原崇
 今回の映画会で思わぬ幸運もいただいた。映画の上演前に、岩井監督の最新作で10月13日公開予定の「キリエのうた」の招待券がいただける抽選会が行われ、なんと30人にしか当たらない招待券をゲットすることができたのだ。岩井監督の最新作を楽しみに待ちたいと思う。


文明の機器に弱いシニアには大変な時代になった…

2023-09-22 14:55:50 | その他
 時代に追いついていないなぁ、と感ずることが多々あるが、今回の体験はそのことをいやというほど感じさせられた。というのは、ある必要からスマホのギガ数の変更を申請したところ、四苦八苦の大苦戦を強いられたのだ。

 日頃からスマホのギガ数が少ないために、月末になるとスマホが極端に遅くなる不便を感じていた。今回、ちょっとした旅を計画していて旅先からブログを投稿するのに不安を感じたために、ギガ数を上げる申請をすることにした。そこでドコモショップを利用しようとしたのだが、ドコモショップが混み合っているという。
  
  ※ 私が現在愛用しているiphone11です。
 そこで、妻が困ったときのためにと「あんしん遠隔サポート」というサービスに加入していてくれたので、それを利用することにした。
 先週末、「あんしん遠隔サポート」サービスを利用してギガ数アップの契約申請をした。遠隔サポートのスタッフはとても親切丁寧に導いてくれた。といっても、スタッフの指示に従いながらの作業は困難を極めた。何度も何度もスタッフに聞き返しながら遅々とした作業が続いた。時間にして2時間以上のサポートを受けたのではないだろうか?ヘトヘトに疲れながらも、なんとか手続きを終えた。そして、先方から新しいsimカードが送られてくるので、到着次第そのsimカードを入れ替えることでギガ数を上げる手続きが終了するとのことだった。
 昨日、そのsimカードが届いた。届いたsimカードは僅か1cm四方くらいの小さな小さなカードだった。それを入れてきたダンボール箱はなんと30×20×9(cm)という必要以上に大きな箱だった。
  
  ※ simカードはこの箱に入って送られてきました。箱の上の手前に小さく写っているのが送られてきたsimカードです。
 そして今日、業務開始時間の午前9時を待って再び「あんしん遠隔サポート」に連絡を入れ、simカードの入れ方の指導を仰いだ。これがまた困難を伴った。ゼムクリップを使って、スマホの横についている小さな穴を強く押し付けプレートを引き出さねばならないのだが、いくら強く押し付けてもいっこうにプレートが出てこないのだ。これには先方のサポートスタッフもなす術がなかったようだ。
 幸いなことに、iphone11を購入した時の化粧箱の中に小さな穴を押し付ける器具を見つけることができたのでなんとかプレートを引き出すことができて無事にsimカードを交換することができた。その後にも、スタッフのアドバイスを受けながらなんとか作業を終了することができた。(ホッ…)
  
  ※ 写真上のゼムクリップではどうしても開けられなかったが、手前の専用の道具
が見つかり事なきを得ました。
 それにしてもである。「あんしん遠隔サポート」のサポートを受けながらも四苦八苦の末になんとか所期の目的を達することができたが、そうでなければ私は現代の機器を使うことができなかったということになる。一事が万事、最近は時流に乗れないシニアには生きづらい世の中になってきたことを痛感させられる。老け込んでなどいられない。老体とはなりながらも、気持ちは若々しく保ち、新しいことをどん欲に吸収できるシニアでありたいと思ってはいるのだが…、はたして???

壮大なシュトラウスの交響詩 by 札響

2023-09-21 20:19:13 | ステージ & エンターテイメント
 壮大なR.シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」を札幌交響楽団の演奏で堪能した!100人を超える大迫力の演奏は、時には勇壮に、時には寂しく、一人の男の激しくも美しい生涯を札幌交響楽団は見事に演出して魅せた。
    
 昨夜(9月20日)、札幌コンサートホールKitaraにおいて札幌を中心に冠婚葬祭業を展開する(株)あいプラングループの協賛による「ラブ&サンクスコンサート」が開催され参加した。(協賛とはいっても、聴衆は入場料の一部を負担する方式だったが…)
 この日に演奏された曲目は次の3曲だった。
 ◆ベートヴェン/「プロメテウスの創造物」序曲
 ◆ハイドン/チェロ協奏曲 第1番 ハ長調
 ◆R.シュトラウス/交響詩「英雄の生涯」op.40
 最初の「プロメテウスの創造物」序曲は演奏時間約5分の小曲だった。この演奏の時はまだ演奏陣も少なく、曲の出だしに非常にインパクトを感じたが、それ以外はクラシック初心者の私には特に印象として残らぬ曲だった。
 2曲目の「チェロ協奏曲」は、チェロのソリストとして教育大岩見沢校で非常勤講師も務める山田慶一氏が迎えられ、ソロを務められた。私はチェロの音色が好みである。ヴァイオリンやビオラの繊細な高音に対して、低音が奏でる落ち着いた音にヴァイオリンとは違った魅力を感ずる。(低音といえばもっと低いコントラバスもあるが…)ところがハイドンの協奏曲は、チェロの低音を強調するのではなく、チェロの音を細切れに速く演奏する曲だった。山田氏の演奏はハイドンの要求に見事に応えた演奏だったのだが、私の期待したチェロの音とはちょっと違っていた。そう感じたのはクラシック初心者の私だけかもしれないのだが…。
  
  ※ ソリストを務めたチェロの山田慶一氏です。
 休憩を挟んで、この日のメインデッシュ(?)であるシュトラウスの「英雄の生涯」である。ステージには100人を超える演奏者が勢ぞろいした光景は圧巻だった。しかもこの日のステージは指揮者の梅田俊明氏をはじめ男性陣は全員が燕尾服(テイルコート)を着用していた。なぜか札幌交響楽団の力の入れ具合が伝わってくるような気がした。
 「英雄の生涯」は演奏時間が45分間という広壮で雄大、そして繊細な構成の曲だった。曲は解説によると、「英雄の生涯」は4楽章から成るのではなく、6つの部分から成りそれが切れ目なく45分間演奏が続くものだった。その6つの部分とは、①英雄、②英雄の敵、③英雄の伴侶、④英雄の戦場、⑤英雄の業績、⑥英雄の隠遁と完成から成っているという。
 曲は英雄の生涯を描くように、時に激しく、時には哀しく、時には穏やかに…、場面がさまざまに変わった。その中で③の英雄の伴侶の場面では、札響のコンサートマスターである田島高宏氏のヴァイオリンソロが響きわたる場面が印象的だった。
 解説を読むと、英雄はシュトラウス自身ではないかという説があるそうだが、それではやや鼻白む思いがしてしまう。ここではやはり建国の王とか、歴戦を勝ち抜いた将軍などが相応しいのでは、と私は思うのだが…。
       
       ※ この日の指揮を務めた梅田俊明氏です。
 それはともかくとして、英雄と称される男の一生を描き切った名曲であり、それを演奏し切った札幌交響楽団の皆さんに大きな拍手を送りたい。
 その演奏の中で一つ、私が「あれっ?」と思った場面があった。曲の途中で確かトランペット奏者の3人が退場したのだ。それだけではない。その3人が再び登場したのだ。これはどういうことなのだろうか?オーケストラの演奏をそれほど数多く聴いているわけではないが、今回のような場面は初めて遭遇した。いったいどういうことなのだろうか?アドバイスしていただける方がいらっしゃったら是非教えてほしい。
 そのことは別としても、この日の演奏には十分に満ち足りた思いでKitaraを後にした私だった。