田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

震災復興応援チャリティーイベント JAPAN × 竹あかり

2017-01-31 16:59:21 | ステージ & エンターテイメント
 札幌にはいろいろなボランティアグループが存在するものである。内容も良く把握しないまま、タイトル名のようなイベントに参加してみた。さまざまなパフォーマンスが繰り広げられる中、このグループが取り組んでいるボランティアの意味も少しは理解することができた、かな? 

                    

 ※ このグループは映像に関する保護にことのほか神経を使っているようである。会場内での写真撮影はもちろんNG。HPの写真使用もNGとの記載がされていた。竹あかりの素晴らしさを伝えたいと思ったがあきらめざるを得ない。残念である。ただ、イベントの予告はグループの活動を広く宣伝する効果もあると考え、唯一使わせていただくことにした。

 1月22日(日)午後、ふるさとを歌う会 in 札幌 森の時間Presents 「震災復興応援チャリティーイベント JAPAN × 竹あかり」というイベントが教育文化会館で開催され参加してみた。
 22日のイベント名にはさらに続いて名称が付く。「九州熊本竹あかり CHIKAKEN トークライブ」~本場竹あかりの魅力を発信!~篠笛、打楽器、歌、吹奏楽、ミュージックベル、ピアノ と表記されていた。
 これで読んでいただいている皆さまにはイベントの趣旨や内容が想像できるだろうか?

 まず主催であるが、これは「ふるさとを歌う会 in 札幌 森の時間」ということのようだ。
 代表である横山芳江氏は会のことを次のように言う。「2011年の震災後4日目にこの会はでき、『できる人が できる時に できるだけ』をテーマに、今、自分ができる事を持ち寄り、人・街・森つくりを行っていこうとするグループである」と…。
 そうした活動の中で、九州熊本で竹を細工してその中にあかりを灯す活動をしている人たち(CHIKAKEN)と出会い、森の時間とのコラボレーションが始まったということのようだ。

 イベントは多岐にわたっていた。開会セレモニーに続いて
 第一部として
  ◇ヴァイオリン演奏(多賀白)
  ◇Jポップグループ「キキミミ」ライブ
  ◇CHIKAKEN × 森の時間 トークライブ
 第二部として、
  ◇津軽三味線演奏(忍弥)
  ◇篠笛演奏(山口千那)&日本舞踊(五条鈴友理)
  ◇シンガーソングライターライブ(コバケン)
  ◇吹奏楽演奏(Giken Band Ensemble)
という内容だった。

 このように紹介していくと、イベント自体の統一感のようなものが感じられず、「いったいこのイベントは何?」という思いも抱かせられる。
 ただイベント全体を見渡してみると、会の代表者である横山芳江氏の強烈な個性とリーダーシップを感じさせられる。
 イベントは彼女の呼びかけに賛同する表現者たちが無償に近い形で協力することによって成り立っているのではと思われた。

 ステージは、竹あかりが灯された幻想的なバックが配される中で進められた。
 それぞれ聴き応え、見応えがあったが、私にとって印象的だったのはピアノを弾きながらのライブを聴かせてくれたコバケンのステージだった。彼の声にも、詩にも温かさが感じられて心が温まる思いがした。

 ここまできて「JAPAN」とイベント名に記された意味が分かったような気がした。ずーっと何故JAPANなのだろう?と気になっていたのだが、イベントの全てとは言わないが、多分に「日本の文化」を意識した構成になっている点がJAPANと銘打った理由ではないかと思ったのだが、どうなのだろうか?

 「JAPAN × 竹あかり」のイベントは3月11日夜にも北海道立文学館で開催される。

アイヌ民族文化祭2016

2017-01-30 16:48:16 | イベント
 1946(昭和21)年北海道アイヌ協会が設立してから70周年を迎えたという。アイヌ民族のおかれた現況を伺い、さらにはアイヌ民族の文化をたっぷりと堪能した一日だった。 

                    

 1月21日(土)午前から午後にかけて、かでるホール(北2西7)において、「アイヌ民族文化祭2016」が開催され参加してきた。

 文化祭は盛りだくさんの内容で構成されていた。プログラムは次のとおりである。

 ◇記念講演(11:00~12:00)
   「アイヌ語復興の課題と展望」      千葉大学文学部教授 中川  裕 氏
 ◇記念報告(13:00~14:30)
   〇報告Ⅰ「『北海道』の始まりから『北海道旧土人保護法』へ
               ~土地、狩猟と漁業の資源~」
                      北海道博物館学芸主査 山田 伸一 氏
   〇報告Ⅱ「アイヌ新法案からアイヌ文化振興法の制定へ」
                    北大名誉教授、元北大総長 中村 睦男 氏
   〇報告Ⅲ「アイヌ政策における法律の役割」
               北大アイヌ・先住民族研究センター長 常本 照樹 氏
 ◇アイヌ文化公演パートⅠ(14:40~15:25)
   「アイヌ文化の精神性への理解促進」~アイヌ語の伝承・保存・振興の一つの姿~
     〇二風谷アイヌ語教室子どもの部

               
               ※ 二風谷アイヌ語教室の子どもたちの舞台です。

     〇アイヌ文化伝承者 川上 容子 さん

               
               ※ 口承でアイヌ文化を伝え続けている川上容子さんの舞台です。

 ◇アイヌ文化公演パートⅡ(15:35~16:25)
   「多文化共生への取組」~伝統芸能の競演~
     〇カピウ&アパッポ「Kapiw & Apappo」

               
               ※ 阿寒湖畔在住の姉妹デュオ「カピウ&アパッポ」のムックリの演奏です。

     〇江差追分会

               
               ※ 江差追分全国大会優勝経験者の木村香澄さんの舞台です。

     〇帯広カムイイトウウポポ保存会

               
               ※ 帯広カムイトウウポポ保存会の「弓の舞」の一場面です。

という盛りだくさんの内容だった。

 イベントの全てをレポすることは内容的にも、分量的にも私の力量では無理である。
 ここでは、記念講演に限ってレポすることにする。

 記念講演の「アイヌ語復興の課題と展望」では、言語を維持するには経済活動との関わりが重要という話には納得するところがあった。つまり、明治以降アイヌ民族はアイヌ語では生活できない経済体制の中に組み込まれたことによってアイヌ語は衰退してしまったという指摘である。
 そこで中川氏は言語復興(アイヌ語復興)のためには、三つの柱が重要だとした。
 その三つの柱とは、◇地位計画、◇核計画、◇威信計画、と何やら物騒な単語が飛び出してきた。しかし、話を聞くと…、
 「地位計画」とは、言語(アイヌ語)の社会的地位を高めること。
 「核計画」とは、言語の核(言語そのものを構成する語彙・文法・表現法など)となることを学習可能なように整備していくこと。
 「威信計画」とは、威信(その言語の社会的)イメージを高めていくこと。
だそうだ。
 そして中川氏はアイヌ語復興のために次のような提案をされた。
 アイヌ協会などは組織として上からできること、つまり国や制度に働きかけ、環境を整えることに取り組んでほしい。
 アイヌとしてのアイデンティテイを持つ人たちは下からできること、つまりアイヌ語に親しみ、使っていくことを意識してほしい。
 研究者をはじめとした、その他の人たちは横からできること、つまりアイヌ語の学習環境を作ることサポートし、アイヌ語があたりまえに使える社会を目ざすために力を尽くしてほしい。
 と提言された講演を結んだ。非常に説得力のある講演だった。

               
               ※ 中川千葉大教授の講演の様子です。

 記念報告は三人の報告者が、アイヌ民族が日本の歴史に登場し、「北海道旧土人保護法」、
「アイヌ新法(アイヌ文化振興法)」と法律が変わってきたが、アイヌの人たちがおかれている現状は、生活の困窮や教育格差などまだまだ大変な現状であるとした。
 ただ、現在は2020年の東京オリンピックを前にして、白老町に「民族共生象徴空間」が開館するなどアイヌ民族に追い風が吹いているとする報告があった。
 ここを好機としてとらえてアイヌ民族の現状の改善を目指すとともに、ポスト2020も視野に入れながら活動を進めていくことが求められているとした。

               
               ※ 記念報告の三人の報告者が登壇したシンポジウムの様子です。

 そして最後のアイヌ文化公演の1部、2部はともに、アイヌ民族の中で継承されてきた文化遺産をけっして絶やすまいとする人たちの真剣な舞台を確認することができた。
 誰もが平等であるべき社会の構築のためにも、関係者はもちろん、私たち一般人ももっと理解を深める必要性を痛感した「アイヌ民族文化祭2016」だった。

札幌グルメ紀行 31 白鹿食堂

2017-01-29 16:43:01 | 札幌麺紀行 & グルメ紀行
 「お粥の店」と書かれた看板を見て「これは面白そう!」と思い、それほど空腹感はなかったのだが入店した。食した薬膳粥はダシが効いていて塩分控えめの上品な味だった。粥も良かったが、トッピングでいただく12種の漬物が私には絶品だった。 

               
               ※ 「北海道神宮」の駐車場前にある「白鹿食堂」の全体像です。

 宮の森の本郷新記念札幌彫刻美術館で行われていた「さっぽろ雪像彫刻展」を観た帰り、北海道神宮の傍を通りかかったとき、「白鹿(ハクシカ)食堂 お粥の店」と書かれた看板が目に入り、それほど空腹ではなかったが「これは面白そう!」と思い入店した。

               
               ※ 道路脇に立てられていた白鹿食堂の看板に「お粥の店」と書かれてあったのに誘われて入店しました。

 入店すると、まず食券を購入するシステムになっていた。主たるランチメニューは、「薬膳粥」(980円)、「中華そば」(880円)、「韃靼蕎麦」(880円)、とありその他単品メニューやセットメニューも用意されていた。
 私は「お粥」を目当てに入店したのだから、当然「薬膳粥」を注文した。これには、漬物と最中が自由にセルフで取ることができるほか、「粥」のお代わりも自由というシステムだった。

               
               ※ 店内に置かれたメニューです。それほど多種ではありませんが、いろいろと用意されています。

 店内は、テーブル席と窓際にカウンター席がズラーッと並んでいた。高級感には乏しく、口の悪いレビューには「学食?」あるいは「スキー場の食堂?」などと表現している投稿もあった。学食?とは店の方に失礼だが、カジュアルな感じは否めない。

               
               ※ 店内は高級感には乏しいですが、清潔でカジュアルな感じでした。

 客が少なかったせいもあったのか、すぐに「薬膳粥」はスタッフによって運ばれてきた。
 粥の上には、ゴマ、ネギ、他に赤いものがトッピングされていた。
 粥を食する前に、漬物と最中を取り寄せて、写真を撮った後、早速いただくことにした。

               
               ※ 私がオーダーした「薬膳粥」と漬物と最中をお盆に載せて撮りました。

 粥はダシが効いていて、塩分を控えめにした上品な味だった。塩分が控えめだったことで、かえって漬物が美味しく感じられたのかもしれない。
 空腹ではなかったと言いながら、漬物と共に胃に優しい粥を私はお代わりしてしまった。
 漬物は数えてみると12種も用意されていて、私はそのうち5種くらいを食したが、どれもとても美味しく感じられた。特に私が最も美味しいと思ったのは「白菜の鮭かさね漬け」だった。

               
               ※漬物と最中は写真のように並べられ、自由に選択してよいシステムになっていました。
  
 最後に番茶と共に、こし餡を入れた最中を食して、満足、満足のランチを終えた。

 帰宅して妻に「白菜の鮭かさね漬けが特に美味しかった」と告げたところ、妻はわざわざ「白鹿食堂」まで出向いて購入してきてくれた。(写真のものが1,000円だったそうだ)

               
               ※ 妻が買い求めに行って購入した漬物類です。左端が私がイチオシの「白菜の鮭かさね漬け」です。

【白鹿(ハクシカ)食堂 データー】
〒064-0958 北海道札幌市中央区宮の森1239-1(北海道神宮内)
電  話  011-615-1177
営業時間  11:00~16:00
      ※ 日曜日は6:30〜16:00
定休日  火曜日(祝日の場合は営業、翌日振替休)
駐車場  有(北海道神宮の駐車場を1時間無料で利用できる)
座  席  不明 (レビュー情報ではテーブル席20席とカウンター席25席とのこと )
入店日  ‘17/1/20

冬の石狩川河岸を遡る 20

2017-01-28 19:59:54 | 冬の石狩川河岸遡行スノーシュートレッキング

納内橋 ⇒ 神納橋  トレッキング実施日 ‘17/1/25

 三日連続トレッキングの最終日である。私はこの日が最も長距離を歩く日と思い込んでいた。コースが思いっきり蛇行、湾曲するからだった。ところが私の思いとは裏腹に、実際に歩いてみると想像していたほどではなかった…。 

          
    ※ 石狩川の蛇行、湾曲の様子を分かっていただくため、初めて地形図を提示してみました。赤〇で囲んだ「納内橋」から「神納橋」までがこの日のルートです。

 この朝も厳しい冷え込みだった。とは言っても、前日ほどではなくマイナス22℃とのことだった。
 この日は三日間の中でも最長距離との思いがあり、ゴールが日暮れにならないようにと、早起きして、午前6時58分深川駅発の列車で納内駅に向かった。寒い中、多くの通学する高校生たちが一緒だった。

               
               ※ ライブレポでも送信した「納内駅」です。

 無人の納内駅に降り立ち、準備を整え、この日のスタート(前日のゴール)地点の「納内橋」に向かった。
 途中、クラーク国際高校の本部校舎を地元の人に教わり立ち寄った。校舎の前になぜか納内中学校の校門が立っていた。これだものクラーク高校とは分からない。
 もっとも、後から写真を詳細に見て分かったことだが、校舎と思われた入口には「CLARK BASEBALL CLUBHOUSE」と表記されていた。なんのことはない写真に写したのはクラーク高校野球部寮のようだった。

               
               ※ バスには明らかにクラーク高校野球部バスと書かれていました。

 納内駅から2キロ弱歩き、「納内橋」の袂に着き、7時40分行動を開始した。
 石狩川の河岸に立ってみると、ゴーゴーと音を立てて石狩川が流れていた。これまで堰のところ以外で流れる音など聞くことはなかったのだが、川底の傾斜が一部急になっていたのだろうか、珍しく川の流れる音を聞いた。

               
               ※ スタート地点の納内橋です。

               
               ※ 石狩川の流れには珍しいさざ波が立っていることがお分かりいただけますか?

 この日の石狩川は右に左に大きく蛇行、湾曲していた。
 最初は河岸の灌木地帯を往ったのだが、やがて行き詰まり崖を上ってみると、朝通ってきた納内の集落が遠望できた。私は川沿いを往きながら戻るようなコースを辿っていたのだった。
 そこに支流の「納内幌内川」が流れ込んでいたため、結局国道に架かる「常盤橋」まで迂回させられることになった。

               
               ※ 石狩川の流れは写真のところから大きく右に湾曲していていました。

               
               ※ 国道が走る「常盤橋」です。

 常盤橋は蛇行する石狩川の湾曲の頂点の部分にあたったので、そこを迂回すると反対方向への流れとなった。川沿いは鋭く切り立っていて、私はその崖の上を歩く形で、トレッキングとしては苦労しないで歩くことができた。

               
               ※ 石狩川が湾曲しているところがよく見える個所です。

 途中、一つだけ深い掘割があり、とてもそこを渡ることは無理だったので迂回した。再び川岸に戻ったところ、それまでも何度か川岸で目にした計測器のようなものが設置されていた。特に名称などは記されていなかったのでその用途は不明である。

               
               ※ これだけはっきり水面が見えているところはとても渡れません。

               
               ※ いったい何の計測器なんでしょうか?裏側には太陽光パネルがありました。

 そうしているうちに大きな橋が視界に入ってきた。
 橋というと、留萌深川自動車道が走る「石狩川橋」しかない。私が予想していたよりは早い10時10分に通過した。

               
               ※ 留萌深川自動車道が走る「石狩川橋」です。

 石狩橋を通過したということは、この日のコースの中間点を過ぎたことを意味する。
 私はこの日のコースが三日間の中では最も長い距離だと思い込んでいた。それは、初めに示した地形図でもお分かりのとおり、石狩川が大きく蛇行、湾曲しているからだ。地形図は1/50,000のもので、それを2倍に拡大して提示してある。

 う~ん。なぜ予想が狂ったのか分からない。私は蛇行、湾曲したところを見て、いらぬ恐れをもったとしかいいようがない。
 ここで私のスノーシュートレッキングの様子を記すと、私は一日の行程でおよそ30~35枚の写真を写す。その際、二枚に重ねている手袋の一枚を外してシャッターを切るため、けっこうな時間を要する。さらには、ライブレポに使用する写真はスマホで撮るのだが、こちらは全ての手袋を外さねばならない。その上、ときどきライブレポを発信している。
 さらにスノーシューで進んでいることを考えると、私の歩く速度は時速2キロにも達していないのではと思われる。
 そう思われる状態での10時10分、石狩橋通過は少々予想外だった。

               
               ※ この一枚は特に意味もなく…。

 石狩橋を通過した後も、私がトレッキングをしている右岸の方は、崖の上を往く歩きやすいコースだった。左岸の方を眺めると、厳しいコースが続くなあ、という感じだった。

               
               ※ 石狩川の対岸の様子です。

               
               ※ 対してこちら右岸の様子です。

 そうして1時間くらいトレッキングを続けていると、遠くに赤と黄緑に彩られた「神納橋」が見えてきた。これまた想像したいたより早い。
 結局11時40分、私はこの日の目的地だった「神納橋」に到達したのだった。

               
               ※ この日の目的地「神納橋」です。

               

 帰りの様子については、ライブレポで記したとおり、近くの高速道のバス停から都市間バスに乗り帰宅した。

 1月23~25日の三日間は、ある意味で私は幸運だったように思う。
 それは冬季のトレッキングにおいては風が最大の強敵だと経験的に思っている。その風がほとんど吹かなかったことだ。風が吹いていたら、手袋を外すなどということはほとんどできない。外したが最後、手の感覚を失ってしまうのだ。それがなかったのが嬉しかった。新兵器として持参したゴーグルも出番がなかった。

 今季の最終目的地である旭川までは、あと二日間を要するとみている。まだ具体的な計画は立っていない。時期も含め、慎重に計画を立てたいと思っている。


冬の石狩川河岸を遡る 19

2017-01-27 12:01:56 | 冬の石狩川河岸遡行スノーシュートレッキング

深川橋 ⇒ 納内橋  トレッキング実施日 ‘17/1/24

 この日当地(深川市)は最低気温がマイナス30℃という記録的な低温になった。しかし、空は快晴、無風のコンディションで快適なスノーシュートレッキングを楽しめた。コアカゲラを写真の収めることができ意気揚々だった私に思わぬアクシデントが!! 

 朝のニュースを聞いて驚いた。
 なんと!深川市の最低気温がマイナス30℃ というではないか!そんな気温はここ十数年聞いたことがなかった。
 ちょっと怖気づいたが、まずは行動してみることにした。

 朝食をしっかり摂り、午前8時前に宿を出て、昨日のゴール地点の深川橋に向かった。
 寒さはビンビン堪えたが、風がないのが幸いした。しかも天候は晴れ、問題なく行動ができると判断した。

               
               ※ この日のスタート地点の「深川橋」です。

 8時10分、準備を整え深川橋の袂をスタートした。
 スタートして間もなく、この日の第一の掘割に遭遇した。しかし、樋門は目視できるところにあり、大きく迂回する必要はなかった。
 樋門には「深川樋門」という名称が付けられていた。

               
               ※ この日スタート直後に現れた「深川樋門」です。

 樋門から石狩川に近付いてみると、石狩川は全面結氷していた。ライブレポでも触れたが、どうやら深川橋の先の堰で流れが止められているため結氷したのではないかと想像した。
 河岸の木の枝先は低温のためか周りの空気が張り付いて霧氷のようになっていた。

               
               ※ 全面結氷していた石狩川です。河岸の木の枝の先は白い氷が張り付いていました。

 「深川樋門」から25分ほど行くと、再び掘割が現れので、そこも樋門を迂回した。こちらの樋門には「一己樋門」と表記されていた。“一己”と書いて何と読むかご存知ですか?なんとこれで“イッチャン”と読むのです。地元の人以外にはかなり難しい読み方では?

               
               ※ この日二つ目に遭遇した「一己樋門」です。

 この日は、地図読みするとかなり石狩川に流入する掘割や支流が多いと予想していたのだが、またまた現れた。今度は本格的な川で「入志別川」という支流だった。
 地図読みすると、迂回した先に橋が架かっているのでそこまで迂回した。そのとき、堤防の外に見慣れた建物を発見した。それは私の記憶では「深川市体育館」だった。
 この時9時10分、なんと私は1時間行動してまだ深川市の市街地から離れていなかったことになる。(まあ、スノーシューを付けるとそのくらいのスピードなんですけどね)
 「入志別川橋」を渡り、三度石狩川の河岸を目ざした。

               
               ※ 入志別川を遡っていたら、なんと深川市の体育館(大きな屋根の建物)が目に入ってきました。

               
               ※ 石狩川に流入する「入志別川」に架かる入志別川橋です。

 すると河岸は深川市の雪捨て場になっていた。

               
               ※ かなり大規模な深川市の雪捨て場でした。

 雪捨て場を通過し、しばらく行くとまたまたまた大きな流れに前進を遮られた。「オサナンケップ川」である。またまた迂回しか方法がない。
 川岸を辿っていき、一息ついたとき小枝に小さな鳥が止まっていることに気付いた。その鳥が私に気付いているのか、いないのか、まったく逃げようとせず小枝を突いている。
 私の安カメラの望遠でも十分に撮影できる距離だった。じーっとチャンスを伺った。すると、小さな体をこちら側に見せたときがあった。思わずシャッターを何度も切った。
 私の乏しい知識ではアカゲラより一回り小さいのでコアカゲラではないかと判断した。
 私が行っているスノーシュートレッキングでは生き物に遭遇することはほとんどない。たま~に、遠くにキタキツネを見かけるくらいで、それもシャッターチャンスは全くと言ってよいほどなかったため、コアカゲラを撮影できたことがことのほか嬉しかった。

               

               ※ 興奮の2ショットです。コアカゲラでいいでしょうかね?

               

 オサナンケップ川に架かる橋を渡り、畑地を石狩川河岸に向かっていた。思わぬ写真を手に入れ、その上天気は快晴ときて、気分は上々で歩を進めていた。
 そのときである! 私の体が突然ズボッとはまってしまった。何ごとが起きたのだろうと、一瞬事態を把握できなかった。幸い体にはどこも異常がなかった。落ち着いて周りを見てみると、どうやら私は畑の中に造られていた灌漑溝にはまってしまったのだった。
 背丈の半分くらいが埋まっていたので、苦労してそこから脱出することができた。
 迂闊だった。周囲をよく見ると、灌漑溝がある部分は明らかに少し凹んでいた。私の注意力が散漫だったゆえに起こった出来事だった。そのとき10時40分だった。

               
               ※ 同じく石狩川に流入する「オサナンケップ川」に架かる橋ですが、農家のプライベート橋だったようです。

               
               ※ 痛恨の思い出の写真。畑の灌漑溝に落ちた跡の写真です。 

 そこから10分ほど行ったところに大きな橋が見えた。「おかしいなぁ。橋などないはずだが…」と思いながら近づいてみると、どうやら橋と似てはいるが橋の形状とは違っていた。
 その施設には「北空知頭首工」と表記されていた。「頭首工」とは、川から用水を取入れる農業水利施設ということだ。つまり川を堰き止めて、川の水を田畑に取水する施設ということのようだ。

               
               ※ 周辺の田畑に農業用水を取水する施設「北空知頭首工」です。

 頭首工を過ぎてからは単調な河岸が続いた。対岸の左岸を見ると、道路が河岸に近付いていたり、厳しい崖が迫っていたりと、もし左岸を選択していたら苦労するだろうな、という風景が続いていた。
 太陽が隠れ、寒くなってきたが、体の疲れも感じ始めていた。疲れを癒すために小休止を取り、軽食を取ることにした。熱い紅茶が何よりだった。

               
               ※ 河岸はあまり困難ではない平坦な道が続きました。

               
               ※ 生き物が動いているところを見かけることは稀でしたが、こうした足跡はいたるところで見かけました。


 その後も石狩川を眼下に見るようにして、歩きやすい雪原が続いた。午前中のような掘割にも遭遇することがなかった。
 対岸の遠くに、大規模なスキー場が視界に入ってきた。私も昔は何度か滑走したことのあるカムイリンクスだった。

               
               ※ 対岸の遠くには大規模スキー場「カムイリンクス」が遠望できました。

 13時35分、この日の目的地「納内橋」に到達した。
 体は疲れていたが、楽しい一日だった。
 この日の歩数は、22,596歩、距離に換算すると17キロ弱ということだった。

               
               ※ この日のゴール「納内橋」です。

               

 番外編であるが、帰りは納内橋からJR納内駅まで歩き、JRで深川市に帰ることにしていたのだが、その出発時間が13時59分だった。橋から駅のまで2キロ弱あった。
 歩き始めたときは13時40分を指していた。急ぎ足では間に合いそうにないと、走ることにした。両手にスノーシューとストックを抱え、足は登山靴、背にはザックを背負っての小走りである。この列車を逃すと15時36分まで1時間半も待たねばならない。
 間に合うかどうか分からないまま、必死で走った。結果はライブレポでも触れたとおり。ギリギリでセーフだった。背中は汗だらけ、列車内の暖房の暑さが気になった。


冬の石狩川河岸を遡る 18

2017-01-26 19:02:44 | 冬の石狩川河岸遡行スノーシュートレッキング

向陽橋 ⇒ 深川橋   トレッキング実施日 ‘17/1/23

 久しぶり(20日ぶり)のスノーシュートレッキングだった。この日は距離もそれほどではなく、風も弱かったので心地良いトレッキングを楽しめた。 

 1月23日朝、「冬の石狩川河岸を遡る」プロジェクトの第18日目を実施するために、札幌駅6時35分発のL特急スーパーカムイで滝川に向かった。
 今回は深川市に2連泊して3日間のスノーシュートレッキングを計画していた。この日はその第1日目であった。
 滝川からバスに乗り換え、前回スノーシューを外した深川市の「向陽」のバス停に降り立った。

               
               ※ 前回息子の車を待つのに使ったバス停に降り立った。この日もここでスノーシューの準備をさせてもらった。

 バス停から1キロ弱歩いて移動して、「向陽橋」の石狩川右岸の袂をスタートしたのはちょうど午前9時だった。
 天気は曇り、気温も相当に低かったが、風がそれほどでないのは幸いした。
 スタートして直ぐ、それほど大きくはない掘割に遭遇した。しかし、樋門が見えるくらい近かったので迂回することにした。
 樋門の前に「めなむななごうはし」という橋が架かっていたが、樋門の名前を知りたくて樋門に近付くと「芽生7号樋門」と記されていた。

              
              ※ この日のスタート地点の「向陽橋」の袂です。

              
              ※ スタートして直ぐに遭遇した「芽生7号樋門」とその前に架かる「めなむななごうはし」です。 

 樋門を迂回するとこれも直ぐに「深川留萌自動車道」が石狩川を跨ぐための「深川大橋」の下を通過した。
 石狩川はいつものようにたゆたうようにゆったりと流れていた。川面にはシャーベット状の氷がわずかだが浮きながら流れていた。(私はこれまで蓮葉氷と称していたが、TVのニュースなどではシャーベット状の氷と称していたようなので改めることにした)

              
              ※「深川留萌自動車道」の「深川大橋」を下から仰いだ図です。

              
              ※ この日の石狩川です。あまり目立ちませんがシャーベット状の氷が浮かんでいます。

 河岸の状況は、河岸が低く川面との高さにあまり違いがない低地のところでは灌木が繁茂し、灌木を避けながらのトレッキングを強いられる。
 それに対して、川面との間に大きな段差があり、崖状になっているところでは、灌木はあまり生えていなく、スムーズなトレッキングが可能となる。
 この日は、二つの状況が交互に現れるような感じだったが、それほど困難な状況には遭遇しなかった。

              
              ※ 河岸が低いところは、このように灌木地帯を往かねばなりません。

              
              ※ 河岸が高くなっているところでは、このように草木が生えていないところもありました。

 行動を開始して1時間半後、水の流れが見える大きな掘割に遭遇した。
 もちろんそこは迂回を強いられたが、しばらくその小さな流れを遡ったところ流れが消えたので、再び河岸に戻ることができた。

              
              ※ これはかなり大きな掘割です。とても渡れるようなところは見当たりませんでした。

 雪面の状況は、スノーシューの沈みが深くもなく浅くもなく、という状況だった。スノーシューを踏み込んだときに沈み込むのは脚への負担がそれなりにかかるのだが、今シーズンに入ってから、1年目、2年目に感じたような脚の痛みを感じなくなったことは、少しは脚の力が付いてきたことなのだろうか?

              
              ※ スノーシューの沈み込みはそれほどではなく、こうして灌木地帯をトレッキングしました。(下の写真も)

              

 11時30分、小腹が空いてきたこともあり好物のカステーラを熱い紅茶で流し込んだ。
 今年に入って、紅茶はステンレスボトルを専用ケースに入れ、その上タオルでカバーして、それをザックの中に入れて持ち歩いている。だから4~5時間経っても十分に熱い紅茶を楽しむことができる。
 さらに私はもう一本、同じようにステンレスボトルに入れた熱湯を持ち歩いている。こちらはポタージュなどのスープやコーヒー用に持ち歩いているのだが、冬の野外ではそれらをゆっくり楽しむことができないので、ほとんどただ持ち歩くことになって、用を足していないことが多い。
 そのことを雨竜町の宿主に話したところ、「別に使わなくとも、持っていることが安心感につながるから、継続すべき」とアドバイスされ、“もしも”のためにこれからも持ち歩くことにしたいと思って、実行している。

 12時頃になって、この日3度目の掘割に遭遇した。掘割の先を見ると、どうやら深川市の外れにある下水処理場の処理水を流す掘割のようだった。
 私は以前に深川市内をフットパスで歩いたことがあるのだが、石狩川の河岸近くに下水処理場があることを確認していたのだった。

              
              ※ 写真奥の建物が深川市の下水処理場です。そこから流れ出る処理水の掘割です。

 下水処理場を通過すると、ゴールの「深川橋」は近かった。
 深川橋の前には、大きな堰があることを知っていた。その堰ではゴーゴーと大きな音を立てて、水が流れ落ちていた。
 市街地近くに堰を設置している理由は素人には分からないが、何か理由があるのだろう。
 そしてその向こうに「深川橋」が見えた。

              
              ※ ゴーゴーと音を立てて堰から流れ落ちる石狩川の流れです。一部分が凍っています。

              
              ※ その堰に近寄って写したものです。

              
              ※ 堰の上流部は結氷状態でした。その向こうに見えるのが深川橋です。

 深川橋に近付いたとき、堤防の外に大きな雪の壁が見えた。何だろう、と思って近づいたところ、公園となったところで自衛隊の方々が大きな雪像を作っていた。深川市の雪まつり?(冬まつり)の準備をしているようだった。

              
              ※ 河岸近くで見た制作中の大雪像です。

 13時05分、この日のゴール「深川橋」に到着した。
 この日の歩数は、15,777歩、距離に換算するとおよそ11.5キロだった。 

              
              ※ お約束(?)のゴールの橋と愛機のスノーシューです。       


石狩川遡行 20 ライブレポ⑤

2017-01-25 12:43:07 | 冬の石狩川河岸遡行スノーシュートレッキング

 「高速納内」バス停発12時31分のバスに無事乗車できました。
 全身に疲れはありますが、三日間予定どおり無事に終えることかできホッとしています。

 今日のコースはバス停の名称に「納内」が付くように、納内の集落から直線では3キロ程度です。ところがこの間石狩川橋大きく蛇行を繰り返しているため距離の計測が難しかったのです。

 この三日間は三日とも距離的にはそれほどきつくない三日間だったかもしれません。まあ、それが今の私には合っているということかもしれません。

 帰宅してから、ゆっくりこの三日間を振り返ることにします。

 写真は今朝納内の市街地を通ったとき見かけた「クラーク国際高校」の本部校舎です。

 


石狩川遡行 20 ライブレポ④

2017-01-25 11:29:25 | 冬の石狩川河岸遡行スノーシュートレッキング

 あれーっ!? 意外や意外!
 11時30分に目的地の「神納橋」に着いてしまいました。
 私の地図読みが違っていたのかもしれません。なにせ今日のコースは石狩川が大きく蛇行しているため距離が計りずらかったのです。
 それにしてもおかしいなぁ〜? 帰宅して原因を考えてみます。

 これから道央高速のバス停まで1〜2キロ歩いて、そこから都市間バスで帰ります。30分に1本あるようなので、時間を、気にせずバス停に向かいます。

 写真は神納橋です。

 


石狩川遡行 20 ライブレポ③

2017-01-25 10:08:49 | 冬の石狩川河岸遡行スノーシュートレッキング

 10時10分、道央高速道が石狩川を跨ぐように架けられた「石狩川橋」(どこかで聞いたような名前ですが…)に到達しました。
 予想していたよりは早いかな?という感じです。今日の中間点を越えたと思います。

 コンディションは途中雪が激しくなり心配しましたが、今は止んでいます。
 疲れからスピードは上がりませんが、ぼちぼち行きます。

 写真は石狩川に架かる「石狩川橋」です。

 


石狩川遡行 20 ライブレポ②

2017-01-25 08:39:38 | 冬の石狩川河岸遡行スノーシュートレッキング

 なんという皮肉でしょう。
 スタートから1時間、私は列車を降りた納内の集落近くに戻ってきました。
 というのも、石狩川は納内橋から大きく蛇行して納内集落の方へ向かっていたのです。
 もちろん事前にマップてま確認はしていたのですが、実際に見せつけられるとガックリきますね。
 現在、支流の納内幌内川を迂回するため橋が架かっているところまで迂回しています。

 写真は石狩川が大きく蛇行している箇所の一つ 。